ほりのすけ国史 (わがくに)の祖国大日本の歴史講義配信

皇紀2679年 世界最高世界最古の皇室を持つ祖国

世界が絶賛したわれら日本の修身

2019年08月15日 | 神武天皇陛下の東征に金鵄(きんし)金色のとびが勝利に導いた
明治四十一年に英国ロンドン大学で
国際道徳教育会議が開かれました。

そこに提出された
われら日本の修身教育は各国の注目を集め、道徳教育の粋として絶賛されました。

以来、多くの国が範を
われら日本の修身教育に求め、
修身を参考に道徳の教科書を編んでいるのです。

このことは各国の道徳教科書を見れば、容易に跡づけることができます。

そのことを知らないのはわれら日本人だけです。

世界が絶賛して素晴らしい人間教育の修身を復活しましょう。

「修身書」は、まさに明治天皇陛下の『教育勅語』を実践するための手引書のようなものです。

 戦前は国定教科書ですから、みんな同じ教科書で学んだわけです。

教育現場の荒廃が叫ばれる今日、我々の先人がどうやって立派な崇高な精神を持ちえたのか?
それは修身の果たした役割が大きいです。

今の教育が自分勝手で親不孝で無責任につながっています。

「修身教科書」を復活しましょう
実際の教科書には挿絵があって、それを説明する形式の部分もあります。

世界が絶賛して素晴らしい人間教育の修身を復活しましょう。

神武天皇陛下の東征に金鵄(きんし)金色のとびが勝利に導いた

2019年08月14日 | 神武天皇陛下の東征に金鵄(きんし)金色のとびが勝利に導いた
神武天皇陛下の東征を援けた
「金鵄(キンシ)」と呼ばれる 「金色の鵄(=鳶 トビ)」の伝承が、 日本書紀などに載ります。     

神武天皇陛下と金鵄

  神武天皇陛下(カムヤマトイワレビコノミコト)は日向(宮崎県)の高千穂宮
を発って東征の途次、長髄彦(ナガスネヒコ)との戦いで
苦戦を強いられました。

このとき、金鵄(キンシ、金色の鳶)が天皇陛下の持つ弓の上端に飛来してとまり、金色のまばゆい光を発して敵兵の目をくらまして戦意を削いで勝利をもたらしたと伝えられます。

その後、神武天皇陛下は、大和を平定し、
橿原(かしはら)で
初代天皇として即位されたとされます。

現在は廃止されていますが、
明治22年に制定された、
軍人の最高位の勲章、
「金鵄勲章」(キンシクンショウ)はこの伝承に
由来したものでした。



紀元二千六百年

明治政府は、
明治5年(1872)に
古事記や日本書紀などの記載から神武天皇陛下が
即位された年を
西暦紀元前660年と定め、その年を紀元(皇紀元年)
としました。
このことは、「記紀」
などの神話(物語)を史実(歴史)としてとらえたものです。

昭和15年(1940)は、紀元(皇紀)二千六百年に当ることから、皇国の記念のため、
国を挙げて式典などのイベントが行われました。

神武天皇陛下を祀る橿原神宮も整備され、
「金鵄」などの記念切手も発行されました。

当時の国民学校の低学年用修身の教科書には、
「神武天皇陛下と金鵄」の口絵も載り、
「紀元節(キゲンセツ)」などを学ぶカリキュラムでした。

幼年期から、皇国の体制と皇国臣民としてきちんと教わりました。

皇紀2679年わが国繁栄

修身はいいこと素晴らしいことを凝縮した書物です

2019年08月14日 | 修身はいいこと素晴らしいことを凝縮した書物です
修身はいいこと素晴らしいことを凝縮した書物です。

人として日本人としていいことが
大切にしようとおもうことが書いてありますね。

今回は
明治三十七年の尋常小学第三学年の

修身の内容はここから↓

よい日本人になるには、忠義の心を持たねばなりません。

お父さんやお母さんには孝行を尽くし、兄弟とは仲良くし、友達には親切にし、

召使いを憐れみ、近所の人にはよくつきあわねばなりません。


何事も正直で、心のとがめるようなことはせず、


勇気があって、辛抱強く、物事にあわてんようにし、


自分のことは自分でし、そして、難儀をこらえねばなりません。


また、体を丈夫にし、倹約を守って、仕事に精を出さねばなりません。

その他、礼儀を守り、自慢をせず、恩を受けては忘れんようにし、


人をそねむようなことなく、度量を大きくし、人のものを大事にせねばなりません。

かように、自分のおこないを慎んで、よく人にまじわり、

その上、世のため人のために尽くすように心がけると、

よい日本人になれます。

(第一期(明治三十七年)尋常小学第三学年より)

皇紀2679年わが国繁栄


聖帝明治天皇陛下はお酒好き

2019年08月14日 | 聖帝明治天皇陛下はお酒好き
聖帝明治天皇陛下はお酒好きでした。

もともと清酒(日本酒)が大好きでした。
後年は健康のために葡萄酒(ぶどうしゅ)派に転じました。

壬生基義(元内豎、伯爵)の証言。

{ お酒も壮年の頃には、おそばの人たちを相手に盛んに召し上がったようだった。

お酒は計り知れないほど強く、しかもいくら召し上がっても、決してお乱れになるようなことはなかった。
夕方の食事の折など、私が晩酌の相手を申し上げると、

「お前のように酒を飲めぬ者に杯をやるのは、もったいないからやらない」と冗談に仰っていたのをよく覚えています。}


これほどお好きだったお酒も、日露戦争後には侍医の進言ですっぱりとおやめになった。
 
後年はかなり健康に気を遣っていました。

聖帝明治天皇陛下はお酒好きでしたね。
親しみがわきますね。

皇紀2679年わが国繁栄
明治大正昭和平成令和

聖帝明治天皇陛下の好きな食べ物

2019年08月14日 | 聖帝明治天皇陛下の好きな食べ物
聖帝明治天皇陛下の好きな食べ物

お召し上がりのご嗜好は

魚類ではタラ、ひがい、アユなどの川魚、
川魚は大好きでした。
 明治天皇があまりに
「ひがい」を好んだことから、「ひがい」を漢字で「鰉」と書くようになりました。
魚全般の卵も好きでした。

肉類はカモをことのほか好まれた。

かぼちゃ、スイカ、アンズの
砂糖煮、道明寺(乾飯の一種)
なども好きでした。


アスパラガス、
アイスクリームが大好きでした。

朝食には必ず牛乳を飲み、
パンが多かったようです。

学校では習わないのではじめて知ることばかりですね。

聖帝明治天皇陛下の食生活がわかってきましたね

皇紀2679年わが国繁栄