昨日の町内旅行にて帰り道にお土産を貰った。
小さなマッタケ2本、あわび1個、りんご、柿、お菓子などの詰め合わせだ。
嬉しいんだけど、いわばツアー客を呼び込むための旅行社のイベントであり、
マッタケいれておけば、喜ぶだろうという思惑がみえみえなのがちょっとね。
マッタケが高価なのはその珍味以上に希少価値のためであって、それほど
美味しいものではない。
普段食べても数切れしか食べれないので、味わうには少なすぎるのだ。
マッタケが美味しいと思うのは大きなマッタケを数本手で裂いて炭火で焼き、
酢醤油などで、豪快に食べる事だ。
今では夢物語であるが、私の子供時代はそれが普通であった。
シーズンになると父がカゴにいっぱいのマッタケを採ってきていた。
逆にその頃の私の憧れの食べ物といえば、バナナだった。
バナナの場合は本当に美味しくて、しかし高価でなかなか食べれるものでは
なく、バナナ一本とマッタケ10本並べてどちらかを取れといわれれば、
間違いなくバナナを取っただろう。
その美味しかったバナナも一房150円程度で買えるようになると、それほど
食べたくはならなくなるところが不思議である。
それは現代の何でも金額で価値判断するところの弊害だろうか。
あるテレビで5品の料理の値段を当てる番組がある。
500円から3万円までの値段を5品にあてはめるのだが、なかなか誰も
当てられない、要はある程度のレベルがあれば、美味しさと値段はあまり
関係なく、いかに高価な食材を使って、いかに有名店が料理しているかが
価格に大きな影響を及ぼすようだ。
結論、料理は価格に惑わされず本当に美味しいものを選んで食するのが、
贅沢というものである。
小さなマッタケ2本、あわび1個、りんご、柿、お菓子などの詰め合わせだ。
嬉しいんだけど、いわばツアー客を呼び込むための旅行社のイベントであり、
マッタケいれておけば、喜ぶだろうという思惑がみえみえなのがちょっとね。
マッタケが高価なのはその珍味以上に希少価値のためであって、それほど
美味しいものではない。
普段食べても数切れしか食べれないので、味わうには少なすぎるのだ。
マッタケが美味しいと思うのは大きなマッタケを数本手で裂いて炭火で焼き、
酢醤油などで、豪快に食べる事だ。
今では夢物語であるが、私の子供時代はそれが普通であった。
シーズンになると父がカゴにいっぱいのマッタケを採ってきていた。
逆にその頃の私の憧れの食べ物といえば、バナナだった。
バナナの場合は本当に美味しくて、しかし高価でなかなか食べれるものでは
なく、バナナ一本とマッタケ10本並べてどちらかを取れといわれれば、
間違いなくバナナを取っただろう。
その美味しかったバナナも一房150円程度で買えるようになると、それほど
食べたくはならなくなるところが不思議である。
それは現代の何でも金額で価値判断するところの弊害だろうか。
あるテレビで5品の料理の値段を当てる番組がある。
500円から3万円までの値段を5品にあてはめるのだが、なかなか誰も
当てられない、要はある程度のレベルがあれば、美味しさと値段はあまり
関係なく、いかに高価な食材を使って、いかに有名店が料理しているかが
価格に大きな影響を及ぼすようだ。
結論、料理は価格に惑わされず本当に美味しいものを選んで食するのが、
贅沢というものである。