将棋ペンクラブログにコメントを書いたらご返信いただきました。ありがとうございます。一緒に合格したいですね。
さて、想定問題です。
Q4. 現在残っている最古の棋譜は、初代大橋宗桂と誰の対戦?
ア 本因坊算砂 イ 本因坊秀和 ウ 本因坊道策
Q5. 次の中で献上図式を作らなかったのはだれか
ア 大橋宗古二世名人 イ 伊藤宗与六世名人 ウ 大橋宗英九世名人
Q6. 当時世襲制だった名人には推挙されず、段位も七段までしか上がらなかったが、後に棋聖と呼ばれるようになった人物の姓名を記載せよ。
では、前回の日記の回答をば。
Q1.「飛打飛合」で玉方の角を移動させ、打歩詰を回避する名作、将棋図巧第1番は何手詰か?
ア 69手詰 イ 333手詰 ウ 611手詰
答えはア。○手詰問題は、将棋図巧第100番「寿」の611手詰、ミクロコスモスの1525手詰くらい覚えておけばあとは消去法で何とかなるかな、と楽観的に考えている。参考までに江戸時代の長編詰めの第2位は八代宗桂「将棋大綱」の321手詰。現在の2位は新桃花源の1205手詰。
今回検定を受けるにあたって、ほとんど初めて将棋図巧を並べてみたが、これほどのものを300年前の人がなぜ作れたのかと感慨しきりである。看寿の才能はやはり桁はずれであった。実は宇宙人ジョーンズ?(←ベタなネタですみません…)。
Q2.没後に名人を追贈されたのは次のうちだれか?
ア 初代大橋宗桂 イ 三代目大橋宗看 ウ 伊藤看寿
答えはウ。看寿問題は何かしら出るのは間違いないと思われるので、2題並べてみた。
Q3.屋敷伸之現九段が、最年少タイトルホルダーになった時の棋聖戦での対戦相手は?
ア 中原誠 イ 米長邦雄 ウ 谷川浩司
答えはア。このような「知らないと答えられない問題」は2級の場合たくさん出ると思われるので、タイトルの勝敗表は試験前に眺めておきたい。
なお、江戸の名人の表を試験対策で作ってみたのでご参考まで。皆で名人ネタは全問正解を目指しましょう!!
以下はCSV用です。
地位,名,生年,在位年,topics,詰将棋,三家,関係
囲碁一世名人,本因坊算砂,1559-1623,1578?-1612,宗桂との最古の棋譜(1608),,,
一世名人,大橋宗桂(初代),1555-1634,1612-1634,将棋所,象戯造物,大橋本家,
二世名人,大橋宗古(二代),1576-1654,1634-1654,"三家の創設
右香落ち最古の棋譜
千日手、二歩、打歩詰ルール化",将棋智実,大橋本家,初代宗桂の子
三世名人,伊藤宗看(初代),1618-1694,1654-1691,"松本紹尊、荻野真甫、檜垣是安からの挑戦
振り駒の始まり
詰将棋の手余りの廃止
存命中に五代宗桂に将棋所を譲渡",将棋駒競,伊藤家,二代宗古の娘婿
四世名人,大橋宗桂(五代),1636-1713,1691-1713,"『象棋百ヶ条』『五代宗桂記』
印達・宗銀の57番指し",象戯手鑑,大橋本家,"初代宗看の子
二代宗古の外孫"
五世名人,伊藤宗印(二代),?-1723,1713-1723,"印達・宗銀の57番指し
三代宗与とのライバル対決(平手全勝)","将棋精妙(不成百番)
将棋勇略",伊藤家,"初代宗看の養子
三代宗看、看寿の父"
六世名人,大橋宗与(三代),1648-1728,1723-1728,"大橋分家初の名人
77歳で御城将棋(最高齢)",将棋養真図式,大橋分家,初代宗桂のひ孫
七世名人,伊藤宗看(三代),1706-1761,1728-1761,"碁将棋席次争い(大岡越前守裁定)
将棋所黄金時代",将棋無双,伊藤家,"二代宗印の二男
看寿の兄"
八世名人,大橋宗桂(九代),1744-1799,1789-1799,"27年間空位の名人を継承
最後の献上図式","将棋舞玉
九代宗桂図式",大橋本家,二代宗印の孫
九世名人,大橋宗英(六代),1756-1809,1799-1809,"献上図式を作らず
榊原橘仙斎『将棋営中日記』で最強名人との評
御城将棋の日に絶命",,大橋分家,"五代宗順の養子
七代宗与の父"
十世名人,伊藤宗看(六代),1768-1843,1825-1843,"17年間の空位
江戸時代最後の名人
その後も36年空位",,伊藤家,
さて、想定問題です。
Q4. 現在残っている最古の棋譜は、初代大橋宗桂と誰の対戦?
