AKB48の旅

AKB48の旅

テラスハウス11月23日

2012年11月25日 | AKB
仕掛け側の思惑に乗るのは癪だけど、正直に書こう、11月23日のテラスハウスが面白かった。

リアルとバーチャルという言葉の対比よりは、現実と虚構という表現を使う方がしっくり来るかな。"GirlsAward2012"という夢の舞台という名のある意味究極の虚構と、その翌日?のテラスハウスのホームパーティという現実。

けれども、そのホームパーティという現実も、実際にはテレビ番組であり、そこで描かれる恋愛模様にも、しっかりとカメラクルーが張り付いている。よく考えてみれば、これもまた虚構。階層化された虚構。

夢から目覚めてみればそれもまた夢だった、楽しい夢ならそれでも幸せかもしれないけど、悪夢の連鎖だったらたまったもんじゃない。そんな映画インセプションのような世界が、比喩として思い浮かぶ。

階層化が無限に続く必要はない。今回のテラスハウスのように、たかだか2段階程度で十分なんだろう。見てる人は自身の立ち位置を見失って、AKB48とモデルの世界を相対化することで、テラスハウスをあたかも現実と錯覚してしまう。

そしてそう仕向けてる、明確に意図されたテレビサイドの狙いにまんまと載せられるのも悪くない、そう思わされてしまうとしたら、それはそれ見事な仕掛けだと思うし、楽しむに及くはなし。

すべては夢のために

2012年11月24日 | AKB
"NO FLOWER WITHOUT RAIN"の11月23日版トレーラーは高橋さんフィーチャー版で、締めの言葉が「すべては夢のために」になってた。高橋さんはよくこの「夢」という言葉を使うけど、その言葉が指し示すものとは何だろう。

かつて具体的に語っていた、ソロの歌手になるという「夢」は、最高の舞台での派手な演出付きでデビューが確約されたことで、叶ってしまったと言えそう。もちろんプロである以上売れなければいけないんだけど、これもまったく心配ないんじゃないか。というか、逆に高橋さんのソロの売れ方で、AKBファンのいろんな実態があぶり出されそうなんで、そういう視点からも期待してたりする。

けれども秋元康から、後継者を育てない限り卒業させない旨を言い渡されたり、自身、AKBの中で「夢」を叶えたい旨を語ったり、ご本人はそう思っていないかもしれないけれど、その「夢」には既にして具体的なカタチがないんじゃないだろうか。

前田さんの「夢」はかねてから公言していた「女優」だし、確かに「夢」へ向かっての挑戦は続いてるように見える。けれども同時に、東京ドームで語っていたように、前田さんの背中にはAKBの未来が背負わされている。いや、前田さん自らが背負ってる。それはもはや「夢」というよりは、使命と呼ぶべきものだろう。

AKBが前田さん、高橋さんの二人をコアに形成されたこと、その組織化過程が自己組織化だったことを以前に論じたけど、自己組織化組織の必然として自己目的化があるわけで、AKBつまりは前田さん、高橋さんの「夢」は自己目的化、つまりはAKBの存続に収斂して行ったんじゃないかと思う。

すべてはAKBの存続のために・・・。

有吉AKB共和国が面白い

2012年11月23日 | AKB
やはり逆境が人を、そして番組を磨くのか、かつての緩さとは別次元のような面白さだった。小嶋さんが「本気」になってるし、大場さんがなにげに良い味出してる。島崎さんも爪痕しっかり残してるけど、これは有吉先生の力が大きいか。そして、何よりも14期研究生がそうとうに良くないか。HKTのような初々しさこそ乏しいけど、そこはあらゆるタイプが揃うAKBGならではと前向きに捉えよう。

スタジオにセットが一切ないのも、CGが一切使われてないのも、かえって好感度が増すというか、無駄に寒い上に安っぽすぎる過剰演出をスルーするというのには、思っていた以上にエネルギーを要していたようで、たぶん本来持っていたはず素の面白さが伝わるのを、かえって邪魔していたように思えてくる。思い返してみれば、「有吉AKBラジオ局」は面白かったんだし、今回の結果は必然か。

台本通りであっても、メンバー間だけのやりとりでこんだけ面白くなる、有吉先生の適切なサポートだけで、こんだけ楽しくなる、それが再確認できただけでも、超低予算のけがの功名なのかも。

