ホモ・サピエンスが繁栄し、ネアンデルタール人が絶滅した「意外な理由」 橘玲、人類学者・篠田謙一対談(前編)
ダイヤモンドオンライン より 220725 橘玲,篠田謙一
人類の祖先(ホモ・サピエンス)は、なぜ世界を席巻できたのか。ネアンデルタール人などの旧人や、いまだ謎の多いデニソワ人を圧倒した理由はどこにあったのか。
ゲノム(遺伝情報)の解析によって解明を進め、『人類の起源』(中央公論新社)などの著書がある人類学者・篠田謙一氏に、自然科学、社会科学にも詳しい作家・橘玲(たちばな・あきら)氏が、ユニークな観点からその謎に迫る。(構成/土井大輔)
⚫︎人類の祖先は水の中で暮らしていた!? 「水生人類説」の可能性は?
橘玲氏(以下、橘) 以前から遺伝人類学にはとても興味がありました。遠い過去のことは、これまでは化石や土器でしかわからなかった。ところが、篠田さんが『人類の起源』で詳しく描かれたように、古代の骨のゲノム解析ができるようになったことで、人類の歴史を大きく書き換える「パラダイム転換」が起きています。せっかくの機会なので、これまで疑問に思っていたことを全部お聞きしたいと思います。
私を含む多くの読者の興味として、人類の誕生と日本人の誕生があると思います。人類とパン属(チンパンジーとボノボ)が共通の祖先から分岐したのは、約700万年前のアフリカということでよいのでしょうか?
篠田謙一氏(以下、篠田) そうですね。化石が示しているのがそれくらいで、ヒトとチンパンジーのゲノムの比較でもだいたい700万年前ということがわかっています。ただ、その後も交雑を繰り返したと考える人もいて、最終的な分岐は500万年前ぐらいではないかという説もありますね。
この700万年前から500万年前の間は化石がほとんど見つかっていないので、なかなか確たることが言えないというのが現状です。
橘 人類の祖先が分岐したのは、環境の変化で森からサバンナに移り住み、二足歩行を始めたからだというのがこれまでの定説でした。しかし今、この常識も疑問視されていますよね。
篠田 地球環境がうんと変わって森がサバンナになってしまったので、地面に降りざるを得なかったんだというのが、一般的に考えられている学説です。ただ、よく調べると数百万年もの間、化石に木のぼりに適応できる形態が残っているので、実はそんなに劇的に環境が変わったわけじゃないじゃないかと。
地面に降りた説が一般に信じられている背景には、「環境が物事を決める」という現代の思想があると思います。テクノロジーに左右されるように、私たちは環境によってどんどん変わっていくんだと。社会が受け入れやすいものが、その時代の定説となっていくんです。逆に言うと、まだそれほど確実なことはわかってないということです。
橘 人類の祖先が樹上生活に適応していたとするならば、なぜ木から降りたのかという話になりますよね。
人類学では異端の考え方だと思うんですが、水生類人猿説(アクア説)に興味があるんです。人類の祖先は森の近くの河畔や湖畔などで長時間過ごすようになったという説で、これだと直立したことがシンプルに説明できます。四足歩行だと水の中に沈んでしまいますから。
体毛が喪失したのに頭髪だけが残ったことや、皮下脂肪を付けるようになったこともアクア説なら説明可能です。より面白いのは鼻の形で、においをかぐのが目的なら鼻腔は正面を向くはずなのに、人間は下向きになっている。なぜなら、鼻の穴が前を向いていると潜ったときに水が入ってきてしまうから。
さらに、今でも水中出産が行われているように、新生児は泳ぐことができる。という具合に、この水生類人猿説は、素人からするとかなり説得力があると思うんですが。
篠田 いただいた質問リストにその質問があったので、「困ったな」と思ったんです(笑)。1970年代、私が学生だったころ提唱された説ですね。当時、本で読んで面白いなと思ったのを覚えています。しかし人類学の仲間とも話をしたんですけども、みんな「これは追わないほうがいい」って言ってましたね。
