先日受講したコンポストトイレワークショップで学んだことを実践する第一段階として、庭にコンポストステーションを作りました。コンポストステーションなんて横文字の名前で呼ばれているけど、只の堆肥置き場。生活の中の有機ゴミを、ここで堆肥に替えていく実験場所です。
すでに刈った草や生ゴミ、赤ちゃんのうんこなどを投入。今まで厄介者だった有機ゴミが、急に大切な窒素分に見えて来ました。
逆に田舎暮らし20年にして、なんで今まで堆肥置き場を作らなかったのかが不思議に思えて来ました。
考えてみると、僕の農的生活の入り口は福岡正信さんの自然農法の本だったので、「全ての人知人為はいっさい無に等しい」という福岡さんの究極哲学にインスパイアされ「耕さず、草を刈らず、肥料もやらず、虫も捕らず」の実践から入っていったからなのだ、と思い当たりました。実際に畑仕事をしてみれば、この言葉が額面通りの物ではなく、プロのお百姓の言う「不耕機無除草」と素人の考えるそれには大きなギャップがあることはすぐに分かりました。それでも基本はあまり余計な事はせず、刈った草はそのまま畑に敷いたり果樹の根元に寄せるだけにしてました。これはけっこうイイ感じでしたが、生ゴミ処理はなかなか苦戦していたのでこの辺が改善されていくのが、楽しみです。
パーマカルチャーにある「かつて命のあった全ての物は堆肥にする事が出来る」という考え方は、無に等しいかもしれない人知人為を持って、自然界での人間の居場所を見つめ直すきっかけになるかもしれません。なんとなく僕の行っているネイチャークラフトワークショップに近いです。自然素材で作品を作る事で、一歩自然に近づいて行く。有機ゴミも自然素材だから、ある意味これも一種のクラフトワークですね。
すでに刈った草や生ゴミ、赤ちゃんのうんこなどを投入。今まで厄介者だった有機ゴミが、急に大切な窒素分に見えて来ました。
逆に田舎暮らし20年にして、なんで今まで堆肥置き場を作らなかったのかが不思議に思えて来ました。
考えてみると、僕の農的生活の入り口は福岡正信さんの自然農法の本だったので、「全ての人知人為はいっさい無に等しい」という福岡さんの究極哲学にインスパイアされ「耕さず、草を刈らず、肥料もやらず、虫も捕らず」の実践から入っていったからなのだ、と思い当たりました。実際に畑仕事をしてみれば、この言葉が額面通りの物ではなく、プロのお百姓の言う「不耕機無除草」と素人の考えるそれには大きなギャップがあることはすぐに分かりました。それでも基本はあまり余計な事はせず、刈った草はそのまま畑に敷いたり果樹の根元に寄せるだけにしてました。これはけっこうイイ感じでしたが、生ゴミ処理はなかなか苦戦していたのでこの辺が改善されていくのが、楽しみです。
パーマカルチャーにある「かつて命のあった全ての物は堆肥にする事が出来る」という考え方は、無に等しいかもしれない人知人為を持って、自然界での人間の居場所を見つめ直すきっかけになるかもしれません。なんとなく僕の行っているネイチャークラフトワークショップに近いです。自然素材で作品を作る事で、一歩自然に近づいて行く。有機ゴミも自然素材だから、ある意味これも一種のクラフトワークですね。