世の中は先週、羽生永世七冠に沸いていましたね。
でも、本当は9年前に取れたのに…というのが将棋クラスタの共通認識だと思います(笑)。
しかし、9年前にあっさり達成してしまうより、ずっと感動的でしたね。
で、今回のブログの目的は、将棋クラスタでない、日本人の99%の皆様が羽生先生をリスペクトしている間に、2年前のブログを引っ張りだしてきて、ひげめがね日記のアクセス数を増やそうという魂胆です(笑)。
当時はほとんどアクセス数がなかった(泣)。今回はどうでしょうかねえ?
以下、2015年11月、羽生四冠で、郷田王将への挑戦も決まっていたころのブログの再掲です。
******************************
ひげめがねは病院に勤務しているのだが、「病院の経営を考える会」になぜか羽生善治四冠が降臨!!!
病院に勤務して、初めて良かったと思いました(笑)。
以下、神の言葉(講演)の要旨を。本来であれば本を購入して数百円かかるところをひげめがねが要約して差し上げます(←なんでそんなに偉そうなの???)
あまりに長くなりすぎるので、誤字脱字等ありましたらご指摘ください。
(決断とは)
日々の生活が決断の連続。日常的に私たちがしていることである。
(何手読めるか?)
木村十四世名人は「2,000手」といったと言うが、さすがにそれは…(笑)。
私たちは直観を使っており、80パターンくらいある指し手の中で2~3手に絞り、 残りは捨てている。これは、カメラでピントを合わせる作業に似ている。今までの経験則と照らし合わせているということ。
(棋士がしていること)
将棋を指すときに使っているのは、直観と、読みと、大局観の3つである。
(直観とは)
直観と言っても闇雲ではなく、経験により瞬間的に現れるもの。
(読みとは)
読みは1つ1つシミュレーションしていくこと。ただ、闇雲に行うと数の爆発が生じる。足し算で増えるのではなく掛け算で増えるから。10手先というと、3手ずつ選択肢があるとして3の10乗=6万弱の可能性が生じてしまう。
(対局観とは)
「木を見て森を見ず」という言葉がある。視野が狭い状況。対局観とはその対極にあるもの。
具体的ではなく、また、今まであったこと過去ではなく、今後の方針、方向性である。対局観とは抽象的なものである。
対局観のメリットはショートカットすることができること。ある1点に集中できる。
(3要素のバランス)
現在棋士は10代~70代までいるが、その年代によって3要素の比重が変わる
(若いうち)読み 瞬発力→ 直観 → 対局観(年配になるにつれ)
(長考)
2日制の将棋を指すこともあり、1つの局面で長い時間をかける。ただし長考すると良い手が指せるわけではない。「長考に好手無し」という言葉が将棋界にはある。30分経つと、Aを選ぶかBを選ぶか2択に収斂する。その際は読み以上に、決断力が必要。それが調子のバロメータになっている。私は最大4時間弱考えた。だからと言ってすごい1手が指せたわけではない。逆に相手が4時間考えた時は、おやつのこと、昼食のこと、4時間あれば全国どこでも行けるな、相手がこのまま指さなかったらどうしよう…。などなど、いろいろな将棋に関係ないことを考えてしまう(笑)。
(調子のバロメータ)
運やツキやバイオリズム…科学的に証明されていないが、ずっと勝負の世界に身を置いてくると、そういうことがあると思う。調子は変化し続けている。
運やツキは人を魅惑するもの。ギャンブル、占いなど。
今ついているのか?これから先どうなるのか?ということはいつまでも考えていたいのが人情。しかし、拘りすぎると大事なことがおざなりになる。だから気にしないようにしている。
(結果が出ないとき)
不調なのか、実力なのかを見極める。「不調も3年続けば実力」という言葉が将棋界にはある。現実を真摯に受け止める。次の機会、チャンスをうかがう。
1か月、3か月、半年経って初めて身を結ぶことがほとんど。不調の時はやっていることは変えないが、気分は落ち込みやすい。そういう時は生活の中に小さなアクセントをつけるようにしている。髪型を変える、部屋の模様替え、生活習慣を変えるなど。
