奈良県の飛鳥地域の予想される道路を、古代に思いを馳せて研修で学んだ「古い道と遺跡を考える」の資料や文献資料を参考にしながら、たいした根拠もありませんが、何か痕跡が残ってはいないか探しながら「ブラタモリ」ならぬ「ブライズミ」をしてみました。
前回は、「飛鳥京に入る道路・その1」(奈良県橿原市)でした。
第5回目は、「飛鳥京に入る道路・その2」(奈良県明日香村)です。
〇飛鳥京に入る道路
古代の官道である下ツ道(紀路)(ほぼ現在の国道169号線に重なるようです)から飛鳥京に入る玄関口には、2か所あったと予想されます。
「飛鳥京に入る道路・その2」(奈良県明日香村)
・場所
下ツ道(紀路)(現在の近鉄飛鳥駅のやや北から東へ入る)ー「平田キタガワ遺跡」ー「野口大墓古墳(天武・持統陵)」の横ー「川原下の茶屋遺跡」ー「飛鳥の横大路」ー「飛鳥京」のエビノコ郭の西門
現在の近鉄飛鳥駅のやや北側から平田川沿いの道で、途中「野口大墓古墳(天武・持統陵)」の横を通って、飛鳥時代の交差点?とも言われる「川原下の茶屋遺跡」に通じる道です。
・痕跡
「下ツ道(紀路)から飛鳥京へ入る玄関口?」
飛鳥京へ入る玄関口と予想される場所には、江戸時代に造られた角柱型道標(1863年)があります。ここから東へ進むと「平田キタガワ遺跡」です。
〇「平田キタガワ遺跡」
古代の官道である下ツ道(紀路)から飛鳥に入る玄関口には、「平田キタガワ遺跡」という遺跡があります。飛鳥京(第Ⅲ期)に類似した石敷きや、石組護岸・敷石・石列などが発見されています。
この道筋は、南より「飛鳥京」に入っていく入口になると思われます。ここには、斉明朝時の「石神遺跡」のような迎賓館的な施設が建てられていたことが推測されています。ここで、外国からの使節団等が色々とおもてなしをうけたのでしょうか?
この道筋にも、地蔵型道標があります。
〇「川原下の茶屋遺跡は、飛鳥時代の交差点?」
痕跡1「川原下の茶屋遺跡」
この遺跡からは、飛鳥時代の交差点が検出されていて、数少ない道路跡の遺跡です。東西道は、道幅約12m・南北道は道幅約3mで側溝もみつかっています。ここから東側に行くと橘寺近くまで、直線的な道路になっています。こちらでは、「飛鳥の横大路」と呼んだりしています。
痕跡2「畔に残る古代の道路」
この道路は、川原寺の南門と橘寺の北門の間を通っているようです。田んぼの畔に、その痕跡が残っています。その場所に、明日香村内で一番高い「角柱型道標」が立っています。
このまま東に行くと、小さな橋がかかっておりまっすぐに行くと、「飛鳥京」のエビノコ郭の西門に突き当ります。
〇予想される「飛鳥京に入る道路」を散策してみて思ったこと!
・予想される道には、要所要所に江戸時代からの道標が見受けられました。ひょうとしたら、古代からの道が延々と現代へと続いていたのではないかと思われました。
・「飛鳥京に入る道路・その2」(奈良県明日香村)の道跡に、迎賓館的な施設が建てられていたことが推測されるので、外国の使節団等が通った道だったのでしょうか?
・飛鳥京に入る玄関口には、2か所あったと予想されます。両方の道は、飛鳥時代の交差点?と呼ばれている「川原下の茶屋遺跡」に合流し、その後「飛鳥の横大路」を通って「飛鳥京」へと入京したと予想されます。
・明日香村に残る畔をよく見ると、飛鳥時代の痕跡が残っていることがわかります。