8月に入り、終戦の15日がちかずいてきました。戦後、72年になりますが、私の記憶が薄れない
ない内に、その頃すごしたことを記録しておきたいと思いました。夏の暑い時期でもあり、しばらく暑さを
避けることから、散歩をひかえていることもあり、数回に渡って記述します。先日、満州での記憶で、ソ連
兵が自宅に押し入ってきたことを書きましたが、日ソ不可侵条約を破って、終戦後に満州へせめてきたのです。
この時、新京にもソ連軍が入って来て、父が連行されましたが、すぐにもどってきました。大勢の日本人の成人
の男性がシベリアへ強制労働のため、連行されましたが、その数は、約35万人ほどだったと後で知りました。
どうして、父がもどってきたかと言うと、満州電業の社員で、満州の電力のすべてを把握していることで、
停止している電気設備を稼働させたかったのではないかと思う。このように、当時、日本の技術者の多くが
そのまま、会社での仕事を継続させられたようだ。その後、帰国支援協会から、満州の奥地から、命からがら
逃げてきた、人をしばらくの間、滞在させてほしい依頼があり、わが家には、Oさんが来た。この人は、
父の友人の奥さんで、友人は、シベリアへ連行されたが、本人は、なかに礼の(赤い月)小説のような
状況を経て、新京までにげてきたのだ。私の兄弟は、男ばかりの5人で、丁度末の子が、この当時、母の
おなかの中にはいたのですが、このOさんは看護婦の免許を持った人で、その後のお産の時など、いろいろ
と、お世話になったが、数か月の後、帰国していった。この後は、明日にします。
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