宮下昌也の近況報告    MASAYA MIYASHITA 's News

美術家・宮下昌也の展覧会、ライブペインティングなどの活動情報と
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思い出の街と今の現実(リアル)

2010-10-05 | 地域生活
日曜日に卒業以来30年ぶりに開催された高校の同窓会に行ってきました。僕にとっては過去の思い出の街となってしまった吉祥寺のホテルのラウンジに集まったのは学年の半数近いの135人。卒業してから付き合いのある人は数える程なので、ほとんどが30年ぶりに見る顔で何とも感慨深い時間を過ごしました。とりとめの無い談話の中で、ある人が「ここに来れてるってだけで、すごいよね~.....。」と言っていましたが、確かに来ている理由はノスタルジー?、恐いもの見たさ?、いろいろあるだろうけど、ほとんどの人にとって各自の日常と全く関係性のない集いに参加しているということは、そこにいるメンバーはいろいろな意味で、ある程度日常から抜け出す精神的余裕があるから来れている訳で、そう思うと10年前に同窓会のお誘いを受けても、行く気になれなかっただろうな~と思ったりもしました。
1次会2次会と続いて、場所を変えて3次会も!という流れになり、この場を去ると今会っている人のほとんどはもう自分の人生に登場しないかも、と思うと名残惜しかったけれど、この辺で僕は僕の日常に戻ることにしました。この日から再びつながるご縁もあるかもしれないしね。幹事さん達、お疲れさまでした。素敵な会をありがとう!

さて、日常に戻ろう.......。


今の日常は、これです。
山の栗が最盛期で毎朝拾いにいっています。


イガからこぼれて朝露にぬれた実は宝石のように美しい。うちは山暮らしのわりに山菜はあまり採りにいかないけれど、栗だけは別格です。広子ちゃんはこの時期朝犬の散歩に出るとなかなか帰ってきません。


これは動物たちの食べ跡。落ちている栗は動物たちにかなり食べ散らかされています。猿、イノシシ、鹿それとネズミなんかの小動物達。みんな大好物。


栗拾い中に発見したイノシシのぬた場です。まだ、獣臭かったのできっと数時間前までここにいたのでしょう。動物たちの作った獣道を通り、彼らと同じように栗を探していると、例の魔法のことばの詩が頭をよぎります。


ずっと、ずっと大昔
人と動物がともにこの世に住んでいたとき
なりたいと思えば人が動物になれたし
動物が人にもなれた。
だから時には人だったり、時には動物だったり
互いに区別はなかったのだ。

今の僕にとってはこの詩の方が、思い出の街にあふれていたコマーシャリズムのメッセージよりよっぽどリアルだ。


動物たちの食べ残しを拾い集めても充分な収穫。
今年は栗の当たり年なのでしょう。もう2回栗ごはんを食べたけどまだこれだけあります。うれしやたのしや!

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