「ダニエル書とあなた」
巨大な持つ王が、臣下の賢人たちを処刑すると脅します。それらの賢人たちは、王の見た不可解な夢の内容を明らかにして、それを解釈することができないからです。
そびえ立つ像の崇拝を拒んだ3人の若者が、加熱された炉に投げ込まれますが、それでも生き延びます。ある祝賀会の最中に幾百人もの人が見守る中、一つの手が現れて宮殿の壁に不思議な言葉を書き記します。
陰謀を企てたよこしまな者たちが一人の老人をライオンの坑に投げ込ませますが、その人は傷一つ負わず出てきます。神の預言者は幻の中で四つの獣を見ます。それらの獣が表していたものは、
幾千年も後の時代にまで及びます。
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ここに挙げたのは、聖書のダニエル書に含まれる記述のほんの一部にすぎません。
それらの記述には真剣に考える価値があるでしょうか。
この古い昔の書物はわたしたちの時代とどんな関係があるのでしょうか。約2600年前に起きた
出来事に感心を抱くべきなのはなぜでしょうか。
「ダニエル書 - 現代のための古代書」
ダニエル書の多くの部分は、今日でも主要な関心事となっている問題、つまり世界支配というテーマに焦点を合わせています。
ほとんどの人は、今わたしたちが難しい時代に生きているということに同意するでしょう。
ニュース報道は、気をめいらせる情報を日々矢継ぎ早にわたしたちに浴びせます。
それらの情報は、人間社会が頭の痛くなるような問題の泥沼に沈みつつあること、しかも科学や工業技術の面で際立った成果が見られるのに、そうなっていることを思い出させます。
次のことを考えてみてください。
人間は月面を歩くことができましたが、自分の住みかであるこの地球上の多くの場所では、街路を安心して歩くことができません。種々様々な現代の便利品を家に備えることはできても、時代の潮流
となっている家族の崩壊を食い止めることができません。情報化時代はもたらしても、一緒に平和に生活する方法は人々に教えることができません。かつて、歴史学の教授ヒュー・トマスはこう書きました。
「知識と教育は広まっても、人間は自制心については殆ど教えられてこなかった。他の人たちと共に生活する技術については、なおのこと教えられてこなかった」。
人間はある程度の社会秩序を確立しようとして、実に多様な統治形態のもとで自らを組織化してきました。
しかし、「人が人を支配してこれに害を及ぼした」(伝道の書・コヘレトの言葉8:9)
というソロモン王の言葉が当てはまらなかった統治形態はひとつもありません。
もちろん、高邁な理想を抱いた支配者もいましたが、病気と死を完全になくすことは、どんな王にも大統領にも独裁者にもできません。
地上を神の意図されたとおりの楽園に戻すことは、人間にはできないのです。
しかし神は、そうしたことを行う意思も能力もお持ちです。創造者(神)は、ご自分の目的を果たすために、人間の政府の許可を必要とされません。
その方にとって、「諸国民は手おけのひとしずくのようであり、彼らははかりの上の塵の薄い層のようにみなされた」(イザヤ40:15)からです。
そうです、神は宇宙の主権者なる支配者であられます。そのような方として、創造者は人間の政府とは比べものにならない権威をお持ちです。人間によるすべての支配に代わって人類のとこしえの祝福となるのは
神の王国です。このことを明らかにする点で、聖書のダニエル書に勝るものはほかにないでしょう。