小学校時代、本を読むこと、読書感想文を書くことを教師から求められた。
批評的視点が何であるか理解することなく、ただ読書が必要な思考訓練であるとする視点から、読書と読書感想文が強制された。
ここで、なぜ、強制と書くのか。当時は優良図書だと思っていたものが、ことごとくプロパガンダ系の本であることを後になって知ったからだ。
たとえば、小学校高学年の女子生徒が好んだ、「アンネの日記」。当時から、偽書だとする論争があったことを最近知った。その程度の価値の本が、なぜ小学校の図書館に置かれ優良図書扱いされるのか。偽書論争を知ると、読書感想文を書く意義があるのだろうか。
小学校時代、読書感想文の宿題が出るのが最も苦痛だった。どの本を読んでも、おもしろい、ためになったという言葉で読んだ感想を求められているような気がした。
読書感想文を書いたという体験を通じて、義務教育とは、大して感激した事象でもないのに、もっともらしい言葉を並べ体裁を整えることを教師が生徒に要求する制度、と思うようになった。
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