関西人には読める阪急線“ナゾの途中駅”「十三」には何がある?
文春オンライン より 220708 鼠入 昌史
ずいぶん前のことだが、京都に住んでいたときによく阪急電車を利用した。京都線に乗って梅田方面にやってきて、神戸線か宝塚線に乗り継ぐとき、まあだいたいは十三駅で乗り換える。そのとき決まって目に入るのが、ホームの上にあるマクドナルドであった。
まだまだエキナカなどという言葉がなかった時代。マクドナルドが駅の中にあるなんてさすが阪急、すげえなあと思ったものだ。ちょっとテイクアウトしたいと考えたりもしたが、おいしい匂いを阪急電車の中で漂わせる勇気がなく、さすがに行かずじまい。そしてそのマクドナルドはいつの間にかなくなって、ローソンやカフェに店代わりをしていた。
……と、そういうわけで今回は十三駅である。
⚫︎バツグンの知名度と存在感だが…
大阪梅田駅を出発した阪急電車各路線が、淀川を渡って神戸・宝塚・京都の3方向に分かれる分岐点にある。阪急電車ユーザーのみならず、関西在住の人ならば知らぬものはいないくらいのターミナルだ。
それでいて、「十三」と書いて“じゅうそう”と読むというその難読ぶりは全国にすら轟く。関西には「放出」(はなてん)、「喜連瓜破」(きれうりわり)など難読駅名がいくつもあるが、その中でも知名度でいえば十三が圧倒しているといっていい。
かくのごとく、バツグンの知名度と存在感を誇りながら、では十三で降りてみたことがあるという人はどれだけいるのだろうか。
梅田駅からたったふた駅,数分の場所にあり,すべての列車が停まるターミナルなのに,だいたいの人は乗り換えに使うことはあってもわざわざ降りる機会は少ないのではなかろうか。
そういえば,「十三はヤバいからあまり降りない方がいいよ」などと友人から言われたこともあったような……。
とはいえ、さすがに梅田駅からほんの数分の駅がそんなにもヤバいわけがなかろう。
とはいえ、さすがに梅田駅からほんの数分の駅がそんなにもヤバいわけがなかろう。
地図を見ればあの橋下徹元大阪府知事も出身の名門、府立北野高校も十三駅の近くにあるくらいだし、なんといっても阪急電車の駅である。
⚫︎かつてのマクドナルド跡地には…
さすがに3路線が分かれる要衝の駅だけあって、十三駅の規模は大きい。構内は4面6線、神戸線・宝塚線・京都線がそれぞれ2線ずつを使っていて、中央に宝塚線のホームがある。それは互いに地下通路と跨線橋それぞれで結ばれる構造だ。
ちょうど十三駅の先で線路が分かれるから、その間を使って広くホームを取れるのが2・3号線(阪急電車は番線ではなく号線という)。かつてのマクドナルドはそこにあった。
それが店代わりしたコンビニとカフェの他には、駅そばや551の売店があって、立派なエキナカ商業施設。なんでも、このホームの駅そばは阪急でははじめての構内営業店舗だったらしく、さらに構内のコンビニは日本で初めての改札内店舗だとか。さすが日本の鉄道経営スタイルに先鞭をつけた阪急電車、エキナカビジネスにおいても先を行っていたのだ。
⚫︎規模の割にずいぶん小ぶりな改札口と駅舎
さて、そんな構内からそろそろ外に出てみることにしよう。出入り口は東西に2か所。
⚫︎かつてのマクドナルド跡地には…
さすがに3路線が分かれる要衝の駅だけあって、十三駅の規模は大きい。構内は4面6線、神戸線・宝塚線・京都線がそれぞれ2線ずつを使っていて、中央に宝塚線のホームがある。それは互いに地下通路と跨線橋それぞれで結ばれる構造だ。
ちょうど十三駅の先で線路が分かれるから、その間を使って広くホームを取れるのが2・3号線(阪急電車は番線ではなく号線という)。かつてのマクドナルドはそこにあった。
それが店代わりしたコンビニとカフェの他には、駅そばや551の売店があって、立派なエキナカ商業施設。なんでも、このホームの駅そばは阪急でははじめての構内営業店舗だったらしく、さらに構内のコンビニは日本で初めての改札内店舗だとか。さすが日本の鉄道経営スタイルに先鞭をつけた阪急電車、エキナカビジネスにおいても先を行っていたのだ。
⚫︎規模の割にずいぶん小ぶりな改札口と駅舎
さて、そんな構内からそろそろ外に出てみることにしよう。出入り口は東西に2か所。
どちらがメインなのかはよくわからないが、1号線のある神戸線ホーム側、すなわち西口から改札を出る。
たくさんのお客が乗り換えやら何やらでひっきりなしに行き交うターミナルなのに、改札口と駅舎はずいぶんと小ぶりだ。
