http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140101/plc14010120300012-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140101/plc14010120310013-n1.htm
編集にもよるのかも知れないけど、終始、安倍首相が饒舌な感じで、秋元氏はというと、有意のことを語らない、新情報を語らない、お馴染みの秋元氏だった。なので、AKB関連の話題も、安倍首相側から持ち出す形になってる。
以下引用
昨年12月の日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)特別首脳会議のガラディナー(晩餐(ばんさん)会)で、AKB48とEXILEとw-indsに歌ってもらいました。普通ですとね、日本の伝統芸能を見せるんです。
いろいろな議論がありましたが、やはり生でAKBを見るとビックリするんですね(笑)。皆さん、目がくぎ付けになって。相当なインパクトで、「自分たちの国にはそんなのない」と。
以上引用
ガラディナーについては以前取り上げたけど、この安倍首相の指摘は、私もけっこう目にした記憶がある。例によって例のごとくで「そこは当然、伝統芸能だろう、よりによってなんでアイドルなんだ、AKBなんて国の恥」、誇張してるつもりはないんだけど、そんな論調があったことは事実だろう。
そういう意見こそが何にも分かってないんだ、そうストレートに反論しても、聞く耳を持っていただけないことも承知してるつもり。けれども、こうして安倍首相の口から「皆さん、目がくぎ付けになって」という評価をいただくと、なんとも心強いものがある。もちろんそこは政治家なんで、リップサービスの要素もあるんだろうけど、それでも首相という地位にある方からの言葉は重い。
例えば山手線の内側を徒歩で歩いてみると、新旧の歴史が重層してることが誰の目にも分かる。これは日本に詳しい外国の方もよく口にすることだけど、東京は、古いものと新しいものがシームレスに連続体として存在してる。何度も大火にあって、極めつけはアメリカ軍による空襲で焼け野原になったはずなのに、それでも歴史がそこにしっかりと刻まれてる。
もちろんそんな佇まいは東京だけじゃない。日本の歴史のある町はみんなそうなってる。そして、それが日本らしさの一つの表現になってる。そんなの当たり前と思われるかも知れないけれど、日本人にとっての当たり前が、日本以外ではそうではないということは、諸外国に行ってみれば分かる。
「伝統芸能」は、wikiの定義を信じるなら「西洋文化が入ってくる前の芸術と技能を現代芸術と区別した呼称」であり、定義自体が「外部性」によるもの。そんな隔離された静的な意義づけは、学問対象としてならともかく、生きた文明としての日本のインサイダー視点からは無意味だろう。
今に生きる日本人の存在様式を日本文明と考えるなら、温故知新という言葉通りの刹那としての日本の今を提示することにこそ意味がある。AKBは、そんな格好の存在ということになる。そして案の定、ASEAN首脳は、AKBを見て「自分たちの国にはそんなのない」と驚いた。その驚きの中身がどうかなんてことは、取り敢えずはどうでも良い。それが茂木健一郎氏的な「アハ」となり、何かが伝わることが肝要。
日本型アイドルが日本文化の精華だという議論は、既にしてやり尽くしたと思う。その理解の困難さについても書いてきたつもりだけど、理解されないまでも、そのインパクトがASEAN首脳に伝わったのであれば、そこから何かが変わって行く。クールジャパン政策を胡散臭いとか、言うのは勝手だけど、政治は結果責任。2020東京オリンピックというゴールをきっちり設定しての、その行く末を楽しみにしたいし、秋元氏の手腕にも期待したい。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140101/plc14010120310013-n1.htm
編集にもよるのかも知れないけど、終始、安倍首相が饒舌な感じで、秋元氏はというと、有意のことを語らない、新情報を語らない、お馴染みの秋元氏だった。なので、AKB関連の話題も、安倍首相側から持ち出す形になってる。
以下引用
昨年12月の日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)特別首脳会議のガラディナー(晩餐(ばんさん)会)で、AKB48とEXILEとw-indsに歌ってもらいました。普通ですとね、日本の伝統芸能を見せるんです。
いろいろな議論がありましたが、やはり生でAKBを見るとビックリするんですね(笑)。皆さん、目がくぎ付けになって。相当なインパクトで、「自分たちの国にはそんなのない」と。
以上引用
ガラディナーについては以前取り上げたけど、この安倍首相の指摘は、私もけっこう目にした記憶がある。例によって例のごとくで「そこは当然、伝統芸能だろう、よりによってなんでアイドルなんだ、AKBなんて国の恥」、誇張してるつもりはないんだけど、そんな論調があったことは事実だろう。
そういう意見こそが何にも分かってないんだ、そうストレートに反論しても、聞く耳を持っていただけないことも承知してるつもり。けれども、こうして安倍首相の口から「皆さん、目がくぎ付けになって」という評価をいただくと、なんとも心強いものがある。もちろんそこは政治家なんで、リップサービスの要素もあるんだろうけど、それでも首相という地位にある方からの言葉は重い。
例えば山手線の内側を徒歩で歩いてみると、新旧の歴史が重層してることが誰の目にも分かる。これは日本に詳しい外国の方もよく口にすることだけど、東京は、古いものと新しいものがシームレスに連続体として存在してる。何度も大火にあって、極めつけはアメリカ軍による空襲で焼け野原になったはずなのに、それでも歴史がそこにしっかりと刻まれてる。
もちろんそんな佇まいは東京だけじゃない。日本の歴史のある町はみんなそうなってる。そして、それが日本らしさの一つの表現になってる。そんなの当たり前と思われるかも知れないけれど、日本人にとっての当たり前が、日本以外ではそうではないということは、諸外国に行ってみれば分かる。
「伝統芸能」は、wikiの定義を信じるなら「西洋文化が入ってくる前の芸術と技能を現代芸術と区別した呼称」であり、定義自体が「外部性」によるもの。そんな隔離された静的な意義づけは、学問対象としてならともかく、生きた文明としての日本のインサイダー視点からは無意味だろう。
今に生きる日本人の存在様式を日本文明と考えるなら、温故知新という言葉通りの刹那としての日本の今を提示することにこそ意味がある。AKBは、そんな格好の存在ということになる。そして案の定、ASEAN首脳は、AKBを見て「自分たちの国にはそんなのない」と驚いた。その驚きの中身がどうかなんてことは、取り敢えずはどうでも良い。それが茂木健一郎氏的な「アハ」となり、何かが伝わることが肝要。
日本型アイドルが日本文化の精華だという議論は、既にしてやり尽くしたと思う。その理解の困難さについても書いてきたつもりだけど、理解されないまでも、そのインパクトがASEAN首脳に伝わったのであれば、そこから何かが変わって行く。クールジャパン政策を胡散臭いとか、言うのは勝手だけど、政治は結果責任。2020東京オリンピックというゴールをきっちり設定しての、その行く末を楽しみにしたいし、秋元氏の手腕にも期待したい。