たぶん、このブログを読まれている方なら、普段から自分で、人生の勝者になるための努力をされていることと思う。
私もその一人のつもりだ。
実際に、人生の勝敗というものは、各自の価値観によって対象事項と勝敗ラインを決めることなる。だから、価値観が違う人と人生の勝敗の比較はできない。
そこで、話を単純化するために、功利的な対象事項とそうでない対象事項を組み合わせ、一昔前の私なりの価値観で恐縮だが、人生の勝敗に関する対象事項をリストアップしてみる。
学生時代、社会人時代においては、
・受験戦争に勝つこと(有名校に進学することだが実際には2次志望の学校で甘んじるケースが多い?、東大か医学部合格が勝敗ラインの人もいる)
・地元企業に就職すること(一流企業に就職するか公務員の上級職に採用されるのが勝敗
ラインの人もいる)
・やりたい仕事、やりがいある仕事に恵まれること(実際には、あまり目立たぬ職場でコツコツやるケースが多い?)
・友達がたくさんいること(友人はいてもやはり孤独?)
・たくさんの趣味を持ち、充実した余暇を送ること
・素晴らしい伴侶を得ること(理想の人と結婚するのが勝敗ラインとする人もいる)
・円満な家庭生活を維持すること
・経済的に困らないこと(最低一億円蓄財することが勝敗ラインだとする人もいる)
・それなりに出世すること(役員になるのが勝敗ラインの人もいる)
余生については、
・余生は、自分がやりたいことのために、存分にエネルギーと時間が投入できること(意外にアルコール漬の方、惰性で生活する方が多い?)
・余生は、退職金を元手に一流企業に投資して配当で悠々自適の生活を送ること(実際には、東電や日本航空の株で大損する方が多い?)
・健康でいつまでも若々しさを保ちたい(実際には、仕事に疲れる方ばかり?)
が勝敗を決める対象事項となるように思う。
さて、こうして眺めてみると、
私の場合は、「自分がやりたいことのために、存分にエネルギーと時間が投入できること」が最も価値ある事項に思える。
だから、どの時代よりも余生が最も有意義なのである。
そして、これは私の価値観であるが、
人から羨望のまなざしで見られたいという欲求のために、我々は随分余計なエネルギーと時間と金を浪費していることに気づくべきなのだ。
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