(モチベーション、プレッシャー)
アスリートのインタビューで「楽しんでやりたい」という言葉がよく出てくる。トレーニングを受けているのか、本当に自分で思っているのかは不明。しかし、その言葉は正しい。リラックスして楽しんでいるときに、普段自分が持っている実力を最大限発揮できる。どんな状況でもリラックスできるわけではない。どう対処していくか?最悪な状況はやる気がないときである。プレッシャーがかかっているときははやる気があるときと言える。つまり、いいところまで来ているときである。
例えば高跳びの選手を考えてみる。1m50跳べる選手は1mや2mのときはプレッシャーかからない。1m55の時にプレッシャーがかかる。もう少しで目標達成できるときにプレッシャーがかかるということ。山登りでも8合目が一番きつい。それは手ごたえがあるから。その時に能力や才能が開花する。
例えば作家。締め切りの直前でないと書かない作家が多いと聞く。〆切という避けることのできないプレッシャーに身を置くことで深く集中しているのではないか。
将棋でも日常の研究は当然しているが、一番深く考えられるのは公式戦の場。時間に追われているとき、プラスに作用することが多い。
(良い緊張と悪い緊張)
身がこわばる、体が固まる(悪い緊張)⇔身が引き締まる、程よい、ちょうどよい(良い緊張)。
(記憶)
NHK将棋トーナメントをご覧になっている方からよく言われるのは、「感想戦で100手以上もよく覚えていらっしゃいますね」ということ。
しかし、実はこれは想像以上に簡単なことである。一般の方でいうと、歌を覚えるのと一緒。皆さんの歌と同じように記譜を覚えている。
あるとき、幼稚園に呼ばれ、園児同士の対局の講評をと言われたが、この記譜を覚えるのは大変。自由奔放すぎるため。ある種のセオリーがあれば覚えられる。
また、あるテレビ番組で「盤面を記憶する」という企画があった。棋士は3秒から5秒で40枚の駒の配置を記憶できる。方法は「10枚の塊を覚える」こと。同じ番組で「将棋の駒の代わりに寿司で覚えられるか?」という企画もあった。でも、寿司の塊は寿司の塊。向きもわからないので、覚えられなかった。
(短期記憶と長期記憶)
短期記憶と長期記憶は違う。よく言われるのは「マジックナンバー7」 7±2の数字は覚えられるということ。一番良い例は電話番号。それは1時間たつと忘れる。24時間以内の復習が長期記憶に有用。
現在は記譜データベースが発達しており。早送りの機能を使えば1分間で見られ、短い時間で大量のデータ見ることができる。でも簡単に忘れる。棋士は5年後10年後も正確に覚えていなくてはならない。五感を使うこと。目から口から耳から…すべての感覚を使うと記憶が定着しやすい。
過去のデータ、記譜も5年前、10年前のものとなるとなかなか思い出せない。しかし、思い出さなければならないときがある。そこで思い出せるかどうかは記憶力では決してない。いかに深く考えたかにかかっている。記憶の糸、思考の糸からプロセスを復元する。全体像を理解していれば思い出せる。
(将棋の歴史)
古代インドが発祥と言われる。戦争の好きな王様に家臣が困り、ボードゲームを作ったといわれている。
西洋はチェス1つだが、アジアは1国に1つずつ違う種類の将棋があるのが特徴。
1000年から1500年前に日本に将棋が伝わったと考えられる。奈良の興福寺駒が最古。将棋が渡ってきたルートは、間違いなく貿易とともであったと考えられる。駒を見ればわかる。金銀財宝、桂馬香車は香辛料 玉将は昔は双玉であった。すべて貿易の主要品目、莫大な利益をもたらした物たちである。
(将棋のルールの変遷)
400年前に現在のルールに。遊びや娯楽というのは長い年月をかけて、どうしたら面白くなるか工夫した結果残るものである。
(日本将棋の特徴)
持ち駒再利用(リサイクル)と、自分の駒と相手の駒が違う(向きがわかる)のが一般的に言われるところ。
そのほかに、ダウンサイジング、小さくコンパクトにしていったことも特徴。囲碁は升目を広くし、19×19によって面白さや可能性を広げた。将棋は全く逆の道。盤の広さ、駒の数は小さく、少なくなっていって現在に至る。
