和歌山県串本町紀伊大島の樫野埼 灯台近くに設置されている
トルコ人犠牲者の慰霊碑。
1890年に起きたエルトゥールル号海難事故とは
当時、皇室を通じて親交の有ったオスマン帝国(現在のトルコ)は
その親交の証として、エルトゥールル号を日本に派遣したが
帰路に就く際、日本関係者が荒天の為、出港を見合わせるよう進言したにも関わらず
日本近辺の気象条件に不慣れな船長は、出航を決断し、日本関係者の心配通り
和歌山県の串本町樫野崎灯台沖で、エルトゥールル号は台風に見舞われ座礁してしまった。
乗船員500名が犠牲になったという、日本近海史上最大の海難事故となってしまったが
その時、辛くも紀伊大島に避難上陸してきた船員に対して
日本側は即時の対応と手厚い看護で、多数のトルコ乗船員を助ける事が出来た。
それ以来、日本とトルコについては国交が非常に良好な状態を保っている。
1985年のイラン・イラク戦争では、イラク側がイランの上空を48時間以降に航空する飛行機に対して
無差別に攻撃し撃ち落とすと無茶な宣言をした。
外国関係者は当時、イランからの出国を急いだが、日本はその航空機の差し向けに遅れてしまい
日本への帰国が出来ないという危機に見舞われた。
その時、日本の大使がトルコの大使に対して窮状を訴えた所
急遽、危険を顧みず航空機を差し向けてくれて、無事日本人の帰国がかなったという過去が有る。
その時、トルコ大使はこう答えたという
「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」
その後、最近の日本の関東大災害についても、トルコからは手厚い支援物資等が届き
相互の交流は続いている。
戦争というものは悲惨なものだが、一方ではひたむきな救助によって国通しの親交が深まる場合が有る。
そのような過去を持つトルコだけに、この度の一方的なロシアのウクライナ侵攻について
すぐ身近な国として、トルコの仲介による和平が望まれる。
樫野崎灯台