今日は珍しくまじめな話です(いつもまじめでなくすみません)。
本日の日本経済新聞の最終面。5月の「私の履歴書」は中原誠十六世名人(名誉王座)。将棋ヲタクとしては1日も読み飛ばせない、と思っていたところ、その横の記事に「丸田祥三」の名が。
丸田祥三氏は故・丸田祐三九段のご子息であることは、将棋文化検定1級のひげめがね(←自慢)は一目でわかること。これは将棋クラスタを喜ばせる日経の戦略なの?それはよくわかりませんが。
記事(エッセイ)は丸田氏の写真のように繊細なもので、もう今のひげめがねには書けないような内容。こういう感覚を年齢を重ねても持ち続けられるのは芸術家の特権であり、心底うらやましい限りである。
ここからはアーカイブとしてインターネット上に置いておかねばならないとの思いで書きますです。
私が丸田祥三という名を聞いて思い出すのは、10年ほど前の将棋世界。
丸田祥三氏が、陣屋での父・丸田九段を撮影した写真が掲載されていたのだが、特に赤を基調した写真が本当に素晴らしい1枚であった。記事も、陣屋事件の真相を当事者の丸田九段が語ったもので、資料としても貴重なものである。
しかしながら、この将棋世界には「米長・ホリエモン対談」も組まれており、当時の米長会長が「なんで表紙が俺とホリエモンじゃないんだ」と激高したとのこと。これは当時米長氏が自身のホームページの日記に記載していたので、よく覚えている。
丸田九段は将棋連盟理事や会長をを長くつとめられた。その手腕には毀誉褒貶あろうが、将棋界が連綿と生き延びてこられた一端は丸田九段にあるはず。いくら嫌いだからと言って、先人の功績を全く評価しない米長会長の態度に立腹したものだ。米長会長をかろうじて応援した来た私も、決定的にアンチ米長になった瞬間であった。
翌年、ホリエモンは逮捕され溜飲を下げたが、だからと言ってあの貴重な写真と記事が将棋界の話題になることもなく、多くの人も忘れ去ってしまったのではなかろうか。
今google検索しても、一目で出てくるのは「せんすぶろぐ」のみ。表紙の写真は少し深く探してみたが見当たらない。
将棋世界はほとんど処分してしまっているが、村山聖追悼号とともにその号は実家にとってあるはず。今度帰った際は読み返し、本ブログでもご紹介する所存であります。
本日の日本経済新聞の最終面。5月の「私の履歴書」は中原誠十六世名人(名誉王座)。将棋ヲタクとしては1日も読み飛ばせない、と思っていたところ、その横の記事に「丸田祥三」の名が。
丸田祥三氏は故・丸田祐三九段のご子息であることは、将棋文化検定1級のひげめがね(←自慢)は一目でわかること。これは将棋クラスタを喜ばせる日経の戦略なの?それはよくわかりませんが。
記事(エッセイ)は丸田氏の写真のように繊細なもので、もう今のひげめがねには書けないような内容。こういう感覚を年齢を重ねても持ち続けられるのは芸術家の特権であり、心底うらやましい限りである。
ここからはアーカイブとしてインターネット上に置いておかねばならないとの思いで書きますです。
私が丸田祥三という名を聞いて思い出すのは、10年ほど前の将棋世界。
丸田祥三氏が、陣屋での父・丸田九段を撮影した写真が掲載されていたのだが、特に赤を基調した写真が本当に素晴らしい1枚であった。記事も、陣屋事件の真相を当事者の丸田九段が語ったもので、資料としても貴重なものである。
しかしながら、この将棋世界には「米長・ホリエモン対談」も組まれており、当時の米長会長が「なんで表紙が俺とホリエモンじゃないんだ」と激高したとのこと。これは当時米長氏が自身のホームページの日記に記載していたので、よく覚えている。
丸田九段は将棋連盟理事や会長をを長くつとめられた。その手腕には毀誉褒貶あろうが、将棋界が連綿と生き延びてこられた一端は丸田九段にあるはず。いくら嫌いだからと言って、先人の功績を全く評価しない米長会長の態度に立腹したものだ。米長会長をかろうじて応援した来た私も、決定的にアンチ米長になった瞬間であった。
翌年、ホリエモンは逮捕され溜飲を下げたが、だからと言ってあの貴重な写真と記事が将棋界の話題になることもなく、多くの人も忘れ去ってしまったのではなかろうか。
今google検索しても、一目で出てくるのは「せんすぶろぐ」のみ。表紙の写真は少し深く探してみたが見当たらない。
将棋世界はほとんど処分してしまっているが、村山聖追悼号とともにその号は実家にとってあるはず。今度帰った際は読み返し、本ブログでもご紹介する所存であります。
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