というのも、この説は「なるほど」と思わせますが、化石の証拠が何もないんです。もちろん可能性としてはあるんですが、証拠のほうから追求することができない。だから研究者はみんなここに手を出さないんです。
橘 わかりました。ではこれ以上、先生を困らせないようにします(笑)。
700万年前に人類の祖先が分岐した後、250万年ほど前から石器が使われるようになり、200万年ほど前に原人が登場する。これも共通理解となっているのでしょうか。
篠田 今ある化石証拠によれば、そういう話になっています。基本的には、脳が大きくなって、直立二足歩行も現在の人間に近い状態になっていくわけですけれども、その理由はまだよくわかっていないんです。最近は、「火を使うようになったからだ」という説もあります。食生活が大きく変わったからだという話ですね。250万年前から200万年前の間は本当に重要な時代なんですけども、いろんな人類のグループがいて、なかなか整理がついていないんです。
橘 となると、そのさまざまなグループの中からどういう経路でヒトの祖先が出てきたのかというのは推測でしかない。
篠田 そうです。完全にスペキュレーション(推測、考察)です。
橘 原人が1回目の出アフリカを敢行してユーラシア大陸に進出した後、西(ヨーロッパ)の寒冷地帯に住むネアンデルタール人だけでなく、中央アジアや東アジアにデニソワ人という別の旧人が存在していたというのは衝撃的な発見です。彼らはどこで、どういうふうに生まれてきたのでしょうか。
篠田 そこは現在、最も混沌としているところでもあるんです。人類進化の研究は、基本的に化石を調べることでした。何十年もの間、古い時代、古い時代へとさかのぼっていたんです。ですから、ほとんどの努力がアフリカ大陸で行われていました。旧人類についてはアフリカ大陸以外のところ、特にユーラシア大陸で骨を探すという努力になるんですが、これまでそれほど注目されていませんでした。最近になってDNA人類学がこの時代の進化のストーリーを提唱したばかりなんです。
橘 ホモ・サピエンスはこれまでアフリカで誕生したというのが定説でした。しかし、近年の遺伝人類学では、ネアンデルタール人やデニソワ人と同様、ユーラシア大陸で共通祖先から分岐した可能性が出てきたんですね。これこそまさに、最大のパラダイム転換です。
篠田 ホモ・サピエンスとネアンデルタール、デニソワ人が共通祖先から分かれたのがおよそ60万年前、最も古いホモ・サピエンスと認識できる化石が出てくるのが30万年ほど前になります。ですから私たちの進化の過程の最初の30万年間は謎に包まれているんです。祖先がどこにいたのか、今後より古いホモ・サピエンスの化石の探求は、アフリカだけでなく、ユーラシア大陸まで視野に入れたものになるでしょう。
⚫︎ホモ・サピエンスは なぜ、生き残れたのか
橘 6万年ほど前にホモ・サピエンスによる出アフリカが起こり、アフリカ(サブサハラ)以外のヒトはみなその子孫というのが定説ですが、最新の研究ではどうなっているんでしょうか?
篠田 それはある程度従来の予想通りといえそうです。7万年から5万年前、だいたい6万年前にアフリカ大陸を出た数千人のホモ・サピエンスのグループが、今のアフリカ人以外の人類の先祖であるという考え方、そこは揺らいでいないと思います。
⚫︎人類の祖先は水の中で暮らしていた!? 「水生人類説」の可能性は?
橘玲氏(以下、橘) 以前から遺伝人類学にはとても興味がありました。遠い過去のことは、これまでは化石や土器でしかわからなかった。ところが、篠田さんが『人類の起源』で詳しく描かれたように、古代の骨のゲノム解析ができるようになったことで、人類の歴史を大きく書き換える「パラダイム転換」が起きています。せっかくの機会なので、これまで疑問に思っていたことを全部お聞きしたいと思います。
私を含む多くの読者の興味として、人類の誕生と日本人の誕生があると思います。人類とパン属(チンパンジーとボノボ)が共通の祖先から分岐したのは、約700万年前のアフリカということでよいのでしょうか?
