一昨日の朝、夜行バスで東京に帰りました。
今回、宮城県、仙台市に行くことになったのは、造形教室の先生”にいはる美術”の沢田先生にお誘いいただいたからなんです。熊本の大学に行く娘さんが、春休みに横浜に帰ってきたので、一緒に仙台に行くらしく、私も誘って頂きました。
でも、正直、スケジュールがあまり把握できておらず、あちらでワークショップをすることも、何をするのかも、本当にうっすらとした輪郭しか掴めていない感じでした。
で、朝早く仙台行きの新幹線に乗り、仙台駅から、長い長いバスに乗り、被害の大きかった宮城県名取市の閖上地区の海岸公園冒険広場へ。 もう、住宅街だった面影はなく、何も無い平地が広がっていました。バスも利用者がほとんどいないので、途中までしかバス停がありません。あとはカートを引いて歩いて公園に向かいます。
公園もどこかわからず、近くを歩いていたおじいちゃんに途中まで案内されて行きました。
向こうに見える松林の向こうは海です。それよりこっちは、住宅街が広がっていたそうです。
瓦礫ももうなく、人もほとんどいないので、本当に以前からこのような街だったような印象しかなかなか抱けませんでした。
もう、今は立ち入り禁止になったこの公園。
今日は臨時開園で、この公園で震災前に遊んでいた子たちが沢山集まっていました。
誘ってくれた沢田さんは横浜でのプレイパークも深く関わっていた方で、宮城でのプレイパークの関係者からも、この臨時開園を聞いて、急遽私たちも参加することになりました。私は即席でかわいらしい机と椅子を用意してもらいました。
この地区に残っている松の木になる松ぼっくりを使って、ツリーを作るワークショップをしました。
みんな、真剣に松ぼっくりを拾います。すごく真剣です。
松ぼっくりを拾うはずが、どんぐり拾いに終始していた子も。。(笑)
ほぼ、出店のようになっていて、こんな地に来ても、あまり変わらずやれてしまう自分に笑えました。
子供の手のひらにのる、かわいいツリーができたよ。
ちなみに沢田先生は布を染めるワークショップをしていて、子供たちに七色の鯉のぼりをプレゼントしたいと言っていました。う~ん、泣ける。。
たき火をする子もいました。何も話さず、ずっと火を見つめていました。やはり地元の子でお婆ちゃんの運転で30分かけて来たと言っていました。彼らは、ここに来るだけで、震災前の何気ない幸せな時間を取り戻してるのかな。。って感じました
妙に片付けられた平地と、子供達の何も変わらない笑顔。被災地だと忘れてしまいそうでした。
しかし、帰る前に公園をぐるっと散歩したら、公園の横は果てしない瓦礫の山でした。もっと遠くには家庭から出た瓦礫の山も見えます。しかし、決してよく見えるところにはなかったんです。
この滑り台は公園の真ん中に小高い丘の上にあるんですが、震災時にもプレイパークをやっていて、ここのプレーリーダーの職員さんはこの滑り台の上に避難して、自衛隊に助けられたそうです。沢山の悲劇を見たことでしょう。
最後に頂いた豚汁は温かく美味しかったです。水も電気もと通ってないのに、作るの大変だったことでしょう。忘れない味になりました。本当にスタッフの皆様、根本さん、高橋さん、ありがとうございます☆
このプレーパーク臨時開園には、関東からも外国人のご家族も来られていました。いつか被災地を見たいと、このプレーパークに参加されたそうです。そんな、いろんな想いが集まった海岸公園冒険広場の臨時開園でした。
つづく。。
今回、宮城県、仙台市に行くことになったのは、造形教室の先生”にいはる美術”の沢田先生にお誘いいただいたからなんです。熊本の大学に行く娘さんが、春休みに横浜に帰ってきたので、一緒に仙台に行くらしく、私も誘って頂きました。
でも、正直、スケジュールがあまり把握できておらず、あちらでワークショップをすることも、何をするのかも、本当にうっすらとした輪郭しか掴めていない感じでした。
で、朝早く仙台行きの新幹線に乗り、仙台駅から、長い長いバスに乗り、被害の大きかった宮城県名取市の閖上地区の海岸公園冒険広場へ。 もう、住宅街だった面影はなく、何も無い平地が広がっていました。バスも利用者がほとんどいないので、途中までしかバス停がありません。あとはカートを引いて歩いて公園に向かいます。
公園もどこかわからず、近くを歩いていたおじいちゃんに途中まで案内されて行きました。
向こうに見える松林の向こうは海です。それよりこっちは、住宅街が広がっていたそうです。
瓦礫ももうなく、人もほとんどいないので、本当に以前からこのような街だったような印象しかなかなか抱けませんでした。
もう、今は立ち入り禁止になったこの公園。
今日は臨時開園で、この公園で震災前に遊んでいた子たちが沢山集まっていました。
誘ってくれた沢田さんは横浜でのプレイパークも深く関わっていた方で、宮城でのプレイパークの関係者からも、この臨時開園を聞いて、急遽私たちも参加することになりました。私は即席でかわいらしい机と椅子を用意してもらいました。
この地区に残っている松の木になる松ぼっくりを使って、ツリーを作るワークショップをしました。
みんな、真剣に松ぼっくりを拾います。すごく真剣です。
松ぼっくりを拾うはずが、どんぐり拾いに終始していた子も。。(笑)
ほぼ、出店のようになっていて、こんな地に来ても、あまり変わらずやれてしまう自分に笑えました。
子供の手のひらにのる、かわいいツリーができたよ。
ちなみに沢田先生は布を染めるワークショップをしていて、子供たちに七色の鯉のぼりをプレゼントしたいと言っていました。う~ん、泣ける。。
たき火をする子もいました。何も話さず、ずっと火を見つめていました。やはり地元の子でお婆ちゃんの運転で30分かけて来たと言っていました。彼らは、ここに来るだけで、震災前の何気ない幸せな時間を取り戻してるのかな。。って感じました
妙に片付けられた平地と、子供達の何も変わらない笑顔。被災地だと忘れてしまいそうでした。
しかし、帰る前に公園をぐるっと散歩したら、公園の横は果てしない瓦礫の山でした。もっと遠くには家庭から出た瓦礫の山も見えます。しかし、決してよく見えるところにはなかったんです。
この滑り台は公園の真ん中に小高い丘の上にあるんですが、震災時にもプレイパークをやっていて、ここのプレーリーダーの職員さんはこの滑り台の上に避難して、自衛隊に助けられたそうです。沢山の悲劇を見たことでしょう。
最後に頂いた豚汁は温かく美味しかったです。水も電気もと通ってないのに、作るの大変だったことでしょう。忘れない味になりました。本当にスタッフの皆様、根本さん、高橋さん、ありがとうございます☆
このプレーパーク臨時開園には、関東からも外国人のご家族も来られていました。いつか被災地を見たいと、このプレーパークに参加されたそうです。そんな、いろんな想いが集まった海岸公園冒険広場の臨時開園でした。
つづく。。