【生命の起源 Ⅱ】
考えてみる価値のある答え
証拠を検討した結果,生命は優れた知性によって生み出された,という結論に至った人は少なくありません。
例えば,かつては無神論の有力な支持者であった,哲学のアントニー・フルー教授もその一人です。
生命と宇宙の物理法則の驚異的な複雑さについて知った時,見解を変えました。
古代の推論の仕方を引用して,
「我々は,証拠を検討したなら,どんな結論に至ろうと,それに従わなければならない」
と書いています。フルー教授にとって,検討した証拠は,創造者の存在を指し示していたのです。
この特集記事の初めのほうで紹介したジェラルドも,同じ結論に至りました。高等教育を受け,昆虫学を教えていましたが,こう述べています。
「生命が無生の物質から自然に生じることを示す証拠はありません。わたしは,生物に秩序と複雑さが見られることから,その組織者また設計者が存在するはずだ,と確信しました」。
芸術作品を調べればその作者について知ることができるのと同じように,ジェラルドは,自然界を研究することによって創造者の特質を認識するようになりました。
また,時間を取って,創造者の著作とされる聖書も調べました。
「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ,人を教え,戒め,誤りを正し,義に導く訓練をするうえに有益です」。
(テモテ第二 3:16)
そのようにして,人類の起源や歴史に関する疑問の納得のゆく答えや,今日の人々の直面している諸問題の実際的な解決策を知りました。
それで,聖書もやはり最高の英知の所産なのだ,と確信しました。
ジェラルドが知ったように,聖書の答えは,じっくり考えてみる価値があります。ぜひご自身で調べてみてください。
ご存じでしたか
聖書は科学を否定しているわけではありません。
否定するどころか,自然界を調べてみるよう勧めています。
「あなた方の目を高く上げて見よ。だれがこれらのものを創造したのか。それは,その軍勢を数によって引き出しておられる方であり,その方はそれらすべてを名によって呼ばれる。
満ちあふれる活動力のゆえに,その方はまた力が強く,それらの一つとして欠けてはいない」。
(イザヤ 40:26)
聖書は,科学の教科書ではありませんが,科学的な事実と調和しています。
特殊創造説では,地球が文字どおりの24時間を1日とする6日間で創造されたということですが,聖書はそのような説を支持してはいません。
創世記で用いられている「日」という語は,かなり長い期間に当てはまるのです。
聖書によると
生命は生命からしか生じない。「命の源はあなた神のもとにある」。
「命の泉(源)はあなた[神]にあり,あなた[神]の光に,わたしたちは光を見る」。
詩編 36:9。
神は植物と動物を「その種類にしたがって」造られた。
『次いで神は言われた,「地は草を,種を結ぶ草木を,種が中にある果実+をその種類にしたがって産する果実の木を,地の上に生え出させるように」。するとそのようになった。
そして地は草を,その種類にしたがって種を結ぶ草木と果実を産する木,その種類にしたがって種が中にあるものを出すようになった。それから神はそれを良いとご覧になった」』。
(創世記 1:11,12)
『神は言われた。「地は,それぞれの生き物を産み出せ。家畜,這うもの,地の獣をそれぞれに産み出せ」。そのようになった。
神はそれぞれの地の獣,それぞれの家畜,それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て,良しとされた』。
(創世記 1:24,25)
聖書は,それぞれの「種類」にどれほどの幅があるのか,明示していません。
ですから,各種類内での変種が幾らか生じることはあります。
神は人間に,ご自分と同じ倫理的特質を発揮する能力を付与された。
それらの特質の中には,愛,善良,公正などが含まれます。神は,ご自分の「像に」,ご自分と「似た様に」人を造る,と言われたのです。
次いで神は言われた,「わたしたち(神と*天のイエス)の像(かたち)に,わたしたちと似た様に人を造り,彼らに海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜と全地と地の上を動くあらゆる動く生き物を服従させよう」。
(創世記 1:26)
【クリック】