篠田謙一氏(以下、篠田) そうですね。化石が示しているのがそれくらいで、ヒトとチンパンジーのゲノムの比較でもだいたい700万年前ということがわかっています。ただ、その後も交雑を繰り返したと考える人もいて、最終的な分岐は500万年前ぐらいではないかという説もありますね。
この700万年前から500万年前の間は化石がほとんど見つかっていないので、なかなか確たることが言えないというのが現状です。
橘 人類の祖先が分岐したのは、環境の変化で森からサバンナに移り住み、二足歩行を始めたからだというのがこれまでの定説でした。しかし今、この常識も疑問視されていますよね。
篠田 地球環境がうんと変わって森がサバンナになってしまったので、地面に降りざるを得なかったんだというのが、一般的に考えられている学説です。ただ、よく調べると数百万年もの間、化石に木のぼりに適応できる形態が残っているので、実はそんなに劇的に環境が変わったわけじゃないじゃないかと。
地面に降りた説が一般に信じられている背景には、「環境が物事を決める」という現代の思想があると思います。テクノロジーに左右されるように、私たちは環境によってどんどん変わっていくんだと。社会が受け入れやすいものが、その時代の定説となっていくんです。逆に言うと、まだそれほど確実なことはわかってないということです。
橘 人類の祖先が樹上生活に適応していたとするならば、なぜ木から降りたのかという話になりますよね。
人類学では異端の考え方だと思うんですが、水生類人猿説(アクア説)に興味があるんです。人類の祖先は森の近くの河畔や湖畔などで長時間過ごすようになったという説で、これだと直立したことがシンプルに説明できます。四足歩行だと水の中に沈んでしまいますから。
体毛が喪失したのに頭髪だけが残ったことや、皮下脂肪を付けるようになったこともアクア説なら説明可能です。より面白いのは鼻の形で、においをかぐのが目的なら鼻腔は正面を向くはずなのに、人間は下向きになっている。なぜなら、鼻の穴が前を向いていると潜ったときに水が入ってきてしまうから。
さらに、今でも水中出産が行われているように、新生児は泳ぐことができる。という具合に、この水生類人猿説は、素人からするとかなり説得力があると思うんですが。
篠田 いただいた質問リストにその質問があったので、「困ったな」と思ったんです(笑)。1970年代、私が学生だったころ提唱された説ですね。当時、本で読んで面白いなと思ったのを覚えています。しかし人類学の仲間とも話をしたんですけども、みんな「これは追わないほうがいい」って言ってましたね。
というのも、この説は「なるほど」と思わせますが、化石の証拠が何もないんです。もちろん可能性としてはあるんですが、証拠のほうから追求することができない。だから研究者はみんなここに手を出さないんです。
橘 わかりました。ではこれ以上、先生を困らせないようにします(笑)。
700万年前に人類の祖先が分岐した後、250万年ほど前から石器が使われるようになり、200万年ほど前に原人が登場する。これも共通理解となっているのでしょうか。
篠田 今ある化石証拠によれば、そういう話になっています。基本的には、脳が大きくなって、直立二足歩行も現在の人間に近い状態になっていくわけですけれども、その理由はまだよくわかっていないんです。最近は、「火を使うようになったからだ」という説もあります。食生活が大きく変わったからだという話ですね。250万年前から200万年前の間は本当に重要な時代なんですけども、いろんな人類のグループがいて、なかなか整理がついていないんです。
橘 となると、そのさまざまなグループの中からどういう経路でヒトの祖先が出てきたのかというのは推測でしかない。
篠田 そうです。完全にスペキュレーション(推測、考察)です。
橘 原人が1回目の出アフリカを敢行してユーラシア大陸に進出した後、西(ヨーロッパ)の寒冷地帯に住むネアンデルタール人だけでなく、中央アジアや東アジアにデニソワ人という別の旧人が存在していたというのは衝撃的な発見です。彼らはどこで、どういうふうに生まれてきたのでしょうか。