その小さな改札を抜けると、ザ・私鉄沿線、すぐに商店街のアーケードの中に出た。このしつらえを関東の人にもわかりやすく伝えるとすれば、東武東上線の大山駅などによく似ているといったところだろうか。
十三駅西口のアーケードは、トミータウンという。「十三」を読み替えてトミー、ということなのだろう。アーケードの中に掲げられている横断幕に小便小僧が描かれているのは、線路に沿って北に続くしょんべん横丁から来ているものだと思われる。
ごみごみした細い路地に小さな立呑み屋やら何やらがひしめき合う、まさしく昭和っぽい繁華街、である(飲み屋街なのに共同トイレがなく、文字通り立ち小便をする酔っ払いが少なくなかったからしょんべん横丁になったとか)。
反対に線路沿いに南に向けても商店街。十三駅前西商店街というようだが、もともとは波平通りといった。トレードマークが、顔が磯野波平、体が鉄腕アトムという摩訶不思議なキャラクターで、それが一部によくウケていたとかなんだとか。
まあ、もうそれが許される時代ではないので、波平通りの面影はとりあえず消えて、いまは普通に正式名称の十三駅前西商店街で通っているようだ。こちらの商店街も、しょんべん横丁と基本的には変わらない、雑多なごみごみとした庶民派の町である。
⚫︎駅前には大きな道路…交通量もすごい
トミータウンのアーケードはすぐに終わり、いわゆる十三の駅前ともいうべき広い交差点に出る。ここを北から南に通っているのが国道176号、通称“イナロク”だ。北へ行けば豊中・川西を抜けて宝塚方面へ。つまり阪急宝塚線と並んで走る。南方面ではすぐに十三大橋で淀川を渡り、梅田のど真ん中でそのまま御堂筋に移り変わる。
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つまり大阪の大動脈が、十三駅の駅前を通っている。もちろん交通量も多く、さらにひと昔前には他に淀川を渡る橋も少なかったために大渋滞に悩まされていた。十三の繁華街のど真ん中をとおるわけだから、それもまた自動車交通の大動脈にしてはボトルネックだっただろう。
そこで建設されたのが国道176号の十三バイパスで、淀川の下流側の新十三大橋ともども1967年に完成した。十三大橋が南行き3車線・北行き1車線、新十三大橋が北行き一方通行4車線。路地レベルの道ならまだしも、大通りでこれなのだから、大阪はクルマでうろうろするのにも意外に難易度が高い。
十三駅前で国道176号を渡った先の西側も、まだまだ繁華街が続いている。庶民的な飲食店からちょっと怪しげなオトナのお店から、昔ながらのスナックから……。
繁華街を抜けて淀川沿いに向かって南に進むと、ちょっとした大通りを渡った先はラブホテルが集まっている。上品なイメージをもって十三駅にやってきたら、驚くに違いない。十三とはそういう歓楽街なのだ。
歓楽街としての十三は、駅の反対側、東口に出てもほとんど同じである。西口よりはいくらか広いが、それでも小さな駅前から2本のアーケード商店街が伸びていて、隙間を埋めるようにして路地裏の飲み屋街。マルーンの輝く阪急電車の要衝の駅は、徹底的に庶民のために作られた、そんな町の駅なのである。
⚫︎歓楽街だけじゃない「十三」の“顔”
こう書くと、十三ってやっぱり猥雑な歓楽街なんですね、で終わってしまいそうだ。しかし実際にはそれだけではなく、ライブハウスやミニシアターなどが集まるサブカルタウンとしての一面も持っているという。
第七藝術劇場は知る人ぞ知るミニシアターらしいし、ウルフルズがインディーズ時代に活動していたライブハウスも十三に。
歓楽街としての十三は、駅の反対側、東口に出てもほとんど同じである。西口よりはいくらか広いが、それでも小さな駅前から2本のアーケード商店街が伸びていて、隙間を埋めるようにして路地裏の飲み屋街。マルーンの輝く阪急電車の要衝の駅は、徹底的に庶民のために作られた、そんな町の駅なのである。
⚫︎歓楽街だけじゃない「十三」の“顔”
こう書くと、十三ってやっぱり猥雑な歓楽街なんですね、で終わってしまいそうだ。しかし実際にはそれだけではなく、ライブハウスやミニシアターなどが集まるサブカルタウンとしての一面も持っているという。
第七藝術劇場は知る人ぞ知るミニシアターらしいし、ウルフルズがインディーズ時代に活動していたライブハウスも十三に。
さらに、ねぎ焼きという関西人以外にはあまり馴染みのない大阪のソウルフードも十三が発祥。このように、梅田から淀川を挟んだ先の衛星歓楽街には、大阪の庶民文化の粋が詰まっているといっていい。
「それを“じゅうそう”と読むようになったのはますますナゾではあるが…」
いったい、いつから十三はそういった町になったのだろうか。
