ムネオの厠

後期高齢者の平凡なブログですが、何か…?

§1094 10年前の・・?

2008-06-14 04:42:27 | 日記・エッセイ・コラム

10年前の今頃、何をしていたか覚えていますか・・?

ワタクシは10年前のちょうど今頃、一大決心をして、早期退職者募集制度に応募し、会社勤めとおさらばした頃でございます・・。

う~ん、あれからもう10年が過ぎたか・・!

この10年間がもの凄く短かったような10年でしたが、思い起こせば色々なことをやったり、色んな人と出会った10年でしたね・・。

毎週月曜日に、奥多摩の日帰り山歩きを3ヶ月続け、十分足腰のトレーニングを積んで、ヒマラヤへトレッキングへ行ったり、自動車免許を取りに教習所へ通ったり、スキーにも数回行ったな・・。

49歳になって初めて四駆のクルマを買って、どこに行くにもクルマに乗って、電車には1年間乗ったことが無かったし・・。w

会社を辞めてから1年半の間は一切仕事をせず、命の洗濯と称して遊びまわっていたっけ・・。w

英会話を習おうと決心し、新宿の大手の英会話スクールに申込みをしに行ったところ、講師が西洋人ばっかりで、急に怖気づいてUターンしたこともあったなぁ・・!

そんなある日、そろそろ仕事を再開しようかと考えていた頃、何かと世話になっているT田先輩からの紹介で、広尾の小さな会社と組んで仕事をすることになったんだけど、これが最初の話と違って、いい加減な会社と言うか、経営能力ゼロの社長で、結局、1年でその会社を辞めることに・・。

その会社の社長というのは、三●商事㈱出身の元々商社マンで、某大物政治家の秘書も勤めた人なんですが、スーパーゼネコン2社の設備設計部と強力なコネがあり、その設備設計部の下請けを専門とする設備設計事務所を開設するので、優秀な技術者を何人か集めて欲しいって言われたことが、その会社と組んで仕事をするきっかけだったのでございます・・。

代々木公園駅のすぐ近くにある大き目の事務所に移転することになってましたが、結局、移転しないでそのまま広尾のマンションを事務所代わりに・・。(古い賃貸マンション)

正社員として契約する話が、結局、社会保険も一切無しのバイト扱いだし、給料も手取り50万円の約束が、35万円に・・。

その代わり、月に60%は会社の仕事をし、それ以外は自由に自分の仕事をして良いことにして、自分の設計事務所の看板を出しても良いこになったけど・・。

社員は大手商社出身で、既にリタイアした社長と大学が同級生だった爺さん2人と、フリーター歴20年の中年の営業マンが1人、そして社長のお嬢さん2人がCADのオペレーターと営業も担当、社長の奥さんは翻訳の仕事と経理を担当・・。

設備の設計は、ワタクシが引っ張り込んだ同年代のO久保氏の2人だけで取りあえずスタートしたんですが、設備設計の稼ぎじゃ全員が食っていくには無理があるので、社長は商社マンの人脈から色んな仕事を探して来ては失敗の繰り返し・・。

可哀相なのが2人のお嬢さんたちで、歳はあの頃で25歳と28歳ぐらいだったかな・・?(大企業に勤めていたのに、父親の手伝いをする為に会社を辞め、月給5万円ぐらいで働いていた。)

2人(次女、三女)とも帰国子女だから、英語は堪能・・。

社長は商社マンだから、当然、海外生活も長く、英語はペラペラだし、奥さんも元々才女のようでして、英語は翻訳業をするぐらいペラペラ、社長の友達の爺さんも某大手商社のシンガポール支店長を長く勤めた人だから、英語はもちろんペラペラ・・。w

兎に角、社長は1日中、会社にいれば国際電話を掛けまくりだし、ネットで新しいビジネスを探したり、長女の旦那(外人)がメールで送ってくる怪しい世界中のビジネス情報を調査したり・・。

正に国際商社マン一家なんです・・。

しかし、色々なモノに手を出し過ぎて、上手く行ったビジネスが何一つ無いらしいのです・・。

中古車をイランに売ったり、ドイツワインを大量に仕入れてネット販売したり、手書きの古い図面をスキャニングして、図面を電子化する仕事に手を出したり、最後はインターネットのキャリアーをしようとして、アメリカのベンチャー企業と組んで、丸の内近辺の無線ネットワーク化の会社を立上げることになって、我々の設計部門をちょうど1年で廃止することに・・。

その1年間、ワタクシは働きましたよ~!

会社に泊まりこみで、1年間に2千万円は稼いだ・・。

でも半分は外注費で消え、残りの半分は我々設計部門の給料で消えるから、会社には全く残らないけど・・。w

その後、その会社は半年持たずに多分、倒産・・。

大企業に勤める若手の技術者を数人、払えもしない報酬話で引抜いて事業を始めたようですが、給料の遅配を繰り返して、技術者があっさり見切りを付けて辞めていったようです・・。

だから社長一家は多分、路頭に迷うことになったはず・・?

何しろ、手持ちの金は全く無いのに、キャリアーの会社を立ち上げる為に、4億円の出資を募り、大きな事務所を借りたり、社員を大勢雇ってモノに出来なかったんだからな・・。

社長の人柄の為なのか、それまでの仕事で信用があったのか、大金を出資する人がいるから不思議・・!

そんなワケで、この10年間に色々な人と出会い、ワタクシとしては人脈も広がったんですが、あのお嬢さん2人が今、どこで何をしているのか、気になる今日この頃でございます・・。

社長はもう80歳近いハズだから、もうこの世にいないかも・・?


コメント
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