gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/business/toyokeizai-322336
「業務スーパー」の神戸物産だけが、欠かさず福島支援(3.11の)してくださってる企業です(福岡百子氏)
このブログでは、福島の仮設住宅、借り上げ住宅、施設、幼稚園、小学校、
中学校へ必要な支援品を送る活動を続ける福岡百子さんの声と共に、津波、震災に加え原発事故で被災された方々の声をお伝えします。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/business/toyokeizai-322336
「業務スーパー」の神戸物産だけが、欠かさず福島支援(3.11の)してくださってる企業です(福岡百子氏)
このブログでは、福島の仮設住宅、借り上げ住宅、施設、幼稚園、小学校、
中学校へ必要な支援品を送る活動を続ける福岡百子さんの声と共に、津波、震災に加え原発事故で被災された方々の声をお伝えします。
友達から思いがけないプレゼントをもらったことがありますか。
うれしくて、何が入っているかわくわくし、心から「ありがとう!」と言ったはずです。
聖書は神からのプレゼントです。他では知ることのできない大切なことが書かれています。
神が宇宙や地球や人間を造ったこと,もうすぐ神が地球全体を楽園に変えること、いろんな問題を乗り越えるためのアドバイスなどです。
聖書は素晴らしいプレゼントです。
聖書を学ぶと,神が私たちと親しくなりたい、友になりたいと思っていることも分かります。
聖書を学んで神について知ると、友情が育っていきます。
聖書は2600ほどの言語に翻訳され、これまでに何十億冊も出版されてきました。
世界の90%以上の人が自分の言語で聖書を読めます。毎週,100万冊が出版されています。こんな本は他にありません。
聖書は、神の導きによって書かれました。
「聖書全体は神の聖なる力の導きによって書かれたもので、教え、戒め、矯正し、正しいことに基づいて指導するのに役立ちます」。
(テモテ第二 3:16)
書いたのはもちろん人間ですが、聖書は神からの本です。
「人が聖なる力に導かれて、神からの言葉を語った」とある通りです。
「どの預言も、人間の考えによって語られたのではありません。人が聖なる力に導かれて、神からの言葉を語ったのです」。
(ペテロ第二 1:21)
例えで考えてみましょう。社長が秘書に手紙を書かせたとします。
その手紙は誰からの手紙でしょうか。社長からの手紙です。秘書からのではありません。
そこに書かれているのは社長の考えだからです。
聖書も,書いたのは人間でも神からの本です。神が人間を導いて、神の考えを書かせました。
聖書は「神の言葉」なのです。
「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、
それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです」。
(テサロニケ第一 2:13)
聖書は1600年をかけて書かれました。いろいろな時代の人が書きました。
高い教育を受けていた人もいれば,そうでなかった人もいました。医師、農民、漁師、羊飼い、王などさまざまな人たちです。
それでも、聖書に矛盾はありません。
箇所によって内容が食い違っているということはないのです。
聖書の最初の方には、世界に問題が生じるようになったいきさつが書かれています。
最後の方には、神がどのように問題を解決して、地球全体を楽園に変えるかが書かれています。
聖書全体で人類史の数千年が扱われ、神は決めたことを必ず達成することが分かります。
聖書は科学の教科書ではありませんが、科学と合っています。神からの本であればそれもそのはずです。
例えば、レビ記には病気の伝染を防ぐための神の指示が書かれています。病原菌が発見されるよりずっと前のことです。
聖書はまた、地球が宙に浮いていると述べています。
「彼は北の天を空間に張り、地を何もない所に掛けられる」。
(ヨブ 26:7)
地球が平らだと信じられていた時代に、地球が「丸い」とも言っていました。