十三という名の由来は諸説があるが、いちばん有力なのは淀川の上流から十三番目の“渡し”があったからだとか。それを“じゅうそう”と読むようになったのはますますナゾではあるが、“じゅうさん”がなまったかなにかしたのだろう。
そしてこの十三の渡し、本当は淀川ではなく中津川という川にあった。
明治の中頃まで、淀川の流れはいまとまったく異なっていた。淀川の本流は市街地の中を貫くように南に流れており(いまの大川・堂島川・安治川)、支流の中津川がその北側を蛇行して流れていた。
そのおかげで淀川が増水するたびに大阪の町は洪水の危機にさらされた。そこで淀川の大改修が行われ、1909年に現在の流路の淀川が完成したのだ。
十三の渡しは近代以前のものなので、あったのは中津川。ちょうど十三駅前の繁華街のあたりを流れていた。逆に渡しの渡船場はいまでは淀川の底に沈んでいる。
「それを“じゅうそう”と読むようになったのはますますナゾではあるが…」
いったい、いつから十三はそういった町になったのだろうか。
十三という名の由来は諸説があるが、いちばん有力なのは淀川の上流から十三番目の“渡し”があったからだとか。それを“じゅうそう”と読むようになったのはますますナゾではあるが、“じゅうさん”がなまったかなにかしたのだろう。
そしてこの十三の渡し、本当は淀川ではなく中津川という川にあった。
明治の中頃まで、淀川の流れはいまとまったく異なっていた。淀川の本流は市街地の中を貫くように南に流れており(いまの大川・堂島川・安治川)、支流の中津川がその北側を蛇行して流れていた。
そのおかげで淀川が増水するたびに大阪の町は洪水の危機にさらされた。そこで淀川の大改修が行われ、1909年に現在の流路の淀川が完成したのだ。
十三の渡しは近代以前のものなので、あったのは中津川。ちょうど十三駅前の繁華街のあたりを流れていた。逆に渡しの渡船場はいまでは淀川の底に沈んでいる。
つまり、明治時代の十三は、川が流れる牧歌的な農村地帯に過ぎなかった、というわけだ。とうぜん、淀川改修以前に阪急電車は来ていない。
⚫︎駅の開業で蘇った名前
十三番目の渡しに由来する十三の地名は、淀川の改修でいったん消滅する。その名が蘇ったのは1910年に阪急宝塚線(当時は箕面有馬電気軌道)が開業したときのことだ。開業と同時に十三駅という駅の名で、川底に沈んだ地名が復活した。
そして1920年には十三駅を分岐点として阪急神戸線(当時は阪神急行電鉄)が開業する。次いで翌年には阪急京都線(当時は北大阪電気鉄道)が乗り入れて、神戸・宝塚・京都3方向への分岐ターミナルになった。
それが大きなきっかけとなって、駅の周辺は一気に市街地化。折しも大阪の人口が爆増している頃合いで、梅田にもほどちかい鉄道分岐点の十三が市街地に呑み込まれるのもごく自然ななりゆきだった。
その間の1915年には武田薬品の大阪工場が十三駅近くに開設。府立北野高校が十三に移転してきたのは1931年のことだ。
戦前に築かれた十三の町は空襲で多くが焼けてしまったが、戦後になるとすぐに歓楽街への道を歩む。梅田に広がった闇市やその残滓の歓楽街が戦後復興計画によって立ち退きを求められ、淀川を渡って十三に移転してきた向きも多かったのではなかろうか。
⚫︎駅の開業で蘇った名前
十三番目の渡しに由来する十三の地名は、淀川の改修でいったん消滅する。その名が蘇ったのは1910年に阪急宝塚線(当時は箕面有馬電気軌道)が開業したときのことだ。開業と同時に十三駅という駅の名で、川底に沈んだ地名が復活した。
そして1920年には十三駅を分岐点として阪急神戸線(当時は阪神急行電鉄)が開業する。次いで翌年には阪急京都線(当時は北大阪電気鉄道)が乗り入れて、神戸・宝塚・京都3方向への分岐ターミナルになった。
それが大きなきっかけとなって、駅の周辺は一気に市街地化。折しも大阪の人口が爆増している頃合いで、梅田にもほどちかい鉄道分岐点の十三が市街地に呑み込まれるのもごく自然ななりゆきだった。
その間の1915年には武田薬品の大阪工場が十三駅近くに開設。府立北野高校が十三に移転してきたのは1931年のことだ。
戦前に築かれた十三の町は空襲で多くが焼けてしまったが、戦後になるとすぐに歓楽街への道を歩む。梅田に広がった闇市やその残滓の歓楽街が戦後復興計画によって立ち退きを求められ、淀川を渡って十三に移転してきた向きも多かったのではなかろうか。
そうして歓楽街としての十三が少しずつ成長し、現在の姿になっていったのである。
⚫︎いまの「十三」を楽しめるのはあとわずか?