「トリビアの泉」の企画で大昔の将棋(中将棋?)を指してみよう、というものがあった。1日たっても2日たっても終わらない。ある程度の時間が必要。
小さくなっていったのはガラパゴス的特徴。短歌、俳句もそう。能は表情を見せないことに収斂していった。それにより情感をむしろ増幅する。茶道もそう。ツイッターは日本発ではないが、字数が制限され。日常の言葉遣いを使えることで、日本で爆発的人気を得た。
また、日本人は言葉を短縮することがよくある。例)イミフ、ファミマ、セブン、ナカメ(中目黒)。核をなしている考え方、好みは変わっていないのではないか。
(情報、データ)
棋士になって30年。情報分野が最も変わった。30年前は分析して考えることはほとんどなかった。むしろ軽蔑された。形勢不明の場面になった時に弱いだろうと思われていた。当時は作戦を決めるときもお昼のメニューを考えるのと同じ感覚。午前中は対局室で雑談。私は若手だったので大先輩の話を聞いているだけだったが。当時は午前中で勝負か決まるわけでないという考え方が主流だった。
現在は朝の開始時から雑談している余裕がない。10手で主導権を握られて、作戦負けになることもある。きめ細かく分析、分類、消化して準備してから対局に臨まなければならない。
そのため、一生懸命やっている人たちの中では差がつかなくなった。情報より創造性、スタイルが大事になってきた。とは言ってもやらないと同じ土俵に立てないという前提がある。情報収集、分析に時間をかけすぎると、アイデアが思い浮かばなくなってくる。クリエイティブなことをするための時間が少なくなっている。
(スタイル)
どういうスタイルで臨むべきか、見解が分かれている。
going my wayで 流行を無視、という人もいる。ただしその方法はちょっとずつ苦しくなっていく。なぜなら選択肢が狭まるから。相手の研究にはまらないように選択していくことは少しずつ選択肢が狭まることにつながる。
インターネット将棋の普及で、以前あった地方格差が今はない。あとは一生懸命やるかどうかの勝負。私もネット将棋をやっていたことがあるが、相手が誰だか明らかにわかるときもあった。なにはともあれ、切磋琢磨する場所ができたことが進歩を驚異的に早めた。
若い人は抵抗なくネット将棋を楽しんでいる。
先ほどの話と重なるが、全員が同じレベルになっていくと、最終的に問われるのは個性、独創性、今までにない組み合わせなど。このものと、このものの組み合わせとどうなるか、と考えることが新しいアイデアにつながっていく。
(伝統や習慣)
伝統、格式、習慣が重要視される世界なので、将棋界は革新的なことは出にくい社会だが、ごくまれに根本的に変わってしまうこともある。例えば高飛車。こういうことをやっちゃいけないだろう、ということがなくなってきた。
(ミスについて)
1年に60局ほど対局しているが、ノーミスなことはめったにない。常に改善修正の余地あり。大事なのはミスをした後にミスを重ねないこと。でも、重ねてしまうことが多い。理由は気持ちの動揺が生まれるから。客観的、冷静さを失ってしまう。
私がした最大のミスは1手詰めを見逃したこと。40秒くらい全く気づかなかった。エアポケットの状態だったのだろう。気づいた瞬間に血の気が引き、その時ばかりは非常に動揺した。対局相手(木村先生でしょう)も同様。ふつう棋士は表情に出さないが、その時ばかりは あわわわわwwとなってしまった。
ミスを重ねるもう1つの理由は、ミスをする前より難易度が上がっているため。ミスをする前は方針が明瞭で明快で間違いにくい、ミスをすると築き上げてきたものが不透明になる。何をやるべきかわからなくなるということ。
気持ちが動揺+難易度が上がるという2つの要素でミスを重ねやすくなる。
(ミスを重ねないために)
一服するのは効果的。30秒でも外の景色を眺める。冷静になりクールダウンする。
ミスをする前…一貫性、整合性のある選択肢を探す。
ミスをした後…全部捨てる、忘れる。なかったことにする。
そして、その時には反省と検証をしない!!人情としてふつうは反省と検証をその場でしてしまうが。
