お昼休みのお遊びは
鎌倉殿の13人の28歳で
公暁に殺された実朝の
辞世の句を書きました。
自分がいなくなっても
春になれば梅の花が咲く
植物の寿命は人間よりも
ずっと長いかも知れん。
そっか・・うちのバラは
どの位の年数咲くのかな❔
生きて欲しいね。
・・宿命の話。
宿命って
山登りの終点に似ているなぁって思う。
いくつものコースが
あって、
いくつもの分岐点を
選択しながら登るけど、
終点は同じだ。
終点=結果かね❔
そしたら
なぁんだと思って・・
人生のコースが
色々あっても
結果は同じなんだと
思えたら
たびたび私の中に
登場する
後悔って言葉はいらんなと
気持ちが楽になった。
例えば私が余命宣告
されたとして、
あの時に病院へ行って
いたら・・とか
医者がもっと検査を
してくれれば・・とか
『たら、れば』の後悔に
苦しみもがいても
結果は同じじゃないか❔
人生のコースが違うだけで
そこで若干、
命の長さが変わるかも
知れないが、
その長くなった分が
意識の無い状態であったり
病気の壮絶な苦しみで
あったなら
命があると言えるのかな❔
私は今まで沢山の後悔を
地引網の如く引きずって
歩いて来た。
だけど考えたら
タイムマシンで
過去に戻って、
後悔を排除して来ても
たぶん新たな後悔が
生まれるに違いない。
宿命に逆らわない事が
後悔しない人生を
歩けるのかも❔と
思った次第でございます。
こんな稚拙な
くだらん文を書く為に
何日も悩んで
ブログの更新が
できんかったわ
アホです。
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