9月20日付、朝日新聞朝刊(14版)の社会面(p30)に載っていた『砂時計』というコラムを読んで、つい自分の学生時代を思い出してしました。
コラムのタイトルは、「風呂なし、夢あり、4畳半」。岩手県生まれのある不動産屋の社長さんの波乱含みの人生を紹介しています。この社長さん、1984年に東京に出てきた頃、新宿近くの風呂なし4畳半のアパートに住んで、バイトをしながら私立大学に通ったそうです。「同級生たちは、ユニットバス付きのワンルームマンションに住み、サークル活動や男女交際を満喫して」いたらしく、その後、6畳の部屋に移り住んだ時、「自分の居場所が見つかった気がした」のだそうです。
私が、1984年に松江から東京に出てきて、最初に住んだのがまさに「家賃2万2千円、和室4畳半、風呂なし、トイレ共同」のアパートでした。先に東京に出てきていた兄も同じようなアパートに住んでいたので、学生にはこれが普通だろうと思っていたのです。ところがそれが大違い。大学で、私の周りには自宅生や、いいとこ出の学生が多く、彼らは車を乗り回したり新築のアパートに住んだりで、結構優雅な生活を送っていました。地方から出てきた下宿生とは、生活レベルに歴然とした差があったのですね。
最初は、アルバイトとかもしていませんでしたから、仕送りだけで月々の収支はギリギリ。仕送り前にお金を使い果たしてしまった時には、パンの耳を安く仕入れてそれで三食すませたり、袋入りのインスタントラーメンを買ってきて、粉末スープをまぶせてバリバリ食べたりしたこともありました(苦笑)。
その後、アルバイトをするようになってから、和室6畳トイレ付きの部屋に引っ越したのですが、そこも風呂なしでした。銭湯までちょっと遠くて、夜遅くなって銭湯の就業時間が迫ると、銭湯まで大急ぎで走ってましたね。結局、銭湯の時間に間に合わなくて、部屋の流しで頭を洗ったことも数えられないくらいありました。
結局、私が初めて「自分の居場所が見つかった」と思ったのは、1992年に全電通本部に入って、はじめて風呂・トイレ付きのアパートを自分の給料で借りることができた時、ですね。ようやく、独り立ちできたって気になれたわけです。
冒頭の「砂時計」に戻ると、その不動産屋の社長さんは今、「風呂なしアパート専門」の情報サイトを作って、ご自分が昔暮らしたような4畳半の物件を紹介しているんだそうです。あまり儲けにもならず、手間もかかるのに、「あきらめずに再出発するための場所を提供したい」と。いい話ですね。いい話ですが、それはつまり、学生に限らず、今でも多くの方々がこういう物件を必要としている、ということなのでしょう。
多分、この「4畳半ネット」がそのサイトだと思うのですが、皆さんもお時間のあるときにぜひ一度、ご覧あれ。往時を懐かしむのも良し、東京にこんな物件があるんだと驚くのも良し、そしてまた、東京の厳しい生活環境の現実を知るのも良し、です。
あっ、実は今日のこの話、日本における大学の教育費の問題につなげていきたかったのですが、話がそれてしまいましたね。残念ですが、本題はまた別の機会に・・・。