「丸い地の上に住む方がいる。地に住む者たちはバッタのようだ。その方は天を薄織りの布のように広げ、天幕のように張って住まいとする」。
(イザヤ 40:22)
聖書は歴史についても正確です。古代の歴史書は、筆者が正直でないために不正確なことがあります。
戦いで負けたことを記録していなかったりします。
でも、聖書を書いた人たちは敗戦について正直に記し、自分の失敗についてもありのままに書いています。
例えばモーセは民数記で、自分が大きな間違いをしたことや神から罰を受けたことを書いています。
「さて、そこには共同体に飲ませる水がなかったので、彼らは徒党を組んで、モーセとアロンに逆らった。
民はモーセに抗弁して言った。「同胞が主の御前で死んだとき、我々も一緒に死に絶えていたらよかったのだ。なぜ、こんな荒れ野に主の会衆を引き入れたのです。我々と家畜をここで死なせるためですか。なぜ、我々をエジプトから導き上らせて、こんなひどい所に引き入れたのです。ここには種を蒔く土地も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも、飲み水さえもないではありませんか。
モーセとアロンが会衆から離れて臨在の幕屋の入り口に行き、そこにひれ伏すと、主(神)の栄光が彼らに向かって現れた。主(神)はモーセに仰せになった。
『あなたは杖を取り、兄弟アロンと共に共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたはその岩から彼らのために水を出し、共同体と家畜に水を飲ませるがよい』。
モーセは、命じられたとおり、主の御前から杖を取った。そして、モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った。『反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか』。モーセが手を上げ、その杖で岩を二度打つと、水がほとばしり出たので、共同体も家畜も飲んだ。主(神)はモーセとアロンに向かって言われた。
『あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない』」。
(民数記 20:2~12)
そういう正直さは、聖書が神からのものである証拠です。
聖書は信用できる本です。
アドバイスの宝庫へ続く>>>>
偶像を造る者は皆むなしく、彼らの喜ぶところのものは、なんの役にも立たない。
その信者は見ることもなく、また知ることもない。ゆえに彼らは恥を受ける。
だれが神を造り、またなんの役にも立たない偶像を鋳たか。
見よ、その仲間は皆恥を受ける。その細工人らは人間にすぎない。
彼らが皆集まって立つとき、恐れて共に恥じる。
鉄の細工人はこれを造るのに炭の火をもって細工し、鎚をもってこれを造り、
強い腕をもってこれを鍛える。彼が飢えれば力は衰え、水を飲まなければ疲れはてる。
木の細工人は線を引き、鉛筆でえがき、かんなで削り、コンパスでえがき、
それを人の美しい姿にしたがって人の形に造り、家の中に安置する。
聖書(イザヤ記44:9~13)
彫刻像を形造る者はみな実在しないものであり、彼らのお気に入りの物も何の益にもならない。
それらは彼らの証人として何も見ず,何も知らない。それは彼らが恥をかくためである。
だれが神を形造ったり、単なる鋳像を鋳たりしたのか。それは全く何の益にもならなかった。
見よ、その仲間もみな恥をかくであろう。職人たちは地の人から出たのである。
彼らはみな共に集まり合う。彼らは立ち止まる。彼らは怖れる。彼らは同時に恥をかく。
かぎなたで鉄を彫る者は、炭火を使って忙しく働いた。彼はつちでそれを形造ってゆき,
その力強い腕で忙しく働く。また、彼は空腹になった。そのために力が出ない。
彼は水を飲まなかった。そのために疲れる。
木を彫る者は測り綱を張り伸ばした。彼は朱墨でそれを描き、木を削る道具でそれを作り上げ,
コンパスでそれを描いてゆき、徐々にそれを人にかたどった物に似せ,
人間の美しさのように造り、家の中に座らせる。
聖書(イザヤ書44:9~13)
杉を切り倒すことを業とする者がいる。彼は、ある種類の木、それも巨木を取り、
