奈良県明日香村には、数多くの古墳が存在しています。
今回、明日香村文化協会主催の「真弓周辺の古墳を巡る」に参加しました。初めて訪れる古墳もあり、大変楽しみにしていました。
明日香村文化財課の専門家による案内のもと、約30人位で西飛鳥地域である真弓丘陵にある「終末期古墳」を歴史散策しました。
※「真弓周辺のカヅマヤマ古墳・真弓テラノマエ古墳・マルコ山古墳を巡る」 (参考文献)明日香村文化協会資料
〇明日香村真弓にある「真弓テラノマエ古墳」は、「マルコ山古墳」の東北の真弓丘陵の尾根面に位置します。徒歩約5分位の所にあります。
東西に延びる丘陵の南側斜面を東西70m・高さ12mにわたって削り出し、墳丘は版築によって築かれています。墳丘の規模や形態については不明です。大きな地震によって崩れています。埋葬施設は、発掘調査の結果から結晶片岩を使用したせん積式横穴式石室です。カズマヤマ古墳と同様です。
石室床面には、平瓦が二重に敷き詰められています。棺台の表面にも漆喰が施されています。築造時期については、使用されている平瓦の特徴から7世紀前半と考えられています。
こちらも「カヅマヤマ古墳」と同様に、行くにはとても案内がないと行けません。
これといった道がなく、竹藪の中を行きました。古墳らしきものが見当たらず説明を聞いて、かって古墳があった場所に案内していただきました。中世の大地震で、大きく崩れていました。
〇「(仮)真弓ミヅツ古墳」は、「真弓テラノマエ古墳」の西隣りに位置しています。東西に伸びる丘陵を東西約70m・高さ約12mにわたって終末期古墳の特徴である古墳築造時の切断面が残っています。墳丘については、まだ未調査のため不明です。この辺りには、漆喰の付着した結晶片岩が散乱していることから「真弓テラノマエ古墳」と同様のせん積式横穴式石室であったと考えられています。
こちらは、果樹園として周りが開墾してあります。ただ、どこに古墳があるのかわかりませんでした。よく見ると、墳丘の一部らしきもの(方墳か?)が確認できるくらいの古墳です。発掘調査されると、新しい発見があると思われます。楽しみです・・・
今回、真弓丘陵にある「終末期古墳」を歴史散策をしてみてわかったことです。
「マルコ山古墳」が造営された7世紀末には、背後に3基のせん積式横穴式石室が屏風のような整然と配置されていることから、「マルコ山古墳」が現在の場所に造営された背景が単なる風水による選地だけでなく、背後にある3基の古墳との関係が何かあるのではないかということです。少なくとも明日香村内では珍しい、3基のせん積式横穴式石室がある古墳は血縁関係のあろ氏族だった可能性があると思われます。しかも計画的に、真弓の丘陵上に造営されたと思われます。
ここにかって古墳があったと見つけだして、発掘調査されていたことに感謝です。
今回、明日香村文化協会主催の「真弓周辺の古墳を巡る」に参加してとても良かったです!