篠田 そこは現在、最も混沌としているところでもあるんです。人類進化の研究は、基本的に化石を調べることでした。何十年もの間、古い時代、古い時代へとさかのぼっていたんです。ですから、ほとんどの努力がアフリカ大陸で行われていました。旧人類についてはアフリカ大陸以外のところ、特にユーラシア大陸で骨を探すという努力になるんですが、これまでそれほど注目されていませんでした。最近になってDNA人類学がこの時代の進化のストーリーを提唱したばかりなんです。
橘 ホモ・サピエンスはこれまでアフリカで誕生したというのが定説でした。しかし、近年の遺伝人類学では、ネアンデルタール人やデニソワ人と同様、ユーラシア大陸で共通祖先から分岐した可能性が出てきたんですね。これこそまさに、最大のパラダイム転換です。
篠田 ホモ・サピエンスとネアンデルタール、デニソワ人が共通祖先から分かれたのがおよそ60万年前、最も古いホモ・サピエンスと認識できる化石が出てくるのが30万年ほど前になります。ですから私たちの進化の過程の最初の30万年間は謎に包まれているんです。祖先がどこにいたのか、今後より古いホモ・サピエンスの化石の探求は、アフリカだけでなく、ユーラシア大陸まで視野に入れたものになるでしょう。
⚫︎ホモ・サピエンスは なぜ、生き残れたのか
橘 6万年ほど前にホモ・サピエンスによる出アフリカが起こり、アフリカ(サブサハラ)以外のヒトはみなその子孫というのが定説ですが、最新の研究ではどうなっているんでしょうか?
篠田 それはある程度従来の予想通りといえそうです。7万年から5万年前、だいたい6万年前にアフリカ大陸を出た数千人のホモ・サピエンスのグループが、今のアフリカ人以外の人類の先祖であるという考え方、そこは揺らいでいないと思います。
ユーラシア大陸における初期拡散の様子(『人類の起源』より) 拡大画像表示
橘 しかし、遺伝人類学の近年の知見では、その先祖より前に、ユーラシア大陸にはホモ・サピエンスがいたとされているわけですよね。
篠田 そうです。ある程度は出ていたのでしょう。それも難しいところでして。中国では10万年くらい前にサピエンスがいたという説があったんですが、それは化石の年代が間違っていたんだという話もあって。出たんだ、いや違うっていうところでせめぎ合っていますが、6万年前より前に出ていたという証拠が多くなってきています。ただし、彼らは現在の私たちにつながらなかったということになりますが。
橘 それ以前から中近東や北アフリカで細々と暮らしていたサピエンスは、かなり脆弱(ぜいじゃく)な種で、ほぼ絶滅してしまったということですか。
篠田 そういうふうに考えています。
橘 だとすると、6万年前に出アフリカしたサピエンスが、なぜ短期間で南極を除く地球上に繁殖したのか、という疑問が出てきますよね。それまでネアンデルタール人やデニソワ人に圧倒されていたのに、いきなり立場が大逆転してしまう。旧サピエンスに対して、ミュータント・サピエンスというか、「ニュータイプ」が現れたんじゃないかと思ってしまいます。
東アフリカのサピエンスの一部が突然変異で大きな前頭葉を持ち、知能が上がって複雑な言語を使うようになって、大きな社会を作るようになったからだという説もありますね。
篠田 『5万年前――このとき人類の壮大な旅が始まった』(ニコラス・ウェイド著、安田喜憲監修、沼尻由起子訳、イースト・プレス)という有名な本がありまして、まさにその発想で書かれているんです。ホモ・サピエンスには言葉や集団を束ねる力があったといった話をされているんですけれども。
ただ、文化の視点で見ていくと、例えばビーズを作ることは10万年以上前からやっているんですね。アフリカ大陸全体で。そういうことから考えると、サピエンスは徐々に変化していったんだろうと私は考えているんです。そのころ、サピエンスに知識革命が起こったんだっていう説は、今では信じていない人のほうが多くなっていると思います。
じゃあ、なんで6万年前に出たのかと言われると、ちょっと答えが見つからなくて。まさにそこ、サピエンスがアフリカを出たということ、世界を席巻したということがキーになっているんです。
橘 それまで東アフリカと中近東の一部に押し込められていたサピエンスが、わずか2万年ほどでユーラシア大陸の東端まで到達し、ネアンデルタール人やデノソワ人などの先住民が絶滅していく。そこでいったい何があったのかは誰もが知りたいところです。
