タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

東寺・・・

2021-12-30 17:17:58 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

19社寺目。

東寺 (教王護国寺) 、平成6年に御朱印いただいております。

高野山と並ぶ、真言宗の二大総本山。

いままで、どれだけ訪れたことか。トイレ拝借だけでも訪れています。

最近は御無沙汰です。

画像はウィキより、

Toji 2015.JPG金堂本尊・薬師如来坐像

御影堂 (みえどう) は、弘法大師をお祀りする御堂です。

野良猫がよくいて、地元の人たちが撫でたりしてかわいがっていました。

金堂 (本堂のこと) も良いですが、講堂は「圧巻」です。

立体曼荼羅・・・弘法大師がディレクターとなって仏師たちに製作させた仏像も現存しています。見るものを圧倒する迫力です。

観智院も確か、拝観料要ったはずですが、一度だけ拝観しました。

係りの人が一人ついてくれて案内されます。

お守り売り場に行くと、4~5人の若い僧侶が、「むっつり」して座っていました。

(なんで、客もほとんどいないのに4、5人も・・・)と、思いました。

お守りを見ているさなかも、一言も発さず「むっつり」。

三鈷杵を手に取り、「これは、魂入ってます?」と聞くと、「・・入ってます・・・」とだけ答えました。

三鈷杵を買い、茶室に案内されるも・・・入口が「狭い」。その「狭さ」の理由も説明されましたが・・・「忘れました」。

コロナで、今は東寺だけの御祈祷になったけど、

コロナ以前は、毎年、鎮守「八幡宮」にて、石清水八幡宮と東寺による、「神仏合同法要」が執り行われ、楽しみにしていたのですが・・・。

ただ、コロナよりだいぶ前から、この「神仏合同法要」では、「人類安泰・地球安泰」祈願祭と言う名目だったので、その頃は「ずいぶん大げさな表現だな」と思ってましたが、コロナ下の今、「さすが八幡さま」と感服いたしております。

(東寺は、友の会もありますよ)

御朱印してくれたのは、中年の女の人で、「むっつり」してましたが、字は達筆です。(その頃は、いつ行っても、その人が全ての御朱印していた)

・・・・・

ではまた。


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石山寺・上賀茂神社・・・

2021-12-30 14:51:03 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

17、18社寺目です。

平成6年8月6日に御朱印いただいております。

画像はウィキより

○石山寺・・・西国観音霊場第13番札所。

Tahōtō - Ishiyamadera - Otsu, Shiga - DSC07540.JPG御影堂(開山堂)毘沙門堂三十八所権現社本殿大黒天堂

滋賀県大津市。東寺真言宗大本山です。本尊・如意輪観音像は、33年に一度公開される秘仏です。それ以外にも、公開されることがあります。

私は偶然、秘仏を拝んだことがあります。

○上賀茂神社 (かみがもじんじゃ)・・・賀茂別雷神社。上賀茂神社は、通称です。

京都市。

Kamo-wakeikazuchi-jinja18n4272.jpg庁屋(北神饌所)立砂(たてずな境内 楽舎(手前)、細殿・橋殿・土舎(奥、左から)細殿(拝殿)橋殿(舞殿)

御祭神は、賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)・・・ニギハヤヒノミコトと同一神と言われます。

前述したように、ニギハヤヒノミコトが祀られている神社では「不思議な気」を感じたと述べましたが、上賀茂神社は、感じませんでした。むしろ、下鴨神社の方が少し感じた気がします。なぜでしょう。

不思議な気・・・前述のとおり、「龍がわだかまっている」ような、「異次元の、神々の世界の入口があるような」「気」です。

 


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近畿36不動尊霊場会・・・

2021-12-30 11:18:00 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

前述した、「近畿36不動尊霊場会」、

30年位前に、京都の真言宗18総本山の一つ、大覚寺で「出開帳」が行われ、参詣してきました。

今と違ってナビなどなく、地図片手に近道通ったつもりで行ったのですが、結構遅れてしまい、到着したときは、「柴燈護摩」が修されている最中だったと記憶しています。

明治の「修験廃止」から時は経ち、修験道も復興したとは言え、往時には程遠く、初老の修験者たちが護摩木を投げているのを見て、この国の行く末を案じた次第です。

かつての霊山は、すべて国立国定公園になり、行場として残っている霊場は数えるくらいでしょう。明治以前は、霊山の寺社で祀られる仏と神、また、〇〇権現と言う日本独自の神仏も、その出自は、日本の神々です。

