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79歳の老人です。2年前まで現役で仕事をしていましたが、今は、趣味の
囲碁と読書と旅行などのほか朝の散歩が楽しみです。

アメリカとイランの敵対に思う

2020-01-13 09:33:42 | 日記

            中国桂林の公園

暖かい冬の日が続いています。今朝も、青空に恵まれ、富士山を拝むことができ

ました。先週の話題は、アメリカとイランの対立でした。トランプ大統領の命令で

イランの革命防衛隊のソレイマン司令官を殺害したからその報復から米軍基地を

ミサイルで攻撃したのだ。しかし、米国はでは、その攻撃を事前にキャッチして、

死者はでなかったが、これに対して、アメリカが反撃しなかったことは、懸命で

あったと思う。このアメリカとイランはどうしてこんなにも仲がわるくなったので

あろうか。私がイランに仕事で出張した1973年の頃は、パーレビー王朝のマホメット・レザ

ー・シャーがアメリカのCIAの主導により、モサッデグ政権を打倒して、復権していた。

そのことは、あらゆる家々では、このシャーの王様の写真を掲げており、アメリカが

内政干渉していた時代であったことを後で知った。しかし、この頃は、日本からは、

NECや東芝などの沢山の企業がイランの国の各地で通信設備や電力設備などで

活躍していた。 このころは、お酒も飲めるし、服装も西洋化が進んでおり、貿易も

盛んに行われていたようだ。しかし、これは、1952年に民族主義者のソサッデグが英

国の所有する石油会社の国有化したが、これをCIAの策謀によって、イラン石油利

権を英40%、米40%、仏6%、蘭14%の割合で25年間分割する契約を結ばされて

おり、この外国資本により、急発展していたのである。この契約時、この調印をしな

い場合は、石油は、販売禁止するとこれらの国々が行ったのに対して、日本は、現在

の出光に当たる石油会社が、強引にイランの港まで輸送船を送り、日本まで輸入し

たのだ。このことが、現在も、日本に対して、イラン国民が好意を持っているのにつな

がっているのである。しかし、その後、イスラム的な宗教集団を政権から遠ざけるこ

とに反発が起こり、亡命先から、イスラムの指導者のホメイニが帰国し、革命を実施

するのである。その1978年以降は、それまでに行ったアメリカの政策に対する反発

の事件が頻発して行くのである。これが、今回の事件の背景にあることは、明らかで

あろう。

 

 


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