それを森林の木々の中で自分のために強くする。
彼は、月桂樹を植えた。 降り注ぐ雨が、それを大きくしてゆく。
そして、それは、人が火を燃やし続けるためのものとなった。
すなわち、彼はその一部を取って身を暖めようとする。
事実、彼は火をおこし、実際にパンを焼く。また、 自分が身をかがめるための神を作る。
彼は、それを彫刻像に作り、それに平伏する。 彼は、その半分を火の中で実際に燃やす。
その半分で、自分の食べる肉をよく焼いて満ち足りる。
また、彼は自分の身を暖めて言う「ははあ、暖まった。 火明かりを見た」と。
しかし、彼はその残りを実際に、神に作り、 自分のための彫刻像とする。
彼は、それに平伏し、身をかがめ、 それに向かって祈って言う「わたしを救い出してください。
あなたは、わたしの神だからです」と。 彼らは、知るようにならなかった。
また、理解することもない。 彼らの目は、塗料にまみれて見えず、
その心もそうなっていて、洞察力がないからである。
そして、だれも「わたしは、その半分を火の中で燃やした。
わたしはまた、そのおき火でパンを焼いた。 わたしは、肉を焼いて食べる。
それなのに、 わたしは、その残りで、ただの忌むべきものを作ったりするものか」
と、言って、その心に思い起こすことも、知識または、 理解をもつこともない。
彼らは、灰を食っているのである。 もてあそばれたその心が彼を迷わせたのだ。
聖書(イザヤ書44:14~20)
彼は林の中で力を尽くし、樅を切り、柏や樫の木を選び、また、樅の木を植え、雨が育てるのを待つ。
木は薪になるもの。人はその一部を取って体を温め、一部を燃やしてパンを焼き、
その木で神を造ってそれにひれ伏し、木像に仕立ててそれを拝むのか。
また、木材の半分を燃やして火にし、肉を食べようとしてその半分の上であぶり、
食べ飽きて身が温まると、「ああ、温かい、炎が見える」などと言う。
残りの木で神を、自分のための偶像を造り、ひれ伏して拝み、祈って言う。「お救いください、あなたはわたしの神」と。
彼らは悟ることもなく、理解することもない。目はふさがれていて見えず、心もふさがれていて、目覚めることはない。
反省することもなく、知識も英知もなく、「わたしは半分を燃やして火にし、
その炭火でパンを焼き、肉をあぶって食べた。残りの木で忌むべきものを造ったり、木の切れ端を拝んだりできようか」とは言わない。
彼は灰を食らい、惑わされた心は、その道を誤らせる。彼は自分の魂を救うことができず、
わたしの右の手にあるのは偽りではないか」とすら言わない。
聖書(イザヤ書44:14~20)
主(神)はこう言われる。
異国の民の道に倣うな。天に現れるしるしを恐れるな。それらを恐れるのは異国の民のすることだ。
もろもろの民が恐れるものは空しいもの、森から切り出された木片、木工がのみを振るって造ったもの。
金銀で飾られ、留め金をもって固定され、身動きもしない。
きゅうり畑のかかしのようで、口も利けず、歩けないので、運ばれて行く。そのようなものを恐れるな。
彼らは災いをくだすことも、幸いをもたらすこともできない。
主(神)よ、あなたに並ぶものはありません。あなたは大いなる方、御名には大いなる力があります。
諸国民の王なる主(神)よ、あなたを恐れないものはありません。それはあなたにふさわしいことです。
諸国民、諸王国の賢者の間でも、あなたに並ぶものはありません。
彼らは等しく無知で愚かです。木片にすぎない空しいものを戒めとしています。
それはタルシシュからもたらされた銀箔、ウファズの金、青や紫を衣として、木工や金細工人が造ったもの。
いずれも、巧みな職人の造ったものです。
主(神)は真理の神、命の神、永遠を支配する王。その怒りに大地は震え、その憤りに諸国の民は耐ええない。
このように彼らに言え。天と地を造らなかった神々は、地の上、天の下から滅び去る、と。
御力をもって大地を造り、知恵をもって世界を固く据え、英知をもって天を広げられた方。
主(神)が御声を発せられると、天の大水はどよめく。
地の果てから雨雲を湧き上がらせ、稲妻を放って雨を降らせ、風を倉から送り出される。
人は皆、愚かで知識に達しえない。金細工人は皆、偶像のゆえに辱められる。
