「大阪万博で日本を元気に」とか言っているうちは、日本が元気にならないワケ
ダイヤモンドOnline より 231201 窪田順生
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⚫︎「日本を元気にするために万博を開催すべき」というロマン派の皆さんへ
東京2020の時に耳にタコができるほど聞いた、世界に誇る国策イベントをめぐる「激論」が再び繰り返されている。
2025年に開催予定の大阪・関西万博をめぐって、「当初予定していた予算よりも莫大にカネがかかる割に、経済効果も大してないんだから、やめたらええやん」という開催中止をのぞむ声がチラホラと上がってきた。
そのようなコスパ派に真っ向から立ちふさがるのが、プライスレスな効果があると主張する「ロマン派」ともいうべき皆さんである。
万博というものは、そもそも経済効果が目的ではなく、その時代の世界中の最新技術や未来への希望を持ち寄るものなので、ケチ臭いことは言わずに、派手にやらないと歴史に恥を残す――。そんな風に「日本国のメンツ」を守るためにも断固開催すべきだという人もいるのだ。あるいは、ご自分が小さい頃に1970年の大阪万博を訪れて、胸を躍らせた実体験に基づいて、令和の子どもたちにもこの万博で「空飛ぶ車」とかを見せて、明るい未来を見せてあげたいという人もいる。
そんなロマン派の中で、やはり圧倒的に多いのが「日本を元気にするために開催すべき」という人々だろう。
1970年の大阪万博をプロデュースした故・堺屋太一氏は、今回の万博誘致にも熱心だった。それは、1970年の万博をきっかけに日本は自動車やテレビを世界に輸出して、日本は大発展したという主張をベースにして、今度は民間主導で日本の復興を目指すために万博が必要だという考えがあったからだ。この考えに同調する人も多く、大阪万博の成否が、これからの日本の未来を左右するターニングポイントになると熱弁を振るう専門家もいらっしゃる。
もちろん、この手の公費投入型の国策イベントというのは、スポンサーやパートナーとして関わる企業・団体、個人の方たちがたくさんいらっしゃる。いろいろな皮算用や思惑が交錯するのが常なので、多種多様な意見があるのは当然だ。
というわけで、筆者も僭越ながら私見を述べさせていただこうと思う。「大阪万博で日本を元気に」と叫んでいるロマン派の皆さんには大変申し上げにくいのだが、個人的には「そういう夢みたいなことを言っているから、日本はいつまでもたっても元気にならない」と考えている。
⚫︎日本が経済成長したのはなぜか? その理由を履き違えている
ロマン派の皆さんの基本的な考え方は、「失われた30年」の前、高度経済成長期からバブル景気くらいまでの日本が元気だったのは、東京五輪や大阪万博をきっかけに、日本経済が発展したから――という認識に基づいている。ただ、実はそれは「誤解」だ。
日本が元気だったのは、「日本人が爆発的に増えた」からに尽きる。今、日本の元気がないのは人口が激減しているからだ。
「大阪万博で日本を元気に」という考え方は、このような「現実」から目を逸らすことにしかならず、結果としてさらに日本の元気を奪う。だから、改めた方がいいというのが筆者の考えだ。
と聞くと、「貴様!日本の奇跡の経済発展を成し遂げた先人を愚弄するつもりか!」「この低脳ライターめ、中学校の歴史の授業からやり直せ!」と怒りでどうにかなってしまう人もいるだろう。
東京五輪のメダルラッシュの活躍を見たり、世界中の人々が五輪や万博に集う様子を見て、「日本の明るい未来」を確信して、日本国民がひとつになって頑張ることで、ソニーやホンダのような世界的企業が育って、「焼け野原から世界第2位の経済大国へ」という奇跡の復活を果たしました――。
そんなサクセスストーリーは学校の教科書でも説明されている、日本の社会人としても「常識」だ。ただ、実は残念ながらこのストーリーは、日本国民が国や社会に誇りをもちやすい、物事が単純で受け入れやすいなどの理由で後付けで的につくられた「神話」に過ぎず、根拠やデータの裏付けのある話ではない。
ゴールドマン・サックスのアナリストなどとして30年以上、日本経済を分析してきたデービッド・アトキンソン氏が以下のように指摘しているように、「経済分析のプロ」から見れば、日本の戦後の経済成長で大きな要因となったのは、爆発的な人口増という方が「常識」なのだ。
《そもそも戦後の日本の経済成長のほとんどは、実は人口ボーナスの恩恵がもたらしたものだった。日本の人口は終戦時の1945年に7200万人だったものが、1990年には1億2361万人まで爆増した。その間、特に生産年齢人口、つまり若者の人口の増加が顕著だった。人口が増えれば生産力も増すし、消費力も増す。それが日本の経済成長の主たる原動力だった》(ビデオニュースドットコム、11月25日)