篠田 ネアンデルタール人のゲノムと、ホモ・サピエンスのゲノムとを比べていったとき、私たちに伝わらなかった部分があります。X染色体のある部分もそのひとつです。
そこは何に関係しているかというと、生殖能力だという話があるんです。つまり結局、サピエンスが世界を席巻できたのは、ネアンデルタール人より生殖能力が高かったからだと。繁殖能力が高かったという、そういう考え方です。
一方で、ご指摘のように彼らとは文化が違うんだと。それが席巻する理由になったんだという考え方ももちろんあります。ただ、今はそちらの旗色はあまりよくないんです。
というのは、ヨーロッパでネアンデルタール人が作った文化は、ホモ・サピエンスに近いレベルのものであったという証拠が出始めているんです。
ネアンデルタール人の位置づけは歴史的にすごく変遷していて、時代によって野蛮人だったり、我々に近かったりと捉え方もさまざまです。今は我々に近いところだと考えられているんですけども、だから彼らは滅んだというより、私たちサピエンスが吸収してしまったとみるほうが正しいんじゃないかという人もいます。
橘 単に生殖能力が違っていたということですか。
篠田 ヨーロッパのネアンデルタール人は人口比でサピエンスの10分の1くらいしかいなかっただろうといわれています。
彼らも進化の袋小路に入りかけていて、なかなか数が増やせなかったところに、とにかく多産なホモ・サピエンスが登場したので、吸収されたんだと。ネアンデルタール人との交雑によって、最初はホモ・サピエンスのゲノムに10%くらいネアンデルタール人のゲノムが入っていったと考えられていて、それはまさに両者の人口比そのものだったのではという説もあります。
橘 なるほど。
篠田 ネアンデルタール人とサピエンスは融合してゆくんですけれども,サピエンスのほうが結果的に人を増やすことができた。そこが一番大きいんじゃないかと私は思いますけどね。
橘 その一方で、サピエンスによるジェノサイド説がありますよね。チンパンジーは、自分たちと異なる群れと遭遇すると、オスと乳児を皆殺しにして、妊娠できるようになったメスを群れに加えます。
現在のロシアとウクライナの紛争を見ても、人間の本性だって同じようなものじゃないか。6万年前のホモ・サピエンスが、容姿の大きく異なるネアンデルタール人やデニソワ人と初めて遭遇したとき、「友達になりましょう」なんてことになるわけがないというのは、かなり説得力があると思うんですが。
篠田 今の社会状況を見れば、直感的に受け入れやすい学説かもしれません。
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橘 サピエンスは言語や文化(祭祀や音楽、服や入れ墨)などを印(シンボル)として、1000人規模の巨大な社会を構成できるようになった。それに対してネアンデルタール人の集団はせいぜい数十人なので、抗争になればひとたまりもなかった。
生物学的に、男はできるだけ多くの女と性交して遺伝子を後世に残すように設計されているから、チンパンジーと同様に、先住民の女を自集団に取り込んで交雑が進んだ。リベラルの人たちには受け入れがたいでしょうが、納得してしまいますよね。
篠田 人類がなぜ進化したのかについて、第2次世界大戦が終わったころはそういう説が多かったんです。「キラーエイプ」という考え方です。今はそれがある意味、復権しているところもありますね。
ただ、もしそれが起きていたとしたら、ネアンデルタール人の(母親から受け継がれる)ミトコンドリアDNA系統が私たちの中に残っているはずなんです。それがないですから、やはりそんなふうには交雑していなかったんだろうと私は思いますね。
橘 少なくとも大規模な交雑はなかったと。
篠田 交雑の際、メスだけが選抜的に取り込まれたという証拠はないはずです。エビデンスがない領域の議論は結局、先ほど申し上げたようにスペキュレーションの世界なので、イデオロギーが入ってきてしまうのです。
社会状況によって、解釈しやすいものがみんなの頭の中にスッと入ってきちゃうんですよね。その中で真実を探すのは、とても難しいんです。