浄土ヶ浜にも宮沢賢治の詩が刻まれていました。
うるはしの
海のビロード昆布らは
寂光のはまに敷かれひかりぬ
解説によれば、宮沢賢治は、1917年に三陸方面を視察し、釜石、大槌、宮古を訪れているとのこと。
ふっと、どのような交通手段で花巻からやって来たのかが気になりました。
もしかすると、当時、花巻から釜石までは鉄道が通っていたかもしれませんが、山田線はできていないはずです。
なので、きっと帰路も、宮古から釜石経由で花巻に戻ったのかななどと、真面目に考えつつ、それは、どうでもいいことだと・・・。