泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

飛鳥宮跡現地説明会「飛鳥京跡第191次調査・2024」

2024年12月02日 09時17分00秒 | 歴史
奈良県明日香村「飛鳥宮跡」で、2024年11月30日・12月1日に、飛鳥宮跡現地説明会「飛鳥京跡第191次調査」が行われ、晴天のもと多くの方が来られていました。
今回の発掘調査の場所は、「飛鳥宮跡」から北へ約40mの所で吉野川分水の南側です。すぐ側は、飛鳥京跡苑池(休憩所)です。
今回の大型建物の跡は、「飛鳥宮跡」で10年余り前に一部が発見されたものです。
橿原考古学研究所が、10月下旬から周辺でさらに調査をすすめたところ、7世紀後半の建物の柱を据えた跡とみられる四角い大きな穴が合わせて14基見つかりました。
なんと、柱抜取穴の深さは約2m・幅約1.4mもあります。柱抜取穴には、50~60cm位の大型の石が含まれています。
おそらく、藤原京遷都の時に柱は抜き取られ、柱抜取穴を埋める際に入れられた考えられています。
これらの柱の穴について、位置や間隔大型の建物の跡は、当時の建物の中で最大だったことがこのほど行われた発掘調査でわかりました。柱の穴は、以前見つかった大型の建物跡の一部で、建物全体の大きさは、東西約35.4、南北約15と当時としては最大の建物になるということです。それまでは、「エビノコ大殿」と呼ばれている建物跡で、東西約29.2m・南北約15.3mです。
この最大の建物跡は、天武・持統天皇の時の「飛鳥浄御原宮」の時の建物と考えられているようです。
建物跡は、「飛鳥宮跡」の中にはあるものの天皇が生活し政務を行う場所でもあった「内郭」と呼ばれる区域の外側に設けられていてます。
研究所は、「後の平城宮に設けられていた『内裏』と呼ばれる天皇の私的空間のさきがけだったのではないか」と考えられているようです。
他にも色々な説が出ているようですが、はたして、「飛鳥宮跡」では最大の建物は一体何に使われたのでしょうか? 
ロマンいっぱいの、建物跡ですね?!
ところで、今回の発掘調査の場所は私の畑の近くにあり作業の合間に発掘現場を見学していました。大きな石が出ていて、一体何だろうか思っていました。現地説明会で、あの大きな石は柱抜取穴を埋める際に入れられたということがわかりました。
今回、まさか畑仕事の合間に見学していた所が「飛鳥宮跡」では最大の建物跡とは思いもしませんでした・・・
    「飛鳥はロマンいっぱいで、面白い!!!」

                        


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