私が二十歳過ぎの頃の話ですが、バイクで奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)から伊勢神宮への参拝を、一日の間にする事を年に何度もしていました。
大昔に皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)も、天照太御神を背中に担ぎながら奈良と伊勢の間を往復したと感じつつ、太古からの山並みを見ながら走っていたものです。
ある時、私のお腹が下った感じを覚えて、トイレを捜しました。今でもそうですが、奈良~伊勢間の国道には店がまったく無い区間がかなりあります。困ったと思っていましたら、石材屋さんか土建業を営む感じの民家が在り、家の前でお爺さんが水を撒いていました。
お爺さんにトイレを貸して欲しいとお願いしましたら、私の顔を見て快く案内して頂けました。終わった後に御礼を言いましたら、 「今から何処に行かれるのですか?」 と聞かれました。
私は「大神神社から伊勢神宮への参拝に向かう途中です」と返答しましたら、お爺さんは「ああ、それは良いことだ」と仰って、とても嬉しそうな笑顔を私に返してくれました。
その日の参拝を終えた後も、お爺さんの笑顔が私の印象に残っていました。
後で知った事なのですが、伊勢へ通じる地域の伝承に、伊勢神宮の参拝に向かう人にトイレを貸すのは、とても縁起が良い福を呼ぶ前兆となる伝えが大昔から在ると聞きました。
助け合いの精神を喚起させる意味も在るのでしょうが、霊的には有り得るなと思いました。
神様に参拝しようとする「気持ち」を持つ人を助けるだけでも、同じ神様に参拝した事に成る霊的側面は在ります。
アメリカなどでは、お金持ちが寄付をする習慣は、かなり積極的に行われています。
合理的で個人主義な思考をする人々が多いのですが、大きな寄付をする様です。これは彼らが、この世のアル仕組みを「知っている」と感じます。つまり戦略的な霊的投資をしている面も有ります。この現実界では他人にした事は、善悪両方が自分自身に帰る事を知っているのです。アメリカの成立には、白黒両方の魔術が根底に在ります。
この世は合わせ鏡の様に、自分の「行為」は色々な形に変化して自身に帰るのです。ただ、その帰り方が変化してしまっており、時間差も在るので直接に結び付けて理解出来無いだけなのです。
だから安心して下さい。不運などは一切無いのです。全てが合理的に完全に機能しているだけなのです。
だから逆に言えば、努力する事は絶対にムダではありません。
した事は必ず自分に帰ります。
ただ、自分の努力が、どんな反映を生むのかは、良心に基づいて絶えず考える事は必要ですよ。
どんな不運も不幸も大丈夫です。日々、先祖霊や縁ある霊たちを癒す行為は、自分自身に必ず反映して来ます。
だから思考で漏電していても何も始まりません。生きる人間を助ける事が出来れば最高ですが、なかなか難しく大変です。先ずは、物が言えない先祖霊から癒しましょう。これが自然に発展して行きます。
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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
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