「奈良大和路」を愛した奈良出身の「入江泰吉」は、戦後日本を代表する写真家です。半世紀にわたり、「奈良大和路」の風物を撮り続け、仏像や古寺の風景を叙情豊かに追い求めた写真家です。「飛鳥の里」にも、何度も足を運んだようです。
今回は、入江泰吉の眼を歩く「飛鳥の里」の様子を紹介したいと思います。
入江泰吉が、実際に「飛鳥の里」を撮った場所を、入江泰吉記念奈良市写真美術館の学芸員さんが案内をするという現地講座に参加してきました。実際に「入江」が三脚を立てた場所で、実際に撮った写真のコピーなども使って解説が行われました。
今回のブログで紹介している写真は、約60年程前に「入江」が三脚を立てた場所とほぼ同じ場所で撮った写真です。
◆行程
近鉄飛鳥駅前 集合(10時10分)⇒欽明天皇陵(猿石)⇒鬼の雪隠・俎板⇒天武・持統天皇陵⇒⇒亀石⇒橘寺(昼休憩)⇒川原寺跡⇒飛鳥宮跡⇒大原の里⇒万葉文化館・解散(15時)
「飛鳥の里」を三脚を使って撮った風景は、主に1950年台でモノクロームの風景写真でした。
「入江」は、飛鳥を取材した当初「一体何をどのように写すべきか、その手掛かりさえ掴めず迷いに迷ったのである。古人がまほろばと讃えた飛鳥の地であるが、その古京に栄えた形ある文化は滅んで、今は遺構や遺跡が草むらにあるいはコンクリートに埋もれてしまっている。それらを取り囲む穏やかな自然は、今もいきいきと生き続けている。いわゆる、山紫永明的な景勝とはいえないにしても、まほろばの古京のイメージにふさわしい特有の自然の佇まいは失われていない。」と言っていたそうです。
今回は解説だけでなく、「入江」色々なエピソードも聞くことができました。そのひとつとして、万葉集の撮影である風景を撮る場合イメージを大切にされ、毎日同じ場所に通い詰め黒い雲が沸き始めると急に撮影を再開し、その雲が山の上に来たときにシャッターを切ったとのことです。ただの美しい夕焼けでは、納得が行かなかったのだということです。1枚の写真にかける思いや情熱は、妥協を許さない厳しい姿勢だったとのことです。また撮影時は、昼食は取らず板チョコが昼食代わりだったそうです。
「入江」の風景写真には、雨・雪・霧・雲などが効果的に写し込まれることが多く、しっとりとした情感にあふれています。「入江」の「奈良大和路」の風景写真には、何とも言えない味わいのあることがわかるようなきがしました。
今回、「入江」が撮った場所で撮影しました。飛鳥の風景は変わっていないと言われますが、約60年程前の景色は、残念ながら変わっていました。当時の風景は、入江泰吉の原風景「昭和の奈良大和路」や飛鳥資料館「あすかの原風景」で紹介されています。
私も、飛鳥のなんとも懐かしさが残る「原風景」に魅せられて明日香村に住むようになり、毎日のように飛鳥の風景を撮っています。今回の講座は、私にとってとても勉強になりました。今回の講座で学んだことを生かして、日本の原風景が色濃く残る「飛鳥の里」を、これからも撮り続けて紹介したいと思っています!