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「世の富のむなしさ」
しかし人は、その栄華のうちにとどまれない。人は滅びうせる獣に等しい。
聖書(詩編49:12)
とはいえ、地の人は、誉れを受けてはいても、とどまり続けることはできない。
その人は滅ぼされた獣にも比べられる。
(詩編49:12)
人間は栄華のうちにとどまることはできない。屠られる獣に等しい。
(詩編49:12)
人に富が増し、その家に名誉が加わるときも、あなたは恐れることはない。
死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず、名誉が彼の後を追って墓に下るわけでもない。
命のある間に、その魂が祝福され、幸福を人がたたえても彼は父祖の列に帰り、永遠に光を見ることはない。
人間は栄華のうちに悟りを得ることはない。屠られる獣に等しい。
(詩編49:16~20)
ある人が富を得ても、その家の栄光が増し加わっても、そのために恐れてはならない。
彼は死ぬとき、何も携えて行くことができないからだ。その栄光が彼に伴って下ることもない。
その生きている間,彼は自分の魂を祝福しつづけたからだ。(人々はあなたが自分のためにうまくやるのであなたをたたえる。)
彼の魂は、ついには父祖たちの世代に行き着くにすぎない。彼らはもう決して光を見ない。
地の人は、誉れを受けてはいても、理解を示さないなら、滅ぼされた獣にも比べられる。
(詩編49:16~20)
恐れるな。人が富を得ても、その人の家の栄誉が増し加わっても。
人は、死ぬとき、何一つ持って行くことができず、その栄誉も彼に従って下っては行かないのだ。
彼が生きている間、自分を祝福できても、また、あなたが幸いな暮らしをしているために、人々があなたをほめたたえても。
あなたは、自分の先祖の世代に行き、彼らは決して光を見ないであろう。
人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。
(詩編49:16~20)
彼が死ぬときは何ひとつ携え行くことができず、その栄えも彼に従って下って行くことは/ないからである。
たとい彼が生きながらえる間、自分を幸福と思っても、またみずから幸な時に、人々から称賛されても、
彼はついにおのれの先祖の仲間に連なる。彼らは絶えて光を見ることがない。
人は栄華のうちに長くとどまることはできない。滅びうせる獣にひとしい。
(詩編49:16~20)
歴史のひとこま
ウィリアム・ウィストン
ウィリアム・ウィストンは,科学者,数学者,聖職者,多作の著述家でした。英国の物理学者で数学者のアイザック・ニュートン卿の同僚でもありました。
1702年には,ニュートンの後を継いで英国ケンブリッジ大学のルーカス数学講座教授となりました。この教授職は,科学と技術の分野の優れた知性の持ち主たちによって受け継がれてきました。
ウィストンはまた,西暦1世紀のユダヤ人の歴史家フラビウス・ヨセフスの著作を英訳したことで,特に聖書研究者たちに知られています。
「ヨセフス著作集」(英語)を読めば,ユダヤ人の歴史や初期クリスチャンの世界のことがよく分かります。
信じていた事柄
ウィストンは自分の英知を,多くの論題に,特に科学と宗教に用いました。それで,聖書の創造に関する記述は正確であり,自然界に見られる造り,優雅さ,秩序などはそれを設計して創造した神を明らかにしている,と信じていました。
さらに,キリスト教世界の諸教会が多くの宗派に分裂したのは,聖職者たちが聖書から迷い出て,非聖書的な教えを,また教会会議やいわゆる教父たちの伝承を好んだからである,と考えていました。
また,聖書を霊的な真理の書と認めていたので,火の燃える地獄で永遠の責め苦に遭うという教えを退けました。そして,その教えを,ばかげた残酷なもの,神に対する侮辱とみなしました。
とりわけ教会当局からの反感を買ったのは,三位一体の教理を退けたことでした。その教理によれば,神は,父と子と聖霊という3つの,同等で永遠に共存する位格から成るのです。それでも,3つではなく1つの神である,とされています。
「名高い大学教師の地位から落伍者の地位に身を落とした」
ウィストンは,注意深く調べた結果,三位一体は初期クリスチャンの教えではなく,後代にキリスト教に異教の哲学が入り込んで受け入れられたのだ,という結論に至りました。
友人たちからは調査結果を公表することの危険について警告されましたが,神の子であり創造された者であるイエスの真の姿がゆがめられていることに気づきながら,そ知らぬ顔をすることはできませんでした。
ケンブリッジ大学は,だれであれ英国国教会の教理に反する考えを教える者を教職から締め出したので,ウィストンは教授職を失う可能性がありました。
それでも,ニュートンとは異なり,沈黙してはいませんでした。ニュートンは,やはり三位一体を偽りの教えと考えてはいましたが,その見解を表明する点では消極的だったのです。
ウィストンは,「わたしは,世俗でどんな損失を被ろうとも……沈黙したりしない」と書いています。
1710年,ウィストンはケンブリッジから追放されました。自分の信念を曲げようとしなかったため,「名高い大学教師の地位から落伍者の地位に身を落とし」ました。
それでも,おびえませんでした。事実,異端者であると非難されている間も,「原始キリスト教復興」(英語)と呼ばれる一連の小論を書きました。
「原始」とは,イエスの初期の追随者が実践した本来のキリスト教のことです。後にウィストンは,原始キリスト教振興協会を創設し,ロンドンの自宅で会合を開きました。
教授の職を失い,しばらくは財政面で苦しかったものの,執筆活動を続け,ロンドンの喫茶店で講演しました。そして1737年に,初期クリスチャンの歴史的背景を理解する助けとして,ヨセフスの著作の翻訳を公表しました。その翻訳は,今でも入手可能です。
ウィストンは勇敢だったとはいえ不興を買っていたため,今日の多くの人から「偏屈な人物」とみなされている,と著述家のジェームズ・E・フォースは述べています。
しかし,ウィストンを聖書学者,誠実に宗教上の真理を探究した人,信念を貫いた人として称賛する人たちもいます。
概要
ウィリアム・ウィストン(1667年‐1752年)は,アイザック・ニュートン卿と親交のあったグループの一員だった。宗教上の多くの点でニュートンと同じ信念を抱いていた。
しばらくの間ニュートンから仕事の面で惜しみない支援を受けたが,後には追放された。
異端者であると訴えられたが,有罪宣告を受けたことはない。
「ウィストンの際立った特質の一つは,その徹底した正直さであった」。―「聖書の英語訳」。
大衆に迎合しなかった思想家
「当時の人々が,ウィストンは主義主張を貫こうとして熱心さのあまり仕事を犠牲にしている,と考えたのに対し,ウィストンは,当時の人々こそ栄達[個人的な昇進]のために主義主張をあまりにも安直に犠牲にしている,と考えた」。
「ウィリアム・ウィストン ― 誠実なニュートン説信奉者」(英語)。
「ウィストンは宗教の分野でも,調査し熟考して結論を導き出すために科学的手法を用いた。三位一体を信じなかったのは,そして原始キリスト教を信じたのは,多くの書物を読み,よく考えたうえでのことだった」。
(ロバート・ブルーエン博士)