明日香村で一緒にボランティアガイドを行っている仲間と貸し切りバスで、11月29日に京都府京都市伏見区伏見に行ってきました。
今回は、「京都・伏見史跡等」散策の様子を紹介したいと思います。
(行程)
明日香村ー伏見桃山陵ー御香宮神社ー昼食「キザクラカッパカントリー」ー月桂冠大倉記念館ー十石舟川下りー寺田屋ー明日香村
明日香村から伏見までバスで約2時間位かかりました。今回、伏見桃山陵・御香宮神社では、地元のボランティアガイドさんに案内していただきました。いつもは明日香村でガイドしているのですが、今日はガイドしていただきました。ガイドの仕方が、とても勉強になりました。昼食は、「キザクラカッパカントリー」でいただきました。ここで、京都土産として新酒のにごり酒と酒まんじゅうを買ってきました。
昼食後、「十石舟(じっこくぶね)」に乗りのんびりと遊覧を楽しみました。船内では、江戸時代からの伝統の鼻歌や観光ガイドのアナウンスが流れており、伏見の歴史を知ることができました。
この船は、江戸時代に活躍した船で、もとは伏見に立ち並ぶ酒蔵の水運輸送を担った船です。現在は、月桂冠大倉記念館・裏乗船場から「十石舟」、大倉記念館近くにある老舗宿・寺田屋の寺田屋浜乗船場からは「三十石船」が運航しています。
伏見といえば、日本でも代表的な酒の生産地です。せっかくなので、酒蔵巡りに出かけました。月桂冠やカッパでお馴染みの黄桜などの酒蔵があります。
伏見酒蔵群の中にある「キザクラカッパカントリー」は、カッパのキャラクターでおなじみの大手酒造メーカー「黄桜」が手掛ける観光施設です。黄桜の歴史が分かる黄桜記念館の他、黄桜の商品を多く取り揃えている販売所や、お酒と食事を楽しめるレストラン「黄桜酒場」も併設しています。
大手酒造メーカー「月桂冠」は、ここ京都伏見が発祥です。徳川三代将軍家光の時代に、初代大倉治右衛門が京都南部の笠置から伏見に出て、酒屋を創業したことが始まりです。その月桂冠の資料館である「月桂冠大倉記念館」は、伏見を代表する観光スポットとなっています。月桂冠大倉記念館では、酒造りに用いられてきた用具類や明治以降の広告用ポスター、量り売りの時代に使われた酒器など、月桂冠の歴史が分かるものが数多く展示されています。また、月桂冠のお酒を3種類楽しむことができる利き酒コーナーもありました。勿論、試飲してきました。
「桂冠大倉記念館」には、おみやげ処(売店)も併設されています。月桂冠大倉記念館限定の日本酒(大吟醸)や酒粕クッキー、酒まんじゅう、井筒八ツ橋本舗の八ツ橋(純米大吟醸入り)などが販売されていました。
〇「伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ、ふしみももやまりょう)」は、の桃山丘陵にある明治天皇の陵です。
1912年、明治天皇は東京の宮城で崩御されました。同年に東京・青山の現在の神宮外苑にて大喪儀が執り行なわれた後、1913年に伏見桃山陵埋葬されました。陵の敷地の桃山は、豊臣秀吉の築いた伏見城本丸跡地で、京都に墓所が営まれたのは明治天皇の遺言によるものといわれています。すぐ東には、皇后の伏見桃山東陵(ふしみのももやまのひがしのみささぎ)が隣接します。参道には、伏見城で使用されたかもしれない石を見ることが出来ました。また、すぐ近くには桓武天皇の柏原陵があります。こちらは現在、以前の台風の影響で倒木が多く通行止めになっていました。伏見桃山陵の墳丘は、古式に範を採った上円下方墳で、下段の方形壇の一辺は約60メートル、上段の円丘部の高さは約6.3メートル、表面にはさざれ石が葺かれています。方形の墓坑を掘って内壁をコンクリートで固め、その中に棺を入れた木槨を納めました。槨内の隙間には石灰を、石蓋をしてコンクリートで固めました。上円下方墳の墳形は天智天皇陵がモデルにされたといわれています。
〇「御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ、ごこうぐうじんじゃ)」は京都市伏見区にある神社です。式内社で、旧社格は府社。通称御香宮、御幸宮。伏見地区の産土神です。 神功皇后を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六神を祀ります。創建の由緒は不詳ですが、862年に社殿を修造した記録があります。伝承によるとこの年、境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったので、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったといわれています。この湧き出た水は「御香水」として名水百選に選定されています。試飲すると、とてもまろやかな味がしました。
「御香宮神社」は、豊臣秀吉によって伏見城築城の際に当社を城内に移し、鬼門の守護神としました。後に徳川家康によって元の位置に戻され、本殿が造営されました。表門は伏見城の大手門を移築したものといわれています。1868年に起こった鳥羽・伏見の戦いでは、伏見町内における官軍である薩摩藩の本営でしたが、本殿等は無事でした。鳥羽伏見の戦いとは、「京都市南区鳥羽・京都市伏見区」の一帯で繰り広げられ、徳川幕府軍と新政府軍(薩摩藩・長州藩・土佐藩連合軍)との戦いのことです。
〇「寺田屋」は、江戸時代から続く旅館です。鳥羽・伏見の戦いで焼けたあと、隣接する場所に当時の様子を再現して再建されています。坂本龍馬が伏見奉行所の捕吏に取り囲まれ、のちに妻となるおりょうが風呂から飛び出し、裸で報せたおかげで窮地を脱した「寺田屋事件」が起きた史跡で、幕末を代表する史跡のひとつです。1866年に起きた、伏見奉行による坂本龍馬暗殺未遂事件です。
建物の中へ上がると、坂本龍馬や維新の志士に関係する史料類がいっぱい飾られています。風呂に入っていたおりょうが捕吏に気づき、龍馬に報せるために駆け上がった階段を再現したものがありました。他に、寺田屋の2階には、騒動が起こった当日の「刀傷」や龍馬が放ったとされるピストルの弾のメリ込んだ「弾痕」が残されています。残念ながら、建物が再建されたあとにつくられたもののようです。おりょうが入っていた風呂を再現したものもありました。おりょうも窓の外に捕吏たちを見たときには、さぞや驚いたことでしょうね。
寺田屋の横には庭園があります。この庭園には、かつて「本物の寺田屋」が建っていました。現在の寺田屋は「本物の寺田屋」を模して1950年代に造営されたものです。本物の寺田屋は、1868年に勃発した「鳥羽伏見の戦い」で焼失したようです。後に造営された「寺田屋」でしたが、幕末の騒乱を感じさせられる建物でした。この辺りを坂本龍馬が歩いていたと思うだけで、感慨深いものがありました。この日はとても天気が良く、初めて行く所ばかりでしたので、とても興味深く散策することができました!