明治以前は、神と仏が一体となり、自然と共に生きていた日本人も、今はその面影もありません。日本の神の神使の代表である、ニホンオオカミも「駆除」と言う名目で絶滅され、今はもういません。

文明と言う便利さと引き換えに、本来の日本人の精神性を失った今の日本人を、日本の神々はどう見ているのでしょう。

さて、出開帳・・・レプリカとは言え、36もの札所寺院の「お不動さん」が集まり、香煙たなびく中、御朱印をお願いしました。

が、時間切れで全部の御朱印がいただけず、「後日郵送していただく」ことになりました。

後日、届いた宝印軸を成田山大阪別院にて開眼供養していただきました。

受付に持って行ったとき、「ありゃ、これは、表装しとらんな」と言われ、「表装って何ですか」と聞くと、「これは、仮軸やから、仏具屋さんとかで表装してもらわな完成じゃないんですよ」と。持って帰ろうとしたら、「いや、これは、このままでええんやないか。表装したら、こことここの所の朱印が見えんようになるから、このまま開眼したらええと思いますよ」と言うことになり、申し込みしました。

お護摩が修され、お護摩が終わり、私だけ「まだ待っててください」と係りの方に言われ、導師の後ろで開眼されるのを見つめていました。結構、丁寧に開眼されていました。

あれから30年、近畿36不動尊宝印軸は、うちの家の守護仏です。仏壇の後ろにお祀りしています。

画像は、宝印軸のパンフレットです。本物は、開眼済みですので「撮影不可」です。

ではまた。

・・・・・


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赤不動明王 (明王院)・・・

2021-12-29 16:31:43 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

16社寺目です。

高野山明王院 (赤不動明王) 。高野山別格本山です。

平成6年7月23日に御朱印いただいております。

画像はウィキより、

Myoou-in Temple Main Gate.jpg本堂

初めて参拝。

「こんにちは~」とあいさつすると、

「ドタドタドタドタドタ・・・」と、若い僧侶がかけてきて (今の住職かな?) 、

いきなり正座して、

「ようこそいらっしゃいました!」と、深々と頭を下げてくださりました。

(今どきの若い人 (当時のですよ) にしては、よくできた人だな) と感心し、

「御朱印お願いします。本堂も拝ませてください」と言うと、「かしこまりました。では、本堂へは役僧にご案内させますので」と、若い役僧を呼んでくださりました。

若い役僧は、学生か職員かはわかりませんが、こちらは、「むっつり」していました。(高野山の宿坊には、高野山大学や専修学院で密教を勉強している学生が寄宿していて、役僧と見た目では区別できません)

御前立の赤不動明王様 (ご本尊・赤不動明王のレプリカ。通称「赤不動」と言っても、ほとんど同じように見え、ド迫力です)を拝み、紙でできた「赤不動明王御影」を購入いたしました。今でも大切にしています。

近畿36不動明王霊場会が、昔、京都の大覚寺にて「出開帳」と柴燈護摩を修したことがあるのですが、「黄不動」「青不動」「赤不動」は、特別なオーラを発していました。もちろん、出開帳用のレプリカ「だと」思いますが、それでもすごいオーラでした。

明王院には、何度か参拝し、一度は、毎年4月28に修される、「赤不動明王大祭」にも参列しました。(今はコロナでどうなのかは不明です)

御本尊が御開帳されて、ものすごい迫力でした。

左右で、2つの護摩が修されていた・・・と、記憶していますが、かなり昔なのではっきりとはしません。

ただ、参拝者が全国から参詣し、すし詰めでした。

その大祭当日、別の宿坊で先祖供養を申し込んだのですが、なかなか法要が始まらず、しびれを切らした私が、「ちょっと出てきますので、ご回向、私不在でよろしくお願いします!」と、でかい声で言うと、それまでスローに動いていた役僧たちが、急にテキパキ動き出し、玄関まで何人か見送りに来てくれました。

