泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

飛鳥の「古墳」

2014年10月24日 20時23分21秒 | 歴史

飛鳥から檜前(ひのくま)にかけての地域は、古墳時代終末期の6世紀後半以降に多くの古墳が築造されました。

6世紀後半から7世紀にかけて、飛鳥の東の山中に古墳が築造されました。(石舞台古墳・八釣・東山古墳・打上古墳・都塚古墳・塚本古墳)

7世紀後半になると、八角形の墳丘を持つ古墳があらわれました。(けんごし塚古墳・野口王墓古墳・束明神古墳)

8世紀の初めには、壁画をともなった古墳や、石郭が骨臓器が納められる程度の広さしかない古墳もつくられました。(高松塚古墳・キトラ古墳・中尾山古墳)

他にも、飛鳥の地には色々な古墳を見ることができます。

今回は、古代の飛鳥の「黄泉の世界」を、垣間見る散策をおこないました!古代の人は、「黄泉の世界」をどのようの考えていたのでしょうか・・・

   (石舞台古墳)   (八釣・東山古墳)

   (打上古墳)    (都塚古墳)  (塚本古墳)

  (けんごし塚古墳)

  (野口王墓古墳)  

  (束明神古墳)

  (高松塚古墳・キトラ古墳)

  (中尾山古墳)

   

                    

    

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神話のふるさと「葛城古道」散策

2014年10月18日 21時55分53秒 | 散歩

奈良県と大阪府の境に連なる金剛山地は、「天孫降臨の地」とされる神話の舞台です。

裾野一帯はまた、古代豪族の「葛城氏」と「鴨氏」の本拠地として栄え、多くの寺社が建てられました。

古代豪族たちの主要道路だったのが、金剛山地の東山麓に続く「葛城古道」です。

今回は、古代豪族の地であり、神話のふるさとである「葛城古道」を撮ってきました。

大和・紀伊を結ぶ古代交通の要所である「風の森峠」を出発し、全国の鴨社の本宮にあたる「高鴨神社」・天孫降臨神話の舞台である「高天彦神社」・奈良時代の行基によって開創された「高天寺橋本院」・楠木正成ゆかりの「極楽寺」・江戸時代の代官屋敷の「中村家住宅」・流鏑馬発祥の地とされる「長柄神社」・最後は、ひと言だけ願いを叶えてくれるという「葛城一言主神社」を散策してきました。約10㎞位の道のりを、古代に思いをはせながら、秋の神話のふるさと「葛城古道」を、のんびりと散策することができました。

もう一つの古道である「山の辺の道」とは、趣きの違う素晴らしい古道でした!

                                 

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飛鳥の「初秋」散策

2014年10月13日 20時06分20秒 | 散歩

飛鳥は今、秋の気配でいっぱいです。

今回は、大好きな「稲渕」周辺の秋の風景を撮ってきました。

ススキが風にたなびき、コスモスの花が咲き乱れ、稲刈りが行われる風景は、日本の原風景そのものです。何とも言えない風景に、「懐かしさが心にしみる」ひと時でした!

                       

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飛鳥での「皆既日食」

2014年10月09日 21時32分36秒 | 散歩

10月8日、満月が地球の影に隠れ鈍く光る「皆既月食」が、この「飛鳥の地」でもみることができました。

撮影場所は、飛鳥の中心地である「飛鳥京」跡です。東の「藤本山」上空に満月が、黄金色から赤銅色へと少しづつ色を変えながら、西の「甘樫丘」の上空を横切っていきました。

月食は、太陽、地球、月が一直線上に並び、月が地球の影に入った時に起きる現象で、1時間にわたって皆既食が続きました。

1400年前の飛鳥時代、「飛鳥人」はこの現象をどのように見、感じていたのでしょうか。想像するだけでも、ワクワクするような時間を過ごすことができました!

            

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古代の「飛鳥周辺」散策

2014年10月06日 20時49分25秒 | 歴史

今回は、飛鳥時代に活躍した蘇我入鹿を祀った「入鹿神社」、柿本人麻呂を祀った「人麿神社」や市杵島神社の「コグリ石」、そして舒明天皇の発願による最初の寺である「百済大寺」と推定される「吉備池廃寺跡」を撮ってきました。飛鳥周辺には、古代のロマンがいっぱいで、楽しみながら歴史散策ができました!

〇「入鹿神社」・・・奈良県橿原市小綱町(しょうこちょう)

神社の伝えによると、乙巳の変(大化の改新)で、蘇我入鹿が中大兄皇子等に倒されたとき、その首が小綱町に飛んできたのを祀ったとされています。入鹿は首を斬られたので、「入鹿神社」は、首から上の病に霊験あらたかという信仰があるようです。日本で唯一、入鹿を祀った神社だそうです。この地域は、蘇我氏ゆかりの地で「蘇我」・「曽我」といった地名が残っています。

境内には、重要文化財の「正蓮大日堂」の建物があり、その中には本尊である、素晴らしい「大日如来坐像」を見ることができます。鎌倉時代の作とされ、重要文化財に指定されています。      

〇「人麿神社」・・・奈良県橿原市地黄(じお)町

万葉集にその名も高い「柿本人麻呂」は、飛鳥時代の天武・持統朝の頃を中心に活躍した歌人です。この人麻呂を祭神として祀った神社です。「人麿神社」は、葛城市新庄の柿本神社から分祀されたと伝わっています。社の入り口には、万葉歌碑が建っていました。本殿は、室町時代のもので重要文化財に指定されています。

 

      

〇市杵島(いちきしま)神社の「コグリ石」・・・奈良県橿原市新賀町

「市杵島神社」の境内に、謎の石があります。この石は「コグリ石」と呼ばれています。コグリとは、「くぐり」の転訛とも言われているようです。「コグリ石」は、兵庫県高砂市の宝殿山(石の宝殿)から、橿原市新賀町の「市杵島神社」へ運ばれたようですが、その時期はわかっていません。高砂市の宝殿山(石の宝殿)は、橿原市に所在する益田岩船と同形の巨石で、7世紀末のものとされています。はたして、ここにある「コグリ石」は一体、いつ何の目的で何に使われたのでしょうか。とても興味をそそられる「謎の石」です。

   

〇「吉備池廃寺跡」・・・奈良県桜井市吉備

飛鳥時代の寺院の伽藍跡(塔跡・金堂跡)が発見され、639年に建立された舒明天皇の発願による最初の寺である、「百済大寺(くだらのおおてら)」と推定されているようです。今は、「吉備池」となっていますが、発掘調査によると金堂跡基壇は、飛鳥時代では最大規模のものであったようです。すごいのは、塔です。塔跡基壇から推測すると塔は九重の塔で、高さ100メートルにも達するものと推定されています。九重の塔、見たかったですね~!

     

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