ミスをしても、結果的に意表を突きor相手が楽観するため勝ってしまうこともある。結果に直接的に反映されるわけではない。物事の機微ですね。
ミスをした時の棋譜は見たくない。過去の棋譜を見ると欠点だらけ、ミスだらけ。15年、20年たってから見てみると、その時は気づかなかったがミスだったということがある。ミスをミスと認識できれば改善できる。
(3手の読み)
尊敬する原田泰夫先生は「3手の読み」を提唱した。将棋の基本中の基本であるが、実は2手目(相手の手を読むの)が難しい。相手が何をしてくるか?相手の立場に立って。そこを間違えれば3手目はいくら読んでも無駄になる。2手目が読みの一番大事なところ。もちろん100%わかるわけではない。主観に伴ってやっているので考え違いもある。それでも相手が何を指してくるか予測することは非常に重要だ。
(セオリーと感覚)
ヨットで世界一周を2回した白石康次郎さんと対談したことがある。私のイメージは加山雄三。「冒険心とロマン」と思っていたが、今は世界中のどこの海にいてもGPSで位置がわかる。天気、風向きなど情報は常に送られている。ヨットの進路を決めている。
朝起きたら甲板に出る。新鮮な空気を吸う。「今日はいける」と確信を持った日には自分の感覚を信じるそう。そうでないときはGPSのデータを分析するようにしているとのこと。
セオリーや経験と、感覚は、クルマの両輪。
(後悔しやすいとき)
もし立ち寄った定食屋さんに3つしかメニューがなければ。後悔することはない。
定食屋さんに30個の選択肢があると、隣のほうがおいしいのでは?と疑心暗鬼になる。情報が増える=選択が増える=後悔しやすい。でも、最終的に選べるのは1つだけ。
過去の自分が選ばなかったことは、中立化するという視点で選ぶ
(リスク)
リスクは、時系列で異なってくる。
自分の一番得意な形、慣れている=リスクが低いやり方
しかし、10年変わらない=リスクになる。
明日すぐに方向転換する=無謀。
小さな変化をし続けていく。1日、1週間、1年→結果的に変化していた。というのが良い。
(人工知能について)
人工知能や機械学習を用いると、より正確な判断、決断をすることにつながるか?仮にそれがより正しい判断だったとしても社会が受け入れるかは別な話。
コンピューター将棋が流行っているが、AIが出している判断をたくさん見ていくことによって判断の精度が上がっていく。盲点、死角、美意識。今まで捨てていた9割の選択肢の中に良い選択肢があるかもしれない。自分自身で考える。セカンドオピニオンとしてAIに訊いてみる。最終的に何が良いか判断する。どんなに進んで行っても万能にはならない。リスク、問題のある時に、どちらが間違いを犯すことが多いか?→答えは人間であるが ダメージはAI側の方が大きい。倫理的な問題が出てくる。
(モチベーションについて)
あきらめることも寛容。マラソンランナーが先頭集団につかず減速して粘ることもあるが、あの決断は尊いと思う。
(最新形について)
青と思ったことが青でないことがある。それは仕方ないと思う。
実は最後の2つは最前列に陣取ったひげめがねが質問したことに対する回答。
「30年来の将棋ファンです。病院に勤務して初めて良かったと思いましたwww。」と前置きしたうえで、
「常に最新形を指す方法やモチベーションを教えてください」と聞いたのです。
まさかそこで「あきらめる」という回答が出てくるとは思わなんだ。ほかの話は何らかの形で聞いたことがあったので、この日一番驚いた発言でした。質問してよかった~。
あともう1つ。羽生先生はやっぱりネット将棋指してたんだね。やっぱりデクシはこのお方だったのでしょうかねえ。。。
でも、本当は9年前に取れたのに…というのが将棋クラスタの共通認識だと思います(笑)。
しかし、9年前にあっさり達成してしまうより、ずっと感動的でしたね。
で、今回のブログの目的は、将棋クラスタでない、日本人の99%の皆様が羽生先生をリスペクトしている間に、2年前のブログを引っ張りだしてきて、ひげめがね日記のアクセス数を増やそうという魂胆です(笑)。
当時はほとんどアクセス数がなかった(泣)。今回はどうでしょうかねえ?