なんとか、明王院の大祭に間に合い、ウキウキした気分で、ご回向申し込んだ別の宿坊に戻ると、まだ「テキパキ」していて、星月菩提樹の念珠を「8体」くらい、おみやげにくださりました。あと、「香り袋」も。

私は別に「怒りを発したワケ」ではなかったのですが、寅年生まれの私は、「豹が変じて虎となる」ごとく、平時と、スイッチが入ったときは、別人みたいになるので・・・・・・・ただ、ありがたくも、申し訳ない気持ちで念珠8体と「香り袋」をいただきました。その後も、役僧が見送ってくれました。

(ただ、その次行ったときは、その宿坊の役僧は、いつものスローな対応に戻っていました・・・)

ではまた。

・・・・・

 


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神仏への道・・・当ブログは・・・

2021-12-29 15:45:36 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

神仏への道・・・当ブログは、生まれたてのホヤホヤで、全く人気もなく、このまま埋もれていくかも知れませんが、

前述した通り、当ブログは、「2018年5月に、某寺院にて、日本の古代の神々の御神霊の生の御姿を拝謁」したことを伝えるためと、受け取ったメッセージを伝えるために始めたブログです。

人気があろうが無かろうが、完成まで頑張ります。

私の予定では、2022年春~夏までには完成したいと思っています。

完成したら、人気があっても無くても、やめるつもりでいます。

もっとも、その時に、「まだ続けよ」とメッセージがあれば、続ける「かも」知れません。

前述しましたが、神々の生の御姿を拝して、しばらくは「ほとんど秘密」にしていました。

まず、「人に言っても信じてもらえない」。

神々とは真逆の存在、幽霊や亡霊などの目撃情報は、巷に星の数ほどありますし、私も「何度も」見ています。克明に説明もできますが、そんな幽霊や亡霊など「どうでもいい」し、いちいち書きません。

ただ、はっきり言えるのは、目立つ自称霊能者なんてのは、「ウソ八百」です。

目立たないで本物はいる「かも」しれませんが、私的に言わせてもらうと、「お金とるようになったら」、霊能力なんてものは、「消え失せます」。(と、思います)

反対に、「神々を見た」と言う話は全く聞かない。私が拝謁した寺院でも、「みんな見てるのかな?」と思い、色々調べても全然出てこない。それで秘密にしていたのです。

秘密にしていて、あることから 、人に、人々にボチボチ話し始めて、拝謁した寺院にも伝え、ブログも始めた次第です。あること・・・すでにヒントは前述しております。いずれ詳細は記します。詳細は、2022年春頃予定です。

「人々に伝える」「ネットで知った、古代の神々に詳しい人にメールで伝える」「拝謁した寺院の職員に伝える」「ブログを開設して、人々に伝える」・・・すべて、神仏の御指導を受けて行っています。私の独断じゃありません。

「人々に伝える」・・・直接話しても、「かみ砕いて説明しても」、「文章で説明しても」、信じる人は、「ごく」わずかです。信じる人がいても、「神々自体にあまり興味がないのか」、それ以上聞き返してはきません。

ウソまみれの世の中でも、私は、「ウソはつかない」。特に、「カミやホトケ、神仏に関しては、≪絶対に≫ウソはつかない。神仏に関してウソをつけば、それは、重い悪業となって私に返ってくることを、私は知っているから」。

そういうワケで、このブログは、2022年春~夏に完結したいと、「思っています」。先ほど書いた通り、その時に、「まだ継続せよ」となったら、続ける「かも」知れません。

ちなみに、私は特定の宗教には「全く」無関係です。

私は、

石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)崇敬会員。下鴨神社崇敬会員。伊勢神宮崇敬会員。丹生川上神社 (中社) 氏子。轟神社 (徳島県) 氏子。物部神社 (島根県) 氏子。

高野山参与会員。東寺友の会。根来寺友の会。蔵王堂友の会。東大寺友の会。興福寺友の会。法隆寺友の会。会員です。会報読んで寄付するだけの会員です。(上記社寺には、物は申しません。)

成田山新勝寺、成田山大阪別院信徒。

です。

ではまた。

・・・・・

 

 


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