再びさっしー

2012年11月22日 | AKB
メンバーをどう呼ぶか。本ブログ内での変遷を見ても我ながら興味深いんだけど、さっし-だけは一貫してさっしー。他のメンバーは名前を覚えたての頃こそニックネームだったけど、ハイコンテクストに馴染んだ頃から、これも一貫して姓(名)+敬称に変わった。けっこう自然にそうなったんだけど、理由はシンプルで、深く知るにつれて、畏れ多くてニックネームでは呼べなくなったから。みんなすごい。心から尊敬する。

おっとそう言えばJRのことをうっかり失念してた。こちらは例外というか、上位メンバーが同姓という例がこれまではこの二人だけだったのと、JRという呼び方がニックネームではなくて記号として機能してると考えるので、こちらはJRを使い続けることに、なんとなく、たぶんなってた。

でもさっしーは明らかなニックネームのさっしーのまま。現状、指原さんと呼ぶ気は全くない。これが我ながらに面白いなあ。なんだろうね、この妙に近い感じ。距離感のない感じ。その才能にはつくずく感心するけど、尊敬とかの気持ちはさらさらない。高橋さんとかは本当に見上げる感じだけど、さっしーは傍らにいる感じと言うか。

以前にさっしーを評したときにも指摘はしておいたけど、なんだろう、このあらゆる「距離」という次元を無化する能力。AKBを超えてHKTとなり、「指祭り」ではアイドル界の垣根も無化する。さらには一流芸能人(と言って良いと思う)であるさっしーなのに、近所のちょっとだけきれいな子みたいな感触。それが連続体として何の矛盾も齟齬もなく存在してる。

それがAKBムーブメントそのものを体現してるあり方、リアルとバーチャルの連続体に寄り添うことに順応した、適応した「初めて」の存在というのがとりあえずの結論だったけど、実はもう一歩踏み込んだ評価が可能かもしれない。

以下さっしーぐぐたす11月21日0時41分引用

録画したテラスハウスみてたらハタチに。
メンバーから続々とメールがきて泣ける。
そういえばとおもい、洗濯機をみたら、二日前の洗濯ものが乾燥されずにずっと洗濯機のなかに。異臭。泣ける。
ハタチ最初の仕事は、洗濯機の排水フィルターの掃除。

はたちもがんばります。

以上引用

ちょうど良いサンプルが投稿されてた。これって典型的なさっしーにしか書けない文章だと思う。テラスハウスはリアルドラマとはいえ、まさにバーチャルな世界だけど、出演してるのは親友。メンバーからのメールはリアルだけど、存在帯域としてはバーチャル。二日目の洗濯物はリアルど真ん中。二つのリアルは「泣き」つながり。でもってここまでが受動的なのに対して、アウトプットは排水フィルターの掃除。で締めというかベースラインを刻んでるのがハタチ。

存在様式の違うもの同士、誇張表現を使うなら水と油を、しかも思いっきり複数混ぜてる。なのに話が鮮やかにまとまって、何とも言えないおもしろさが醸し出されてる。言ってみればパスタソースの乳化みたいなものか。この才能を、以前はさんまさんを引き合いに出して説明してみたけど、さんまさんですらそれは「才能」の範疇を超えないのではないか。

さっしーは「才能」ではなくて人間存在として乳化してる。へんてこな表現だけど、そういうことなんじゃないか。

小林よしのり先生が熱い

2012年11月21日 | AKB
引用の必要はないと思うけど「ゴー宣道場」の小林よしのり先生が熱い。素晴らしい。そんな小林先生を全面的に支持したい。その言動に最大級の賛意を評したい。「感情吐き出して、今すぐ素直になれ!」なスタンスが素晴らしすぎる。一度きりの人生、楽しむに如くはなし。

こうして言葉にして書くだけだと何なので、さっそく「国防論」「天皇論」「脱原発論」を買ってきた。今まで買ってなくてスミマセン。「AKB48白熱論争」は既に持ってるので、さすがに複数買いはしないけどね。

内容についてはこの場では触れないけど、ある意味AKBの存在様式と似てるかなとは思った、くらいは書いても良いかな。もしかしたらそれを知りつつ、敢えて忍んでそこに触れることなくヲタ萌えしてるのだとしたら、・・・よりしんを推しメンにしてしまいそうで怖い。