以下、2015年11月、羽生四冠で、郷田王将への挑戦も決まっていたころのブログの再掲です。
******************************
ひげめがねは病院に勤務しているのだが、「病院の経営を考える会」になぜか羽生善治四冠が降臨!!!
病院に勤務して、初めて良かったと思いました(笑)。
以下、神の言葉(講演)の要旨を。本来であれば本を購入して数百円かかるところをひげめがねが要約して差し上げます(←なんでそんなに偉そうなの???)
あまりに長くなりすぎるので、誤字脱字等ありましたらご指摘ください。
(決断とは)
日々の生活が決断の連続。日常的に私たちがしていることである。
(何手読めるか?)
木村十四世名人は「2,000手」といったと言うが、さすがにそれは…(笑)。
私たちは直観を使っており、80パターンくらいある指し手の中で2~3手に絞り、 残りは捨てている。これは、カメラでピントを合わせる作業に似ている。今までの経験則と照らし合わせているということ。
(棋士がしていること)
将棋を指すときに使っているのは、直観と、読みと、大局観の3つである。
(直観とは)
直観と言っても闇雲ではなく、経験により瞬間的に現れるもの。
(読みとは)
読みは1つ1つシミュレーションしていくこと。ただ、闇雲に行うと数の爆発が生じる。足し算で増えるのではなく掛け算で増えるから。10手先というと、3手ずつ選択肢があるとして3の10乗=6万弱の可能性が生じてしまう。
(対局観とは)
「木を見て森を見ず」という言葉がある。視野が狭い状況。対局観とはその対極にあるもの。
具体的ではなく、また、今まであったこと過去ではなく、今後の方針、方向性である。対局観とは抽象的なものである。
対局観のメリットはショートカットすることができること。ある1点に集中できる。
(3要素のバランス)
現在棋士は10代~70代までいるが、その年代によって3要素の比重が変わる
(若いうち)読み 瞬発力→ 直観 → 対局観(年配になるにつれ)
(長考)
2日制の将棋を指すこともあり、1つの局面で長い時間をかける。ただし長考すると良い手が指せるわけではない。「長考に好手無し」という言葉が将棋界にはある。30分経つと、Aを選ぶかBを選ぶか2択に収斂する。その際は読み以上に、決断力が必要。それが調子のバロメータになっている。私は最大4時間弱考えた。だからと言ってすごい1手が指せたわけではない。逆に相手が4時間考えた時は、おやつのこと、昼食のこと、4時間あれば全国どこでも行けるな、相手がこのまま指さなかったらどうしよう…。などなど、いろいろな将棋に関係ないことを考えてしまう(笑)。
(調子のバロメータ)
運やツキやバイオリズム…科学的に証明されていないが、ずっと勝負の世界に身を置いてくると、そういうことがあると思う。調子は変化し続けている。
運やツキは人を魅惑するもの。ギャンブル、占いなど。
今ついているのか?これから先どうなるのか?ということはいつまでも考えていたいのが人情。しかし、拘りすぎると大事なことがおざなりになる。だから気にしないようにしている。
(結果が出ないとき)
不調なのか、実力なのかを見極める。「不調も3年続けば実力」という言葉が将棋界にはある。現実を真摯に受け止める。次の機会、チャンスをうかがう。
1か月、3か月、半年経って初めて身を結ぶことがほとんど。不調の時はやっていることは変えないが、気分は落ち込みやすい。そういう時は生活の中に小さなアクセントをつけるようにしている。髪型を変える、部屋の模様替え、生活習慣を変えるなど。
(モチベーション、プレッシャー)