実際、日本のGDP(国内総生産)は1966年にフランス、1967年にイギリスを抜いた。当時のマスコミや評論家は「東京五輪を契機に日本の技術力が進歩して、イギリスやフランスを抜いた」と大喜びしたが、実はこのタイミングで抜いたのは両国の人口だった。
⚫︎経済成長は「人口増」が大きく影響 それなのに……
つまり、ロマン派の方を前に大変心苦しいが、「現実」を整理するとこういうことになる。
日本は戦後、壊滅したインフラ復興と、第一次ベビーブームによる人口爆発が重なって順調に経済成長をしていた。そういう中で1964年には東京五輪、1970年には大阪万博が開催された。
この手のイベントにおける経済効果は、建設バブル以外に大してなく、むしろバブルの反動で不況に陥ることが多いことがわかっている。詳しくは『「五輪不況」でボロボロのブラジル、日本も他人事ではない理由』の記事を読んでいただきたい。
しかし、この時代の日本は、人口ボーナスの恩恵をモロに受けていたので、五輪不況や万博がもたらす経済的損失など簡単に吸収した。この現象を、まともに経済の分析をする人たちが見れば、「やっぱり経済には人口って大切だよね」という結論になるが、日本の場合、戦前の優生思想を引きずる誰かが、こんな「説」を言い始めてしまう。
「日本が奇跡の経済成長を果たすことができたのは、東京五輪と大阪万博をきっかけに、世界一勤勉で技術力のある日本人がひとつになることができたからだ」
これがいかに荒唐無稽でご都合主義的なストーリーなのかということは、お隣の中国やインドを考えればよくわかる。中国のGDPはだいぶ昔に日本を抜き、現在「世界第2位の経済大国」だ。また、国際通貨基金(IMF)の予測によれば日本は26年にはインドにも抜かれるそうだ。
では、このような話を聞いて、中国やインドが日本のGDPを抜いた理由を、以下のように考える日本人はいるだろうか。
「中国経済が日本経済を追い抜かしたのは、北京五輪と上海万博をきっかけに、中国人が日本人よりも勤勉になって技術力も上がったからだ」
もし会社の同僚と飲みに行って、こんな自説を唱えたら首を傾げる人も多いはずだ。「いやいや、そんな抽象的な話じゃなくて、中国もインドも14億くらい人口がいるからだろ」とツッコミを入れる人もいるだろう。
しかし、多くの日本人は自分の国の経済成長に対してはそんなツッコミを入れない。それどころか、半世紀以上も「常識」として受け入れてきた。政治家や財界人も当たり前のようにこのような考え方で、政策や経営をしている。挙げ句の果てには、学校の授業で、いたいけな子どもたちにまで、ツッコミどころ満載の考え方の刷り込みをしている。
他国の経済成長は「人口増」によるものだと素直に受け入れることができる。それなのに、なぜか自分たちの経済成長だけは、「世界的イベント」「世界的企業」「世界的民度」という「特別な要因」が深く影響を与えていたという「神話」をつくりだしている。冷静に考えると、これはかなりヤバくないか?
だからこそ、「大阪万博で日本を元気に」というような考え方からそろそろ卒業すべだというのが、筆者の考えだ。
⚫︎もしも過疎化が進む村で「盛大な祭り」をやると言い出したら…
今、日本に元気がないのは、経済が30年も成長をしていないことが大きい。よく経済評論家の方などが「景気というのは“気”という文字が入っているように、まずは社会のムードを明るくして国民が元気になれば自然に景気も上がっていく」みたいなことを言っているが、実はこれは逆だ。
まず「景気」を良くすることが先決だ。「景」というのは「見渡される地上のありさま」という意味なので、権力者が高いところから俯瞰(ふかん)して、経済政策で地上の「気」をよくする。そうすると、そこで暮らしている無数の人々も元気になって、社会のムードも明るくなるのだ。
では、どうすれば「景気」が良くなるか。日本のこれまでの成長モデルから学べば、人口を増やすことだ。しかし、日本人はアメリカや欧州のように移民を受け入れることはハードルが高い。そうなるのと残る道はひとつ、「個人」が元気になるしかない。
頭数が減っていくので、一人一人が生み出す価値をあげていくしかない。それが数年前から言われている「生産性向上」だ。これはキビキビと効率良く動いて、1人で2人分の生産をこなすというような話ではなく、「金を生み出す力をあげる」ということだ。
これを実現するのに最も効果があるのが「賃上げ」だ。一人一人の賃金が上がっていけば、自ずと生産性もが向上する。人口が減ってもGDPはそれほど低下しない。つまり、「貧しいニッポン」にストップをかけられる。
