文学部教授で哲学・倫理学を専攻する著者が一番言いたい事は「わたしたちはじぶんらしくあることを
じぶんに対し過剰に求めすぎる」だと思う。それは名前を失えば大部分瓦解してしまうのに、「わたし
らしくあらねばならない」という強迫観念にだれもががんじがらめになっている、と。確かに自分とい
う存在を浮き彫りにしたいという承認欲求は、あらゆる局面で強くなっている感がある。
著者がプロローグに選んだのは、自身が10年前に勤務していた私立大学の倫理学の授業で出された女子
学生の答案で、タイトルは「〈大好きだ!〉攻撃」。つき合って間もない彼氏は、会っていて気分がい
いので、毎日のように会っていると、彼は「N子ちゃんが好きだ」と何度も何度も繰り返し口にするよ
うになる。はじめはわるい気がしなかったが、違和感を抱き、しだいに返事をするのがおっくうになり、
黙り込んでしまうと、彼は「照屋さんなんだから....」と囁いたという。
この発言にあるメッセージは〈あなたはじぶんがそのように感じていると考えるかもしれないが、あな
たはほんとうはそのようにかんじているのではないことをわたしは知っている〉というものだという。
ここでは《他者の他者》としてのじぶんは、その存在を認められていない。彼女は、彼の「愛情」のな
かでアップアップ溺れそうになるじぶんに不安になり、しばらくして彼と別れる決心をしたそうだ。
彼がストーカーと化したかは本文中にないが、この問題から解放されるために著者が提言していること
の一つが「じぶんを複数にすること」で、おとなか子どもか、はたまた老人か、などどいちいち考えな
いこと、時間というリニアなスケールをはずし、あの場所に行ったらじぶんはだれになり、この場所に
行ったらだれになる、というふうに、じぶんを膨らましたり縮めたり、部分的に取り替えたりできるよ
うな生活を思い描いてみようというものだ。
生きていくことで思い悩むことが増えている気がする。情報があまりに氾濫しすぎていることが要因の
一つだと思う。極力ひらがなを多用することで、いつも読んでいる本もズイブン印象が変わり、読みな
がら立ち止まり、色々考えさせられながら読みました。
じぶん・この不思議な存在 鷲田清一 講談社現代新書
じぶんに対し過剰に求めすぎる」だと思う。それは名前を失えば大部分瓦解してしまうのに、「わたし
らしくあらねばならない」という強迫観念にだれもががんじがらめになっている、と。確かに自分とい
う存在を浮き彫りにしたいという承認欲求は、あらゆる局面で強くなっている感がある。
著者がプロローグに選んだのは、自身が10年前に勤務していた私立大学の倫理学の授業で出された女子
学生の答案で、タイトルは「〈大好きだ!〉攻撃」。つき合って間もない彼氏は、会っていて気分がい
いので、毎日のように会っていると、彼は「N子ちゃんが好きだ」と何度も何度も繰り返し口にするよ
うになる。はじめはわるい気がしなかったが、違和感を抱き、しだいに返事をするのがおっくうになり、
黙り込んでしまうと、彼は「照屋さんなんだから....」と囁いたという。
この発言にあるメッセージは〈あなたはじぶんがそのように感じていると考えるかもしれないが、あな
たはほんとうはそのようにかんじているのではないことをわたしは知っている〉というものだという。
ここでは《他者の他者》としてのじぶんは、その存在を認められていない。彼女は、彼の「愛情」のな
かでアップアップ溺れそうになるじぶんに不安になり、しばらくして彼と別れる決心をしたそうだ。
彼がストーカーと化したかは本文中にないが、この問題から解放されるために著者が提言していること
の一つが「じぶんを複数にすること」で、おとなか子どもか、はたまた老人か、などどいちいち考えな
いこと、時間というリニアなスケールをはずし、あの場所に行ったらじぶんはだれになり、この場所に
行ったらだれになる、というふうに、じぶんを膨らましたり縮めたり、部分的に取り替えたりできるよ
うな生活を思い描いてみようというものだ。
生きていくことで思い悩むことが増えている気がする。情報があまりに氾濫しすぎていることが要因の
一つだと思う。極力ひらがなを多用することで、いつも読んでいる本もズイブン印象が変わり、読みな
がら立ち止まり、色々考えさせられながら読みました。
じぶん・この不思議な存在 鷲田清一 講談社現代新書