アスリートのインタビューで「楽しんでやりたい」という言葉がよく出てくる。トレーニングを受けているのか、本当に自分で思っているのかは不明。しかし、その言葉は正しい。リラックスして楽しんでいるときに、普段自分が持っている実力を最大限発揮できる。どんな状況でもリラックスできるわけではない。どう対処していくか?最悪な状況はやる気がないときである。プレッシャーがかかっているときははやる気があるときと言える。つまり、いいところまで来ているときである。
例えば高跳びの選手を考えてみる。1m50跳べる選手は1mや2mのときはプレッシャーかからない。1m55の時にプレッシャーがかかる。もう少しで目標達成できるときにプレッシャーがかかるということ。山登りでも8合目が一番きつい。それは手ごたえがあるから。その時に能力や才能が開花する。
例えば作家。締め切りの直前でないと書かない作家が多いと聞く。〆切という避けることのできないプレッシャーに身を置くことで深く集中しているのではないか。
将棋でも日常の研究は当然しているが、一番深く考えられるのは公式戦の場。時間に追われているとき、プラスに作用することが多い。
(良い緊張と悪い緊張)
身がこわばる、体が固まる(悪い緊張)⇔身が引き締まる、程よい、ちょうどよい(良い緊張)。
(記憶)
NHK将棋トーナメントをご覧になっている方からよく言われるのは、「感想戦で100手以上もよく覚えていらっしゃいますね」ということ。
しかし、実はこれは想像以上に簡単なことである。一般の方でいうと、歌を覚えるのと一緒。皆さんの歌と同じように記譜を覚えている。
あるとき、幼稚園に呼ばれ、園児同士の対局の講評をと言われたが、この記譜を覚えるのは大変。自由奔放すぎるため。ある種のセオリーがあれば覚えられる。
また、あるテレビ番組で「盤面を記憶する」という企画があった。棋士は3秒から5秒で40枚の駒の配置を記憶できる。方法は「10枚の塊を覚える」こと。同じ番組で「将棋の駒の代わりに寿司で覚えられるか?」という企画もあった。でも、寿司の塊は寿司の塊。向きもわからないので、覚えられなかった。
(短期記憶と長期記憶)
短期記憶と長期記憶は違う。よく言われるのは「マジックナンバー7」 7±2の数字は覚えられるということ。一番良い例は電話番号。それは1時間たつと忘れる。24時間以内の復習が長期記憶に有用。
現在は記譜データベースが発達しており。早送りの機能を使えば1分間で見られ、短い時間で大量のデータ見ることができる。でも簡単に忘れる。棋士は5年後10年後も正確に覚えていなくてはならない。五感を使うこと。目から口から耳から…すべての感覚を使うと記憶が定着しやすい。
過去のデータ、記譜も5年前、10年前のものとなるとなかなか思い出せない。しかし、思い出さなければならないときがある。そこで思い出せるかどうかは記憶力では決してない。いかに深く考えたかにかかっている。記憶の糸、思考の糸からプロセスを復元する。全体像を理解していれば思い出せる。
(将棋の歴史)
古代インドが発祥と言われる。戦争の好きな王様に家臣が困り、ボードゲームを作ったといわれている。
西洋はチェス1つだが、アジアは1国に1つずつ違う種類の将棋があるのが特徴。
1000年から1500年前に日本に将棋が伝わったと考えられる。奈良の興福寺駒が最古。将棋が渡ってきたルートは、間違いなく貿易とともであったと考えられる。駒を見ればわかる。金銀財宝、桂馬香車は香辛料 玉将は昔は双玉であった。すべて貿易の主要品目、莫大な利益をもたらした物たちである。
(将棋のルールの変遷)
400年前に現在のルールに。遊びや娯楽というのは長い年月をかけて、どうしたら面白くなるか工夫した結果残るものである。
(日本将棋の特徴)
持ち駒再利用(リサイクル)と、自分の駒と相手の駒が違う(向きがわかる)のが一般的に言われるところ。
そのほかに、ダウンサイジング、小さくコンパクトにしていったことも特徴。囲碁は升目を広くし、19×19によって面白さや可能性を広げた。将棋は全く逆の道。盤の広さ、駒の数は小さく、少なくなっていって現在に至る。
