3月に入って、暖かくなってきた。多摩川の土手の桜のつぼみが膨らんできた。
今年は、1週間ばかり、桜の開花が早いそうだ。今日は、先日に続いて、韓国が
どうして、産業革命が日本より遅れて、日本に併合することになったのかを調べて
見た。日本では室町時代から明治時代であった李氏朝鮮王朝は徹底した儒教(朱子学)
の国家であったが、この学問に基づき、保守的な政治制度を固守し、身分制度と上下
関係が絶対、生まれながらにして身分が高くなければ出世できず、体を動かす兵士や
職人は卑しくみられ、商売や新技術は悪とすら考えて規制された。このような状況
の中で、支配階級(両班)の権威と利権が著しく強くなり、一般庶民はただひたすら
搾り取られるだけの存在となってしまった。末期の李氏朝鮮では、両班階層の人口が
このようなことから、増加し、45%を占めるようになって、日本の武士階級が全体
の10%であったことと大きく異なり、国家を維持できなくなっていった。この頃
日本では、明治に入り、産業革命がなされ、朝鮮でも、近代化しなければだめとの
ことで開始するが、両班階層は利権を手放すことが死活問題であることから、税制
改革ができずに財政破綻がおきた。この李氏朝鮮を蛮族と見た日本が何かと圧力を
かけてくるのを嫌って、清やロシアに国を切り売りしてでも、保持しょうとした。
ところが、清もロシアも戦争で日本に負けて、朝鮮半島から追い出され、日本
の言うことを聞かなければならなくたった。日本は、この両班階層の利権を否定
し、近代化を図るべく、推進派の朝鮮人と日本人で組んで日韓併合を推し進め
て、日本国内にして、一気に資金を導入し近代化しょうと考えた。この時に
これに反対して、上海に臨時政府を樹立して、立ち上げたのが大韓民国であり、
この時から、日本を毛嫌いするようになったのであるが、この朝鮮は、中国や
ロシアと陸続きであり、常に、隣国からの侵入を受け、その属国としてでなければ
国を維持できないことを繰り返してきている。また、産業革命が行われたのは
実際は、日本の統治時代と、第二次大戦後の日本からの賠償資金で起したことを
いっこうに取り上げることもなく、強い周辺の国を見ながら、動く政権であり、
現在もその傾向があることに変わりはない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます