奈良県明日香村には、数多くの古墳が存在しています。
今回、明日香村文化協会主催の「真弓周辺の古墳を巡る」に参加しました。初めて訪れる古墳もあり、大変楽しみにしていました。
明日香村文化財課の専門家による案内のもと、約30人位で西飛鳥地域である真弓丘陵にある「終末期古墳」を歴史散策しました。
※「真弓周辺のカヅマヤマ古墳・真弓テラノマエ古墳・マルコ山古墳を巡る」 (参考文献)明日香村文化協会資料
〇明日香村真弓にある「カヅマヤマ古墳」は、「マルコ山古墳」の北西の真弓丘陵の尾根面に位置します。徒歩約5分位の所にあります。
「カヅマヤマ古墳」(7世紀後半)は、大がかりな土木工事で造られ、ピラミッドがせり出すような威容を誇っていた。2千枚以上の板石を丁寧に積み上げ、しっくいで真っ白に仕上げた豪華な石室を持つ古墳だったようです。
残念ながら、1361年の南海地震のため大きく崩れています。形状は、一辺約23m、高さ約4mの二段築成の方墳と推定されています。埋葬施設は、結晶片岩を小口積みのせん積式横穴式石室です。石室に使われた板石は約10キロ南を流れる吉野川付近で採取され、山を越えて運ばれてきたとみられる。中はしっくいで美しく塗り飾られ、天皇の皇子クラスに多い漆塗り木棺が用いられたと推定されまています。
丘陵を幅100メートル以上にわたって大がかりに削った後、きれいに整えた斜面からせり出すように造られていました。
石室内で見つかった人骨は、体格のよい壮年から熟年の男性で被葬者の骨の可能性が高いようです。
被葬者は、大がかりな工事をできたのはかなり力のある人ではないかと推測されます。石室の構造が朝鮮半島・百済の王陵に似ている点)から、674年に飛鳥で死んだとされる百済王昌成(くだらおう・しょうじょう)も候補の一人です。
「カヅマヤマ古墳」に行くには、とても案内がないと行けません。
これといった道がなく、竹藪の中を行きました。古墳らしきものが見当たらず説明を聞いて、かって古墳があった場所に案内していただきました。中世の大地震で、大きく崩れていてほんの少し高まりがある程度でした。
このは以前発掘調査が行われていて、現地説明会もあったようです。
ガイドしていただいた専門家の方が、発掘の責任者ということもあり、とても詳しく説明していただきました。
帰り際、民家の壁にここで採取されたと思われる、結晶片岩らしき物が使用されているのをみることができました。ここで採取されたものは、明日香村埋蔵文化財室で一部見ることができます。
以前から、見てみたい古墳でしたので大変勉強になりました!