小学3年生の時に、担任がクラス全員に
算数問題を配り、
「できない子は居残りです。
わかるまで帰れませんよ。」と言った。
クラスの子達は黙々と問題に取り組み、
次々と合格してた。
題のとおり、俺はその問題ができなかった。
どういう問題だったかも覚えてない。
わからなかった・・
そして、最後の一人になった。
先生は、
「もういいわ 明日 またがんばりましょう」
みたいなことを言われ教室を後にした。
その後 その問題ができたかどうかわからない。
今 あのシーンを思い出すことがある。
3年生の算数が嫌いだったことしか覚えてない。
それから、中学に進み数学や英語が好きになって、
成績が良かったりする。
高校に入ってから、数学は結構好きで、
問題が解けた時の達成感がたまらなかった。
英語も好きで得意だったけど、
ハワイではサンキューと
ハウマッチ? ユーアーウェルカムしか
話せなかった。
それが現実だと痛感した。
今はGoogle翻訳があるから
困らないらしい。
あの時の算数 今もたぶんわからないだろうなあ 笑
当時の担任は女性の先生で怖かった。
教えることが熱心な先生だったんだろうけど、
俺はその先生が嫌いだったことは言うまでもない。
この記事を書いたことで解放されたかもしれない。
なんかスカッとしたし♪
今だったら、大問題になった出来事を
知ってますが、それでOKだった当時の世相を、
今の若い人には言えないですね
雪の上・・・
うひゃあ レベルが凄すぎる・・・
また、同じ学年の時、石膏を見本と同じように作成するように言われ、出来なかったので、かなり怒られました。
見本って、先生の見本ではなく、よく美術室にある見本です。
※要するに美術家レベル
運動も大して得意ではないので、小学校の時の思い出は劣等感しかありません。
ひゅうさんの中学校で起死回生、羨ましいですね。
その先生は、ちなみに校長先生まで出世しました。
昭和時代とは言え、かなりスパルタで恐ろしい先生でした。