私が好きな「飛鳥での散策コース」シリーズも、4回目となりました。
今回は、「飛鳥での散策コース(飛鳥宮跡~飛鳥京跡苑池)」(4)を紹介したいと思います。
(飛鳥宮跡~飛鳥京跡苑池)の散策コース・・・約4キロのコースです
飛鳥宮跡ー真神原ー飛鳥寺(入鹿首塚)ー水落遺跡ー石神遺跡ー山田道ー明日香村埋蔵文化財展示室ー槻の木広場ー弥勒石(飛鳥川沿い)ー飛鳥京跡苑池ー飛鳥宮跡
〇「飛鳥宮殿」跡(伝飛鳥板蓋宮跡)は、645年に 中大兄皇子らが蘇我入鹿を倒し、大化改新の舞台となった場所です。継続的な調査で、複数の宮が置かれていたことが判明しました。現在復元されている石敷広場や大井戸跡は、飛鳥浄御原宮(天武天皇)のものです。
〇「真神原(まがみがはら)」は、飛鳥寺を中心とした一帯を言います。《万葉集》には,大口の真神の原とうたわれていることから、 かつては真神すなわちオオカミのすむような原野と意識されていたらしいです。今丁度、田植えの準備が行われています。
〇「飛鳥寺」は、596年に蘇我馬子の発願で建てられた日本初の本格的仏教寺院です。 本尊である銅造「釈迦如来坐像」(重文)は「飛鳥大仏」の通称で親しまれており、日本最古の仏像です。
飛鳥寺の境内を西に抜けたところに立つ五輪塔は、 大化の改新のとき、飛鳥板蓋宮で中大兄皇子らに暗殺された蘇我入鹿の首を供養するためにつくられた塔と言われています。五輪塔は、中世のものと言われています。
〇「水落遺跡」は、飛鳥時代に「斉明天皇」の息子である「中大兄皇子」が造った日本初の水時計「漏刻(ろうこく)」(水時計を備えた時計台)の跡です。『日本書紀』によれば、660年「皇太子が初め漏れ剋を造り、人々に時刻を知らせた」とあります。
〇「石神遺跡」は、飛鳥時代の迎賓館の跡で、噴水機能をもつ「須弥山石や石人像」といった石造物がこの遺跡の一角から掘り出されています。「 斉明天皇」の時代には、東北に住む蝦夷や南九州に住む隼人、また外国使節を迎え、饗応するためにつくられたと考えられています。旧飛鳥小学校跡地も、遺跡の一部です。
〇「山田道」は、古代の主要道路のひとつです。東端は古道の横大路と交わって上ツ道につながり、西端は古道の下ツ道と直交します。
〇「明日香村埋蔵文化財展示室」は、旧飛鳥小学校の木造校舎を利用しており、無料の展示室では明日香村文化財課が発掘調査を行ってきた遺跡の出土品を中心に展示されています。実物等が展示され、見応えがあります。
〇「槻(つき)の木広場」は、乙巳の変(645年)前に中大兄皇子と中臣鎌足が出会った場所とされ、飛鳥時代に重要な儀式が行われた飛鳥寺西方遺跡です。遠方から訪れた使節をもてなした供宴施設とみられる建物跡が見つかっています。今は、田んぼになっています。
〇「弥勒石」は、飛鳥川の東岸にたつ不思議な石の仏様です。地元では、この石像を拝むと下半身の病気が治るという言い伝えがあります。地元の方が、いつもお花をお供えしてしてあります。
〇「飛鳥京跡苑池」は、飛鳥川右岸にある 飛鳥宮の庭園跡です。 「斉明天皇」が宮殿に隣接して造った饗宴の空間で、池は石積みの護岸がなされ、底には石が敷き詰められていました。天皇が儀式や饗宴のために使用したとみられています。この苑池を訪れる人のために、無料の休憩所とトイレが作られています。休憩所には、苑池の資料やビデオ等が用意されています。
今回のこのコースは、約4キロですが平坦な道でとても歩きやすいです。
奈良県においても、緊急事態宣言(新型コロナウイルス)が解除されました。その後明日香村においても、主な施設や駐車場が開かれました。以前よりは、少しづつですが飛鳥を訪れる人が多くなったような気がします。
いつか飛鳥を訪れる機会がありましたら、古代の歴史の舞台となった所をのんびりと歩いてみませんか!