鋳て造った像は欺瞞にすぎず、霊を持っていない。
彼らは空しく、また嘲られるもの、裁きの時が来れば滅びてしまう。
聖書(エレミヤ書10:2~10:15)
神は、このように言われた。
「決して諸国民の道を学んではならない。天のしるしによって恐怖の念を抱いてはならない。
諸国民がそれによって恐怖の念を抱くからといって。
もろもろの民の習わしは単なる呼気にすぎないからである。
それは人が切り倒した森林の一本の木、かぎなたによって職人の手が作ったものにすぎない。
人は銀や金でそれを美しくする。彼らはくぎやつちでそれらを打ちつけ、どれもふらつくことのないようにする。
それらはきゅうり畑のかかしのようであり、話すことができない。それらは必ず運ばれる。
一歩も歩けないからである。それらのゆえに恐れるな。
それらは災いとなるどんなことをもなしえず、しかも、良いことを行なうことはそれらと共にはないからである」。
神よ、あなたのような方は決していません。あなたは大いなる方、あなたのみ名は力強さにおいて大いなるものです。
諸国民の王よ、だれがあなたを恐れないでしょうか。それはあなたにふさわしいことだからです。
諸国の民のすべての賢者たちの中にも、そのすべての王権の中にも、あなたのような方は決していないからです。
そして、彼らは道理をわきまえておらず、同時に愚鈍です。木は空しさの単なる勧告なのです。
板のように打ち延ばした銀はタルシシュからもたらされるもの、金はウファズからのもの、
職人と金属細工人の手とによって作られたものです。彼らの衣は青糸と赤紫に染めた羊毛。
それらはすべて熟練した人たちの作ったものです。
しかし、神(ヤハウェ、エホバ)は真実に神である。生ける神、定めのない時に至るまで王である。
その憤りのゆえに地は激動し、いかなる国民もその糾弾の下で耐え抜くことはできない。
あなた方は彼らにこのように言うであろう。
「天をも地をも造らなかった神々は、地からもこの天の下からも滅びうせる者となる」。
神はその力によって地を造った方、その知恵によって産出的な地を堅く立てた方、
その理解によって天を張り伸ばした方である。神はその声によって天に水の騒ぎを与え、
地の果てから蒸気を上らせる。神は雨のために水門溝をも造られた。そしてご自分の倉から風を出される。
すべての人は知ることがないほど道理に反する振る舞いをした。
すべての金属細工人は彫刻像のために必ず恥をかくであろう。
その鋳像は偽りであり、そのうちに霊はないからである。それらはむなしいもの、愚弄の業である。
それらは注意を向けられる時、滅びうせるのである。
聖書(エレミヤ書10:2~10:15)
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/fnn/bizskills/fnn-00049673HDK
一部引用
<退職代行にはこんな違いがある>
①「弁護士」が行う代行業務
・料金は平均5万円
・依頼者の辞意の伝達や、退職金・有給休暇消化などの交渉をしてくれる
⇒弁護士なら会社との交渉ができる
②「弁護士資格」を持たない退職代行
・料金は1万〜5万円
・業務内容は、依頼者の辞意の伝達のみ
⇒弁護士法に基づき、会社との交渉は一切できない!
サバンナ高橋:
同じくらいの値段なら、弁護士さんに頼んだ方がいい気がしますけど。
<弁護士資格のない退職代行の落とし穴!>センチュリー法律事務所・小澤亜季子弁護士によると…
・退職代行から「退職完了」の連絡が来るも、激怒した勤務先から依頼主へ大量の連絡が!
⇒退職代行側は「うちは弁護士じゃないので交渉できない」と話し、最後は弁護士に相談することになったという
倉田大誠アナウンサー:
「辞めます」と言うことだけ代行してもらって、あとは自分でやれますという方であれば、弁護士資格を持たない代行を利用することもいいとは思います。
ただ、そのあとトラブルが起きた場合に対応できないというのは、注意が必要かもしれませんね。
サバンナ高橋:
たしかにこの頼み方は、一番もめそうですよね。代わりに「辞めます」とだけ伝えてもらって、そのあとに「退職金の話なんですけど…」って。
「お前、まず辞めるってこと自分で言いに来いや!」ってなりそう。