前回は、奴国を歩く4「奴国内にある須恵器窯跡」でした。今回は、奴国を歩く5「奴国内にある土塁」を紹介したいと思います。
国指定特別史跡「水城跡」は、7世紀に築かれた土塁です。当時、朝鮮半島の覇権を争っていた百済の救援に兵を送って大敗した日本は、唐・新羅連合軍の侵攻に備えて防衛線を構築しました。春日市にある水城は、福岡平野と筑紫平野の間に築かれた水城と区別して、「小水城」と呼ばれています。
飛鳥時代に「大宰府」防護のために築かれた古代の巨大土塁は、春日市・大野城市・太宰府市に残された古代の土塁で国指定特別史跡です。663年の朝鮮半島「白村江の戦い」での敗戦を受け、664年に唐・新羅の大宰府侵攻に備え、博多湾と大宰府を遮る壁として築造されました。博多側は幅60mほどの堀も備えました。春日市内では「大土居小水城」と「天神山小水城」の2ヶ所が特別史跡に指定されています。
〇天神山小水城跡(てんじんやましょうみずき)
天神山には丘陵の東に東西方向約70mの土塁が残存し、小丘陵南側にも南北の土塁があったと推定されます。丘陵部には、6世紀築造の全長35mの前方後円墳(上白水天神山古墳)があり水城の築造より古く横穴式石室があります。近くには小円墳があり、円墳の方が古いようです。「天神山土塁」は、「上白水天神山古墳」のある丘陵から始まっています。天神山から、白村江の戦いに敗れた後に「大宰府」を守るために作られた小水城の一つである「天神山土塁」が築造されていました。天神山土塁、大土居土塁、春日土塁(推定)・水城大堤、大野城と連なります。まさか、古墳がある所に土塁が築かれているとは思いもしませんでした。古墳は、説明板や柵がなければ、殆どわからない状態でした。
〇大土居小水城跡(おおどいしょうみずき)
春日市昇町にあり、 発掘調査により版築工法の使用が確認されました。
小水城の中で、本格的な発掘調査が行われたのは、春日市昇町の大土居水城です。大土居水城の発掘調査の結果、土塁の推定高は約8m、基底部の推定幅は約40mで、水城大堤と同じく版築により土が積まれていました。また、導水の役割を果たす木樋の調査も行われ、取水部では長さ約8mにわたって木樋本体が残存することが確認され、吐水部では木樋本体は残存していなかったものの、その下層の石敷遺構が確認され、木樋の規模が土塁と同じく、水城大堤の約1/2であることなども分かりました。
現在「大土居小水城」は、県道で遮断されています。現在土塁の一部が、発掘調査中でした。また、頂上付近から西方面に「天神山土塁」を見ることができます。
両土塁とも、伐採等が行われ現在整備中でした。観光地ではありませんが、歴史が好きな方には興味深い所だと思いますよ!