これが今、我々が国をあげてやらなくてはいけないことだ。そんなのっぴきならない状況で、「大阪万博で日本を元気に」なんて、のんきなことを言ってられない。
それは過疎化が進んで限界集落になりつつある村の「祭り」を想像していただければわかりやすいだろう。
50年前、ある村は人口が1000人ほどいて、若者も子どももたくさんいた。なので、大きなお祭りを派手にやることができた。隣町から観光客も来て大盛り上がりだった。かなり赤字が出たが、村の宣伝にもなるし、村人同士の交流にもなる。なので、いつしかこの村にとって「祭り」は、村の経済を発展させて、村人を元気にさせるためには欠かせないイベントとなった。
しかし、月日が流れて、若者や子どもたちは都会に出て、この村は高齢者ばかりで人口も100人も切るようになった。そんな限界集落の中で、村の長老たちが言い出す。「村を元気にするために、50年前のように盛大に祭りをやろう」――。
さて、あなたがこの村の住人だったとして、この長老たちのアイディアをどう感じるだろう。「正気ですか?」と強く反対をするという人がほとんどではないか。
⚫︎「人がいないなりの戦い方」を見つけよう
人口減少時代の「祭り」が引き起こすこと
このように急速な人口減少が進む村で50年前と同じ大型イベントをしても、莫大な借金を抱えて、さらに過疎化を進めるだけだ。となると、この村がやるべきことは、「人がいないなりの戦い方」を考えることではないか。
例えば、よくある話では、美しく手つかずの自然や昔ながらの古民家などを活用して、民泊や農業体験をやる。新しい産業を生み出せば「田舎暮らし」をしたい移住希望者もやってきてくれるかもしれない。いずれにせよ、「昔のような祭りをやれば、昔のように村が元気になる」という無茶な戦い方だけは避けるべきだ、と皆さんも思うのではないか。
人口減少が進んだ村にたとえると、多くの人がそのように冷静に考えることができるのに、なぜかこれが「人口減少化が進んだ国」になると、急にそのような考え方が吹っ飛んでしまう。
「55年前の大阪万博をやれば、55年前のように日本が元気になる」――。
日本人は昔から「行くぞ1億火の玉だ!」みたいな国威発揚スローガンが好きなので、もしかしたら社会のムードは瞬間風速的に盛り上がるかもしれない。
このように急速な人口減少が進む村で50年前と同じ大型イベントをしても、莫大な借金を抱えて、さらに過疎化を進めるだけだ。となると、この村がやるべきことは、「人がいないなりの戦い方」を考えることではないか。
例えば、よくある話では、美しく手つかずの自然や昔ながらの古民家などを活用して、民泊や農業体験をやる。新しい産業を生み出せば「田舎暮らし」をしたい移住希望者もやってきてくれるかもしれない。いずれにせよ、「昔のような祭りをやれば、昔のように村が元気になる」という無茶な戦い方だけは避けるべきだ、と皆さんも思うのではないか。
人口減少が進んだ村にたとえると、多くの人がそのように冷静に考えることができるのに、なぜかこれが「人口減少化が進んだ国」になると、急にそのような考え方が吹っ飛んでしまう。
「55年前の大阪万博をやれば、55年前のように日本が元気になる」――。
日本人は昔から「行くぞ1億火の玉だ!」みたいな国威発揚スローガンが好きなので、もしかしたら社会のムードは瞬間風速的に盛り上がるかもしれない。
が、盛り上がったところで、だ。人口は減っているので、人口ボーナスでのサポートは期待できない。借金は借金としてそのまま残るし、建設バブル後の反動もダイレクトに直撃する。人口減少時代に、人口増時代だから許された「祭り」を強行するわけだから、あらゆることが「逆回転」して事態を悪化させていくのだ。
今から50年くらい未来の日本人が、今の時代を振り返った時、もしかしたらこんな恥ずべき評価をされているかもしれない。
「人口減少をする中で、過去の栄光が忘れられない当時の日本は、2021年の東京五輪、2025年の大阪万博を強行。結果として衰退が加速して、日本はさらに元気を失っていきました」
(ノンフィクションライター 窪田順生)
今から50年くらい未来の日本人が、今の時代を振り返った時、もしかしたらこんな恥ずべき評価をされているかもしれない。
「人口減少をする中で、過去の栄光が忘れられない当時の日本は、2021年の東京五輪、2025年の大阪万博を強行。結果として衰退が加速して、日本はさらに元気を失っていきました」
(ノンフィクションライター 窪田順生)
💋全く同感、そして観光立国で多数の外人客を入れてるくせに?!
目先の賑やかさだけでは… 。ビルトインスタビライザーを忘れ
古い制度に補助金施策を変えず。既得権優先的では…