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「政府発表を鵜呑みにせず自分の身は自分で守れ」 チェルノブイリ事故処理班の生存者が語る 凄惨な過去と放射能汚染への正しい危機感
一部引用
「危険ゾーンのなかでは植物が枯れ、動物が死に命あるものすべてが影響を受けた。放射能は動物の脳にも影響を与え、
通常は人に寄りつかないキツネが近づいてきた」――。放射線生物学者として1986年に起きたチェルノブイリ事故の汚染除去作業
を指揮したナタリア・マンズロヴァ氏は、硬い表情で当時を振り返る。同僚を失い、自らも甲状腺がんを2度患い、生死の境をさまよった。
過酷な作業環境、そして今後予想される福島原発事故の健康被害の規模などについて、話を聞いた。
(聞き手/ジャーナリスト、矢部武)
――福島原発事故が起きたときに何を考えたか。
チェルノブイリ事故処理作業に関わった科学者は皆、福島原発事故の報道を見て、
「第2のチェルノブイリ」が起きたと思っただろう。
私たちはチェルノブイリ事故には肝をつぶすほどに驚いたが、まさかこれほどまでに深刻な事故が日本で起こるとは夢にも思わなかった。
世界はチェルノブイリ事故の教訓から何も学んでいないということだろう。これまで行われたチェルノブイリ関連の検査や調査研究などの結果はすべて公表すべきである。
――チェルノブイリの事故処理作業はどのように進められたのか。
危険ゾーン内ではアパートやオフィスビル、家具などあらゆるものが大量の放射能に汚染されたため、
作業班はこれらを解体して軍用トラックで運び、地面に埋めた。軍人のなかには放射線量が高すぎる場所での作業を拒否する者もいた。
また、近くには青々と茂った松林があったが放射能を浴びて赤く枯れ、まさに「レッドフォレスト」と化した。
汚染された松林から放射性物質が漏れないように、ヘリコプターで空から大量の特殊接着剤が撒かれた。
福島でも事故処理作業が進められていると思うが、日本は狭い国なので放射能汚染されたものをどこに埋めるかも今後の課題になるかもしれない。
――放射能汚染地域での作業は健康被害が心配だが。
作業を始めてしばらくして、科学者チームメンバーのほとんどが体調不良を起こした。
インフルエンザにかかったときのように高熱が出て体が震え、全身の筋肉が痛んだ。また、突然の眠気に襲われたり、
異常に食欲が増して常に何かを食べていないと我慢できないような状態になったりした。体のなかの良い細胞がどんどん減り、悪い細胞が増殖しているのを実感した。
――あなたの研究所から作業チームに加わった科学者14人のうち、あなたを除いて全員は亡くなったというが。
その通りだ。私たちは皆チェルノブイリ事故によってすべての国民が放射能汚染にさらされることを懸念し、
作業チームに加わったのだが、不幸にも癌(がん)などにかかり、命を落とした。
私自身も作業を始めて3年後に甲状腺がんが見つかり、甲状腺の半分を切除して摘出した。
そして5年間の作業を終えて家に戻った時は40歳だったが、その後3年間はひどい体調不良で仕事はできず、ほぼ寝たきり状態だった。
甲状腺がんも再発し、2度目の手術で甲状腺をすべて切除してしまったため、今はホルモン剤治療を受けながら、なんとか生きている。
――福島原発の放射能汚染による健康被害はどこまで拡大するかと思うか。
福島原発の原子炉からの放射能漏れが完全に止まった時点で汚染地域の放射線量などを測定してからでないと、全体的な健康被害の規模を予測するのは難しい。
たとえば、一定量の毒物を入れたコップの水を一気に飲めばすぐに死ぬかもしれないが、それを毎日少しずつ飲めばしばらくは元気でいられるかもしれない。
しかし、それでも毒は少しずつ体に蓄積され、いずれ命の危険にさらされるだろう。健康被害が早く出るか遅く出るかの問題である。
日本政府の人たちは汚染地域の住民と直接会い、彼らの目を見ながら話をするべきだ。
そして放射能の影響を受けた子供や妊娠中の女性がこれからどうなるかを真剣に考え、対策を講じることだ。