ネット上のどこかのブログで書評を読んで、刺激的なタイトルに誘われて読んでみました。
筆者は、この10年、日本には多くの緊急(雇用、医療、年金、教育、地方などなど)の課題があったにも関わらず、1990年代後半からの自民党政治は全く何もして来なかった。特に、小泉・竹中は、「国民が欲していなかった」郵政の民営化をシングル・イシューに、800億円もの税金を浪費して総選挙を断行したと強く批判しています。
郵政民営化は全く必要なかったにも関わらず、それをごり押しした小泉・竹中。では何のための郵政民営化だったのか?という問いに、筆者は「郵政民営化の基本方針」とアメリカからの「年次改革要望書」の郵政事業改革に関する要望が酷似していることを指摘し、世界一の資金量を誇る郵政の弱体化と、郵政資金340兆円を狙った米国、そして日本と世界の金融資本のための民営化ではなかったのかと疑問を呈しています。郵政340兆円、さらに郵政が保有していた資産は、日本国民の資産で、国民のために使われるべきなのに、それが今、切り刻まれていると、筆者は嘆いています。
私が共感を持ったのは、本来、自民党(小泉・竹中)政権がやるべきは、郵政事業を国民生活の向上のために、政治の責任において最大限、発展させることだったはずで、民営化して民間に丸投げし、あとは利益を考えてお好きにどうぞと投げ出すことではなかったはずという筆者の指摘です。「郵政事業の公共性、ユニバーサルサービスは民営化によって明らかに低下」してしまって、それによってさらなる地方や高齢者の切り捨てが進行しているのです。
改めて、失われた十年に何が起きたのか、なぜそれが起きたのかを考えさせてくれる本でした。