ア 本因坊算砂 イ 本因坊秀和 ウ 本因坊道策
Q5. 次の中で献上図式を作らなかったのはだれか
ア 大橋宗古二世名人 イ 伊藤宗与六世名人 ウ 大橋宗英九世名人
Q6. 当時世襲制だった名人には推挙されず、段位も七段までしか上がらなかったが、後に棋聖と呼ばれるようになった人物の姓名を記載せよ。
では、前回の日記の回答をば。
Q1.「飛打飛合」で玉方の角を移動させ、打歩詰を回避する名作、将棋図巧第1番は何手詰か?
ア 69手詰 イ 333手詰 ウ 611手詰
答えはア。○手詰問題は、将棋図巧第100番「寿」の611手詰、ミクロコスモスの1525手詰くらい覚えておけばあとは消去法で何とかなるかな、と楽観的に考えている。参考までに江戸時代の長編詰めの第2位は八代宗桂「将棋大綱」の321手詰。現在の2位は新桃花源の1205手詰。
今回検定を受けるにあたって、ほとんど初めて将棋図巧を並べてみたが、これほどのものを300年前の人がなぜ作れたのかと感慨しきりである。看寿の才能はやはり桁はずれであった。実は宇宙人ジョーンズ?(←ベタなネタですみません…)。
Q2.没後に名人を追贈されたのは次のうちだれか?
ア 初代大橋宗桂 イ 三代目大橋宗看 ウ 伊藤看寿
答えはウ。看寿問題は何かしら出るのは間違いないと思われるので、2題並べてみた。
Q3.屋敷伸之現九段が、最年少タイトルホルダーになった時の棋聖戦での対戦相手は?
ア 中原誠 イ 米長邦雄 ウ 谷川浩司
答えはア。このような「知らないと答えられない問題」は2級の場合たくさん出ると思われるので、タイトルの勝敗表は試験前に眺めておきたい。
なお、江戸の名人の表を試験対策で作ってみたのでご参考まで。皆で名人ネタは全問正解を目指しましょう!!
以下はCSV用です。
地位,名,生年,在位年,topics,詰将棋,三家,関係
囲碁一世名人,本因坊算砂,1559-1623,1578?-1612,宗桂との最古の棋譜(1608),,,
一世名人,大橋宗桂(初代),1555-1634,1612-1634,将棋所,象戯造物,大橋本家,
二世名人,大橋宗古(二代),1576-1654,1634-1654,"三家の創設
右香落ち最古の棋譜
千日手、二歩、打歩詰ルール化",将棋智実,大橋本家,初代宗桂の子
三世名人,伊藤宗看(初代),1618-1694,1654-1691,"松本紹尊、荻野真甫、檜垣是安からの挑戦
振り駒の始まり
詰将棋の手余りの廃止
存命中に五代宗桂に将棋所を譲渡",将棋駒競,伊藤家,二代宗古の娘婿
四世名人,大橋宗桂(五代),1636-1713,1691-1713,"『象棋百ヶ条』『五代宗桂記』
印達・宗銀の57番指し",象戯手鑑,大橋本家,"初代宗看の子
二代宗古の外孫"
五世名人,伊藤宗印(二代),?-1723,1713-1723,"印達・宗銀の57番指し
三代宗与とのライバル対決(平手全勝)","将棋精妙(不成百番)
将棋勇略",伊藤家,"初代宗看の養子
三代宗看、看寿の父"
六世名人,大橋宗与(三代),1648-1728,1723-1728,"大橋分家初の名人
77歳で御城将棋(最高齢)",将棋養真図式,大橋分家,初代宗桂のひ孫
七世名人,伊藤宗看(三代),1706-1761,1728-1761,"碁将棋席次争い(大岡越前守裁定)
将棋所黄金時代",将棋無双,伊藤家,"二代宗印の二男
看寿の兄"
八世名人,大橋宗桂(九代),1744-1799,1789-1799,"27年間空位の名人を継承
最後の献上図式","将棋舞玉
九代宗桂図式",大橋本家,二代宗印の孫
九世名人,大橋宗英(六代),1756-1809,1799-1809,"献上図式を作らず
榊原橘仙斎『将棋営中日記』で最強名人との評
御城将棋の日に絶命",,大橋分家,"五代宗順の養子
七代宗与の父"
十世名人,伊藤宗看(六代),1768-1843,1825-1843,"17年間の空位
江戸時代最後の名人
その後も36年空位",,伊藤家,