数年前に熊本へ里帰りした折、友達と菊池の史跡をおもいだした。この時撮ってきたのが
この古代山城のあとである。これは、日本が大和朝廷が完成した、西暦600年ごろに、朝鮮では、
三国時代で、高句麗と新羅の連合国軍に追われて、今の韓国釜山まで、おいつめられたのか゛
百済であった。これを支援するために、九州各地に設けられた、大和朝廷の軍隊が駐屯したのが
このような山城であったが、食料の保管櫓、武器倉庫などの校倉造りの中に、このような塔も中心
におかれている。ここから、朝鮮へ軍隊が出動し、ソウルの郊外で戦っている。このころは推古天皇の
頃で、この前後に、百済から追われた朝鮮人が、日本の各地に住み着いたようだ。このころ、この大和朝廷
が全国を統一し、遣隋使などを使って、中国との貿易を盛んにし、律令制度を構築し、農村から年貢を
取り立てる制度と、その制度を維持するための、現在の警察にあたる人を採用し、年貢の取り立てと
村や町を維持する役人としたようだ。この警察にあたる人をその後は、検非違使と称し、このような
戦いにも参加したのでしょう。この仕組みが奈良時代に完成し、奈良に平城京が置かれ、国の役人の中心地となり、
左大臣、右大臣がそのトップになされ、天皇を支えたのだ。
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