小嶋さんについては、以前に「天才」「いつも正解の分かる人」と評したことがあるけど、このフォトブックを読んでて、小嶋さんの「正体」が分かる、というと大げさだけど、なぜ「天才」なのか、なぜ「いつも正解が分かる人」なのか、その理由が分かったような気がする。
フォトブックなんで、まずは写真だけど、一言で言って問答無用の美しさ。誰から見ても美人でカワイイ。全方向でギリギリ境界感も、作為感もない、健康美にして陽性のエロス。なかでも特筆すべきは、痩せすぎではないこと。つまりはフィジカル的に女性として中庸なのに、最高レベルの美人になってる。こんな人はいない。
人間性も同様で、等身大で自然体。邪心とか偏見とか虚栄心とか、とにかくネガティブな感情なり思い込みの欠片もない感じ。知性が高いことも明らかだけど、それが鼻持ちならない発露をしないので、小嶋さんの賢さを意識させない。こんな人はいない。
そんなクリアな心性と高い知性の一端が垣間見えるのが、「RELATIONSHIP」という題を振られたメンバー評だろう。短いテキストの中、主要メンバーそれぞれを明快かつ的確に表現してる。本フォトブックの中で、私的にはイチオシの内容。
「これが私の生きる道」というインタビュー記事を読んでても伝わってくるのが、小嶋さんを中心に世界が回ってる感じ。何もかもが望む通りに進んで行く、思うように回って行く。まさに「日だまりの少女」とでも表現したくなる。なのに、そこには我欲が現れてこない。執着心もない。実際には、女神の如く暴虐に振る舞うことはなく、思うがままに周囲を振り回すのでもない。
この一見矛盾する存在様式のまま、小嶋さんは何事もなかったかのように、AKBの8年間をふわふわと漂いながら、自己実現を果たして来たことになる。それはあたかも、AKBの成功自体が、小嶋さんという存在によって成し遂げられたことを示してるかのよう。
そんな小嶋さんを説明する理屈は、おそらくは一つしかないんじゃないか。小嶋さんが世界の中心ではないのであれば、小嶋陽菜という現象を説明するためには、無限相互因果関係によって複雑系として立ち現れる現実世界の、そのどこかに存在するとしか考えられない特別の場所、言わば特異な「ニッチ」に、小嶋さんが位置してるとみなすしかないのではないか。
ほとんどすべての人にとって、そんな特別な位置があるなど思いもつかない因果関係の狭間、まさしく想定の範囲外、認識の「外」。その誰にも気づけない特別な場所、「ニッチ」に、小嶋さんは位置することになった。その場所から見回すと、一見すべてが自分を中心にして回ってるようかのように見える。そんな「ニッチ」。
別の表現を使うなら、それはマッハの原理みたいなもの。あるいは不動点定理のようなもの。小嶋さんは、自らの類い希な能力、つまりは中庸にしてハイエンドというあり得ない存在であるが故に、そんなありえない「ニッチ」に、必然であるかのように辿り着き、今もその位置を保ってる、そう見なせるんじゃないか。
だから、小嶋さんは「いつでも正解が分かる」ことにもなる。なぜなら、小嶋さんが選んだ方が正解になるのだから。そういう言い方だと誤解されるようなら、マッハの原理的に、世界が小嶋さんに正解を選ばせる、とでも書いてみようか。
フォトブックなんで、まずは写真だけど、一言で言って問答無用の美しさ。誰から見ても美人でカワイイ。全方向でギリギリ境界感も、作為感もない、健康美にして陽性のエロス。なかでも特筆すべきは、痩せすぎではないこと。つまりはフィジカル的に女性として中庸なのに、最高レベルの美人になってる。こんな人はいない。
人間性も同様で、等身大で自然体。邪心とか偏見とか虚栄心とか、とにかくネガティブな感情なり思い込みの欠片もない感じ。知性が高いことも明らかだけど、それが鼻持ちならない発露をしないので、小嶋さんの賢さを意識させない。こんな人はいない。
そんなクリアな心性と高い知性の一端が垣間見えるのが、「RELATIONSHIP」という題を振られたメンバー評だろう。短いテキストの中、主要メンバーそれぞれを明快かつ的確に表現してる。本フォトブックの中で、私的にはイチオシの内容。
「これが私の生きる道」というインタビュー記事を読んでても伝わってくるのが、小嶋さんを中心に世界が回ってる感じ。何もかもが望む通りに進んで行く、思うように回って行く。まさに「日だまりの少女」とでも表現したくなる。なのに、そこには我欲が現れてこない。執着心もない。実際には、女神の如く暴虐に振る舞うことはなく、思うがままに周囲を振り回すのでもない。
この一見矛盾する存在様式のまま、小嶋さんは何事もなかったかのように、AKBの8年間をふわふわと漂いながら、自己実現を果たして来たことになる。それはあたかも、AKBの成功自体が、小嶋さんという存在によって成し遂げられたことを示してるかのよう。
そんな小嶋さんを説明する理屈は、おそらくは一つしかないんじゃないか。小嶋さんが世界の中心ではないのであれば、小嶋陽菜という現象を説明するためには、無限相互因果関係によって複雑系として立ち現れる現実世界の、そのどこかに存在するとしか考えられない特別の場所、言わば特異な「ニッチ」に、小嶋さんが位置してるとみなすしかないのではないか。
ほとんどすべての人にとって、そんな特別な位置があるなど思いもつかない因果関係の狭間、まさしく想定の範囲外、認識の「外」。その誰にも気づけない特別な場所、「ニッチ」に、小嶋さんは位置することになった。その場所から見回すと、一見すべてが自分を中心にして回ってるようかのように見える。そんな「ニッチ」。
別の表現を使うなら、それはマッハの原理みたいなもの。あるいは不動点定理のようなもの。小嶋さんは、自らの類い希な能力、つまりは中庸にしてハイエンドというあり得ない存在であるが故に、そんなありえない「ニッチ」に、必然であるかのように辿り着き、今もその位置を保ってる、そう見なせるんじゃないか。
だから、小嶋さんは「いつでも正解が分かる」ことにもなる。なぜなら、小嶋さんが選んだ方が正解になるのだから。そういう言い方だと誤解されるようなら、マッハの原理的に、世界が小嶋さんに正解を選ばせる、とでも書いてみようか。