「トリビアの泉」の企画で大昔の将棋(中将棋?)を指してみよう、というものがあった。1日たっても2日たっても終わらない。ある程度の時間が必要。
小さくなっていったのはガラパゴス的特徴。短歌、俳句もそう。能は表情を見せないことに収斂していった。それにより情感をむしろ増幅する。茶道もそう。ツイッターは日本発ではないが、字数が制限され。日常の言葉遣いを使えることで、日本で爆発的人気を得た。
また、日本人は言葉を短縮することがよくある。例)イミフ、ファミマ、セブン、ナカメ(中目黒)。核をなしている考え方、好みは変わっていないのではないか。
(情報、データ)
棋士になって30年。情報分野が最も変わった。30年前は分析して考えることはほとんどなかった。むしろ軽蔑された。形勢不明の場面になった時に弱いだろうと思われていた。当時は作戦を決めるときもお昼のメニューを考えるのと同じ感覚。午前中は対局室で雑談。私は若手だったので大先輩の話を聞いているだけだったが。当時は午前中で勝負か決まるわけでないという考え方が主流だった。
現在は朝の開始時から雑談している余裕がない。10手で主導権を握られて、作戦負けになることもある。きめ細かく分析、分類、消化して準備してから対局に臨まなければならない。
そのため、一生懸命やっている人たちの中では差がつかなくなった。情報より創造性、スタイルが大事になってきた。とは言ってもやらないと同じ土俵に立てないという前提がある。情報収集、分析に時間をかけすぎると、アイデアが思い浮かばなくなってくる。クリエイティブなことをするための時間が少なくなっている。
(スタイル)
どういうスタイルで臨むべきか、見解が分かれている。
going my wayで 流行を無視、という人もいる。ただしその方法はちょっとずつ苦しくなっていく。なぜなら選択肢が狭まるから。相手の研究にはまらないように選択していくことは少しずつ選択肢が狭まることにつながる。
インターネット将棋の普及で、以前あった地方格差が今はない。あとは一生懸命やるかどうかの勝負。私もネット将棋をやっていたことがあるが、相手が誰だか明らかにわかるときもあった。なにはともあれ、切磋琢磨する場所ができたことが進歩を驚異的に早めた。
若い人は抵抗なくネット将棋を楽しんでいる。
先ほどの話と重なるが、全員が同じレベルになっていくと、最終的に問われるのは個性、独創性、今までにない組み合わせなど。このものと、このものの組み合わせとどうなるか、と考えることが新しいアイデアにつながっていく。
(伝統や習慣)
伝統、格式、習慣が重要視される世界なので、将棋界は革新的なことは出にくい社会だが、ごくまれに根本的に変わってしまうこともある。例えば高飛車。こういうことをやっちゃいけないだろう、ということがなくなってきた。
(ミスについて)
1年に60局ほど対局しているが、ノーミスなことはめったにない。常に改善修正の余地あり。大事なのはミスをした後にミスを重ねないこと。でも、重ねてしまうことが多い。理由は気持ちの動揺が生まれるから。客観的、冷静さを失ってしまう。
私がした最大のミスは1手詰めを見逃したこと。40秒くらい全く気づかなかった。エアポケットの状態だったのだろう。気づいた瞬間に血の気が引き、その時ばかりは非常に動揺した。対局相手(木村先生でしょう)も同様。ふつう棋士は表情に出さないが、その時ばかりは あわわわわwwとなってしまった。
ミスを重ねるもう1つの理由は、ミスをする前より難易度が上がっているため。ミスをする前は方針が明瞭で明快で間違いにくい、ミスをすると築き上げてきたものが不透明になる。何をやるべきかわからなくなるということ。
気持ちが動揺+難易度が上がるという2つの要素でミスを重ねやすくなる。
(ミスを重ねないために)
一服するのは効果的。30秒でも外の景色を眺める。冷静になりクールダウンする。