いわば、十三は大阪の“キタ”にあって、梅田と淀川を隔てて向かう近さと交通の要衝としての地位を得て、市街地化・歓楽街化したといっていい。
⚫︎いまの「十三」を楽しめるのはあとわずか?
いわば、十三は大阪の“キタ”にあって、梅田と淀川を隔てて向かう近さと交通の要衝としての地位を得て、市街地化・歓楽街化したといっていい。
阪急沿線のブランドイメージとはいささか異なる趣なのは、むしろ阪急沿線というよりは梅田の衛星市街地であるからだろう。いっときは、歌舞伎町やすすきの、中洲に並び立つほどの歓楽街とされていたこともあったという。
かくしてよく言えば庶民的、悪く言えば猥雑な町となった十三。しかし、どうやら今後は大きく生まれ変わることになるかもしれない。
かくしてよく言えば庶民的、悪く言えば猥雑な町となった十三。しかし、どうやら今後は大きく生まれ変わることになるかもしれない。
阪急が十三と新大阪を結ぶ連絡線の建設を計画しており、さらに南海なんば駅からキタに直結してくるなにわ筋線と連絡させる構想も持っているという。
コロナ前のお話なので実現するかどうかはわからないが、3路線接続という交通の利便性、そして梅田のみならず新大阪にもほど近い十三が再開発のターゲットにならないほうがむしろおかしいくらいだ。
すでに十三駅の南側の旧淀川区役所跡地にはタワーマンションの建設が進む。繁華街の一角でもマンションの建設工事が行われているなど、開発の予兆はあちこちに。
コロナ前のお話なので実現するかどうかはわからないが、3路線接続という交通の利便性、そして梅田のみならず新大阪にもほど近い十三が再開発のターゲットにならないほうがむしろおかしいくらいだ。
すでに十三駅の南側の旧淀川区役所跡地にはタワーマンションの建設が進む。繁華街の一角でもマンションの建設工事が行われているなど、開発の予兆はあちこちに。
これほどの一等地はないのだからディベロッパーが目をつけるのもよくわかる。もしかすると、いまの猥雑で庶民的な十三を楽しめるのはあとわずか、なのかもしれない。
ちなみに、阪急電車で神戸線・宝塚線・京都線を互いに乗り換える場合、「座りたい」という理由から十三駅では乗り換えず、わざわざ梅田駅まで行く人もちらほらいるとかいないとか。それはね、不正乗車になってしまうのでやめましょうね。
(鼠入 昌史)
ちなみに、阪急電車で神戸線・宝塚線・京都線を互いに乗り換える場合、「座りたい」という理由から十三駅では乗り換えず、わざわざ梅田駅まで行く人もちらほらいるとかいないとか。それはね、不正乗車になってしまうのでやめましょうね。
(鼠入 昌史)
👄約半世紀前、学生時代、通学。ちょっと大きな本屋(梅田の旭屋が1番の時代)もいくつかあって、映画館、レコード店あり、梅田より歩き易く、わざわざ人多い梅田でなく…
梅田は「よそいき」で十三は「近所歩き」の雰囲気。集まる人も沿線各地から梅田へだが、十三は近隣中心。 ある意味安心。近隣の学生にとって行きやすい。
がんこ寿司も十三発祥だったかと、ネギ焼も有名でなく混む事なく、映画の大きな看板も多く、通学の楽しみ。小繁華街ブラブラし帰路へコースは3つ。
この頃から、小遣いでせっせと本屋で推理・SFに没頭しだす。そこそこ大きいのでわざわざ旭屋行かずとも(梅田に紀伊國屋、進々堂がない時代)
武田薬品、ちょっと離れてパナソニック、グリコの大工場が!
懐かしさ満載!
🚉十三構内移動は地下通路と跨道橋の2か所、時折、切符の確認があってキセルチェック!
阪急そばが◎。