前回は、明日香村文化協会主催の現地講座第1回目、「今は、水田となっている古い道を巡る」(1)を紹介しました。
今回は第2回目、明日香村内に残る「江戸期のお伊勢参りで通った道を巡る」(2)の様子を紹介したいと思います。
明日香村に残る「江戸期のお伊勢参りで通った道を巡る」というテーマで、村内を約3時間程かけて途中にある道標や遺跡等を明日香村の文化財課の専門家による解説を聞きながら歴史散策を行いました。
〇「川原寺」跡にある道標より歴史散策
「川原寺」跡(中大兄皇子が亡き母の斉明天皇ために創建した寺院)の南西にある道標で、1673年に建立されたものです。年号のある道標では、奈良県最古とされています。日本では、兵庫県川西市加茂にある道標(1672年)に次ぐ、2番目に古い道標です。道標には、「右おかみち・左はせみち」と書いてあります。「左はせみち」を行くと、正面に「板蓋神社」(川原寺裏山遺跡)に着きます。よく散策する所ですが、まさかこの道が江戸期のお伊勢参りで通った道とは思ってもいませんでした。現在、車が一台通るような小さな道です。
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〇「川原寺裏山遺跡」
「川原寺」の裏山の「板蓋神社」(川原寺裏山遺跡)から川原寺が焼亡した後、廃棄された千数百点におよぶ塑像の断片や塼仏が発掘されました。塼仏は、縦横とも20cmほどの板状の塼に三尊仏を浮き彫りにした三尊塼仏が大量に発掘されています。現在、この場所は竹藪の真下に跡が残っています。
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〇「川原寺工房跡・鋳造遺構」
「板蓋神社」の横の道を歩くと、「川原寺工房跡・鋳造遺構」に着きます。7世紀末から8世紀に作られた「川原寺」付属の工房跡です。「川原寺」の北限大垣跡等も見ることができます。ここから東に飛鳥川を挟んで、飛鳥京跡苑池や飛鳥宮跡を見ることができます。
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〇「大阪・はせ」の道標
飛鳥川左岸にある道標で、対岸には「ミロク石」があります。この道標は現在、畑の中にあり殆ど埋もれた状態にありました。まさか、この場所が江戸期の旧道の重要な分岐点であるとはとても想像もつきませんでした。江戸時代には、飛鳥川を挟んだ対岸の「ミロク石」にむけて飛鳥橋があったようです。現在の新しい橋は、やや北西よりにあります。
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〇「ミロク石」
「飛鳥寺」の南西にあり、飛鳥川の東岸にある石柱状の巨石です。わずかに目と口と見られる部分が細工されているだけですが、地元の人々から「ミロクさん」と呼ばれ、信仰を集めています。 古来、この石像を拝むと下半身の病気が治るという言い伝えがあります。地元で、花等供えてあり大切にされています。話によると、江戸期にはこの場所付近に飛鳥橋がかけてあったようです。この場所は、お伊勢参りの通り道でとても賑わっていたそうで、旅の安全祈願のため草履が奉納されていたとのことです。現在も、下半身の病気が治ったお礼か又は旅の安全祈願のためか草履が奉納されていました。
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〇「飛鳥寺西方遺跡」
「飛鳥寺」の西にあり、蘇我入鹿の首塚がある場所です。日本書紀では、645年の乙巳(いっし)の変(大化の改新)の前に中大兄皇子と中臣鎌足が出会った「槻(つき)の木の広場」があったと推定される場所です。現在は、田畑となっています。ここから北へ進むと、大字飛鳥の集落に着きます。西に行くと大阪方面への道で、途中に「甘樫橋」の道標を見ることができます。北に進むと、古代の幹線道路である「山田道」へと行きます。
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〇「甘樫橋」の道標
「甘樫橋」の豊浦側の西南角にあり、「右たちばな・左おかみち」と書いてあります。「大阪・はせ」の道標の、大阪側の道を飛鳥川沿いにたどるとこの「甘樫橋」の道標に着きます。飛鳥時代、蘇我氏の邸宅があったとされる甘樫丘の真下にあります。
〇「山田道」
明日香村の「石神遺跡」の北にある、古代の幹線道路「山田道(やまだみち)」です。7世紀半ばの道路遺構が見つかっています。この道を東の方向に行くと、伊勢街道と呼ばれている道に繋がっています。
「ミロク石」の所から「山田道(やまだみち)」に行くルートは定かではありませんが、今回は「石神遺跡」横の道を行きました。
今回、明日香村に残る「江戸期のお伊勢参りで通った道」を巡りましたが、このルートは普段の散策コースです。今回、新しい発見に驚くばかりでした! 最終回は、3月中旬に古代の「山田道を巡る」です。
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