昨日、NHKで放送された伊勢神宮遷宮についての学者、
建築家5名による討論会は興味深いものがありました。
その中で、山折哲雄さんが、神には沢山の種類が存在する
ようだと。特に、神の祭り方を見ると、生死を超越した
”生き通し”の神と、死と再生を繰り返す肉体を持つかのよう
な”人格神”の神、とに大きく2つに分けられると仰りました。
その人格神の神や、怨霊の類を祭る神社は、社殿が大きく
人が住めるような設計で荘厳華麗なものであると。ところが、
自然の山自体が御神体である神の社殿は、非常に簡単・
質素なものであり、特に奈良の春日大社の御神殿は、
御神輿(おみこし)の大きさしか無くて、移動できるようなもの
だと。裏に在る山から神霊が、必要な時にだけ降臨して、
神殿に仮止まりするだけだから、小さくても良いとのことです
私は、これを聞き、なるほどと思いました。
例えば、出雲大社は現在も、大きな社殿を構えておりますが、
4、5千年前は、もっと巨大だったと霊視できます。
どれ位の巨大さかと言えば、高さが有るのです。10階建ての
ビル以上の高さを観じます。木造建築の限界だったと思い
ます。3本の巨木を束ねたものを1本の社殿の柱として、それ
を何本も使用して建てられたと観じます。
では、何故そのような巨大な神殿を建てたか・・・・・。
それは、怨霊を怖がった為です。
太古の神霊である、大国主太神の分霊を宿して、西日本を
統治していた人間を、九州地方を治める豪族が惨殺した人間
模様が有ったようです。その事件後、怨霊の祟りが有った
ので怨霊を鎮め、早く天へ返す為に、天にも届かんばかりの
社殿を建てたのが始まりと観じます。
このように、肉体を持ったことも無い、自然霊である真の神と
人間が死後、神として祭られた人格神が、同じ神の名称の基
に祭られていることが、神霊の理解を混乱させる原因の1つ
です。
明治前後の時代、伊勢神宮の信者集団である伊勢講の構成
人数は、日本の人口の8割以上だったそうです。
この大集団を抱える、伊勢神宮は信者規模と比較すれば、
大変、質素な社殿です。これは、真の神が鎮まるからです。
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