「都と京」という本がちょっと前に文庫本になって発売された。
![](http://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/?pc=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fbook%2fcabinet%2f1013%2f10135119.jpg%3f_ex%3d128x128&m=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fbook%2fcabinet%2f1013%2f10135119.jpg%3f_ex%3d80x80)
この本はたしか、
「負け犬の遠吠え」というエッセイを書いた女性ライターによる、
東京と京都の、言わば比較分化論(?)のような本。
筆者は東京生まれ、東京在住。
むしろ京都の方に比重が置かれていて、
京都についてのことの方が沢山書かれている。
しかし東京について書いてあることも興味深く読んだ。
全体に示唆に富んでいる。
あの麻生圭子の駄本と比べれば、
どれだけグレードが高く溜飲が下がるかは言うまでもない。
例えば一つだけ例をあげると「はる」という、
京都独特の敬語についての記述。
京都では自分の親や子供や、犬にまで敬語を使う。
それだけでなく泥棒にまで敬語を使う、
という俗説がある。
私は自分の子供に「はる」を使うのは抵抗があってイヤだが、
でも泥棒に「はる」は使うと思う…。
泥棒があの家に入って、
根こそぎ盗んでいかはったらしい…なんていう風に。
麻生圭子は、
京都人が犬や子供にまで「はる」を使うのはおかしい、変だ、と、
上から目線で、わざわざ京都人の友達に注意までする始末。
それ、おかしいからやめた方がいい…と。
ところが「都と京」の著者酒井順子は、
京都人は犬や犯罪者にも「はる」を使い、
そして天皇陛下にも「はる」を使う
(天皇さんが京都に来たはるらしい…等)、
だとすれば、「はる」は敬語ではないのだ、と、
すぐに話が次段階へ進み、
「はる」に関する考察へスライドしてゆく。
すなわち、「はる」は自分と他者を区別する、
他者と一線を引くための言葉である、と。
京都人は、他人とは距離を置くことを常としている。
『「自分でない者は、親でも犬でも殺人犯でも上司でも「してはる」』
『(天皇のような)圧倒的な高所にいる存在でも「はる」だし、
犬にも「はる」』
そして
『相手が誰であっても「はる」によって、その高低差をフラットにする』
自分以外は誰であっても平等。
この分析になるほどと感じ入った。
これくらいの分析をしてくれれば我々京都にいる者も文句はない。
あの人がこれこれということを「したはる」、と言う時、
一見、その人を敬っているような言い方ではあるが、
丁寧に言っているだけで、
敬う気持ちはなかったりするのだ。
むしろ相手(の身分)を自分と同じ立場に引き寄せ、
それでいながら自分とは違う他者の行動として突き放す。
この京都人の、
他者との距離感が「はる」に現れているのかもしれない。
麻生圭子がいかにとんちんかんであるかが良く分かるだろう。
あと色々面白い話があった。
京都の公園には(東京に比べて)じいさんがうようよいる、とか、
京都人は
「京都の中心近くに(古くから)住んでいればいるほど偉い」
という感覚を持っていて、
少しでもそれから外れると、
自分はこれっぽちもみやこ人だと思っていないという態度をとる…など。
なかなか鋭い。
私も全くそのとおりだから。
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この本はたしか、
「負け犬の遠吠え」というエッセイを書いた女性ライターによる、
東京と京都の、言わば比較分化論(?)のような本。
筆者は東京生まれ、東京在住。
むしろ京都の方に比重が置かれていて、
京都についてのことの方が沢山書かれている。
しかし東京について書いてあることも興味深く読んだ。
全体に示唆に富んでいる。
あの麻生圭子の駄本と比べれば、
どれだけグレードが高く溜飲が下がるかは言うまでもない。
例えば一つだけ例をあげると「はる」という、
京都独特の敬語についての記述。
京都では自分の親や子供や、犬にまで敬語を使う。
それだけでなく泥棒にまで敬語を使う、
という俗説がある。
私は自分の子供に「はる」を使うのは抵抗があってイヤだが、
でも泥棒に「はる」は使うと思う…。
泥棒があの家に入って、
根こそぎ盗んでいかはったらしい…なんていう風に。
麻生圭子は、
京都人が犬や子供にまで「はる」を使うのはおかしい、変だ、と、
上から目線で、わざわざ京都人の友達に注意までする始末。
それ、おかしいからやめた方がいい…と。
ところが「都と京」の著者酒井順子は、
京都人は犬や犯罪者にも「はる」を使い、
そして天皇陛下にも「はる」を使う
(天皇さんが京都に来たはるらしい…等)、
だとすれば、「はる」は敬語ではないのだ、と、
すぐに話が次段階へ進み、
「はる」に関する考察へスライドしてゆく。
すなわち、「はる」は自分と他者を区別する、
他者と一線を引くための言葉である、と。
京都人は、他人とは距離を置くことを常としている。
『「自分でない者は、親でも犬でも殺人犯でも上司でも「してはる」』
『(天皇のような)圧倒的な高所にいる存在でも「はる」だし、
犬にも「はる」』
そして
『相手が誰であっても「はる」によって、その高低差をフラットにする』
自分以外は誰であっても平等。
この分析になるほどと感じ入った。
これくらいの分析をしてくれれば我々京都にいる者も文句はない。
あの人がこれこれということを「したはる」、と言う時、
一見、その人を敬っているような言い方ではあるが、
丁寧に言っているだけで、
敬う気持ちはなかったりするのだ。
むしろ相手(の身分)を自分と同じ立場に引き寄せ、
それでいながら自分とは違う他者の行動として突き放す。
この京都人の、
他者との距離感が「はる」に現れているのかもしれない。
麻生圭子がいかにとんちんかんであるかが良く分かるだろう。
あと色々面白い話があった。
京都の公園には(東京に比べて)じいさんがうようよいる、とか、
京都人は
「京都の中心近くに(古くから)住んでいればいるほど偉い」
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なかなか鋭い。
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