人から字がうまいと思われたい人が向上を願う技術である。
経験上、うまい人はどんどんうまくなり、下手な人との差が開きやすい技術である一方、あるレベルまでは誰もが到達するのであるが、それ以上は実は困難を極める技術であると、私は考えている。
良寛の書で「天上大風」という書がある。
これをどう評価するかが、うまい字をかけるかどうかの分かれ目だと私は思う。
これをうまいと思う人は、字の技術のみ評価した人である。
下手だと思った人は、良寛がどういう修練を経てどういう技術を身につけ書いたかまったく理解できない人である。
超越していると思った人は、書には、技術ばかりではなく、書き手の心のあり様、字が持つ意味の力が反映されるものであることを理解している人である。
そして、良寛は、書に関しては、相当の修練を経た大家であることが知られており、世俗の欲を捨てて生きた托鉢僧だった人である。
良寛の書を見て思うことは、名は体を表すと言われると同様、字は人格を映す鏡であり、うまい字を書く技術以上に、もっと大切なものがあることに気づくべきなのだ。
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