ミスをする前…一貫性、整合性のある選択肢を探す。
ミスをした後…全部捨てる、忘れる。なかったことにする。
そして、その時には反省と検証をしない!!人情としてふつうは反省と検証をその場でしてしまうが。
ミスをしても、結果的に意表を突きor相手が楽観するため勝ってしまうこともある。結果に直接的に反映されるわけではない。物事の機微ですね。
ミスをした時の棋譜は見たくない。過去の棋譜を見ると欠点だらけ、ミスだらけ。15年、20年たってから見てみると、その時は気づかなかったがミスだったということがある。ミスをミスと認識できれば改善できる。
(3手の読み)
尊敬する原田泰夫先生は「3手の読み」を提唱した。将棋の基本中の基本であるが、実は2手目(相手の手を読むの)が難しい。相手が何をしてくるか?相手の立場に立って。そこを間違えれば3手目はいくら読んでも無駄になる。2手目が読みの一番大事なところ。もちろん100%わかるわけではない。主観に伴ってやっているので考え違いもある。それでも相手が何を指してくるか予測することは非常に重要だ。
(セオリーと感覚)
ヨットで世界一周を2回した白石康次郎さんと対談したことがある。私のイメージは加山雄三。「冒険心とロマン」と思っていたが、今は世界中のどこの海にいてもGPSで位置がわかる。天気、風向きなど情報は常に送られている。ヨットの進路を決めている。
朝起きたら甲板に出る。新鮮な空気を吸う。「今日はいける」と確信を持った日には自分の感覚を信じるそう。そうでないときはGPSのデータを分析するようにしているとのこと。
セオリーや経験と、感覚は、クルマの両輪。
(後悔しやすいとき)
もし立ち寄った定食屋さんに3つしかメニューがなければ。後悔することはない。
定食屋さんに30個の選択肢があると、隣のほうがおいしいのでは?と疑心暗鬼になる。情報が増える=選択が増える=後悔しやすい。でも、最終的に選べるのは1つだけ。
過去の自分が選ばなかったことは、中立化するという視点で選ぶ
(リスク)
リスクは、時系列で異なってくる。
自分の一番得意な形、慣れている=リスクが低いやり方
しかし、10年変わらない=リスクになる。
明日すぐに方向転換する=無謀。
小さな変化をし続けていく。1日、1週間、1年→結果的に変化していた。というのが良い。
(人工知能について)
人工知能や機械学習を用いると、より正確な判断、決断をすることにつながるか?仮にそれがより正しい判断だったとしても社会が受け入れるかは別な話。
コンピューター将棋が流行っているが、AIが出している判断をたくさん見ていくことによって判断の精度が上がっていく。盲点、死角、美意識。今まで捨てていた9割の選択肢の中に良い選択肢があるかもしれない。自分自身で考える。セカンドオピニオンとしてAIに訊いてみる。最終的に何が良いか判断する。どんなに進んで行っても万能にはならない。リスク、問題のある時に、どちらが間違いを犯すことが多いか?→答えは人間であるが ダメージはAI側の方が大きい。倫理的な問題が出てくる。
(モチベーションについて)
あきらめることも寛容。マラソンランナーが先頭集団につかず減速して粘ることもあるが、あの決断は尊いと思う。
(最新形について)
青と思ったことが青でないことがある。それは仕方ないと思う。
実は最後の2つは最前列に陣取ったひげめがねが質問したことに対する回答。
「30年来の将棋ファンです。病院に勤務して初めて良かったと思いましたwww。」と前置きしたうえで、
「常に最新形を指す方法やモチベーションを教えてください」と聞いたのです。
まさかそこで「あきらめる」という回答が出てくるとは思わなんだ。ほかの話は何らかの形で聞いたことがあったので、この日一番驚いた発言でした。質問してよかった~。
あともう1つ。羽生先生はやっぱりネット将棋指してたんだね。やっぱりデクシはこのお方だったのでしょうかねえ。。。