「神様はあなたを、いつも、そしてもっと祝福したいと思っていらっしゃる。だから今ある問題や困難も、神様があなたを祝福するために許されたものであることもある。問題や困難を解決することで、あなたが成長し、そのあなたを神様が祝福する。」
日曜礼拝でこんなことを言われ、ふと「神様は私をもっともっと祝福したいんだ。」という思いを心の内にいただきました。聖書に出てくるアブラハムは、生まれ育った土地を離れることで祝福をいただき、すでに年老いているけれど子供が欲しいという不可能に思える願いを叶える神様に信頼することで祝福をいただき、せっかく授かった子供を神様に献げることも神様の思いに添うことと確信することで祝福をいただきました。
そう聞きながら、親が子を見る視線を感じたのです。親未経験者が言うのも憚られますが、親はいつでも子供をほめたいのでしょう。でも、ただ「○○ちゃん、すごいわぁ~~!」と言っていても、子供的にはほめられた意識は希薄です。それよりも、どんなことでも、何かにチャレンジをし、その精一杯の結果に対して「よくやったね。」という一言は、生涯忘れることのできないほめ言葉になります。
神様もそれと同じだ、と思いました。神様は私をもっともっとほめたい、祝福したい、と思うが故、いくつかの課題を与えてくださいます。それを力を尽くして従おう、守ろう、乗り越えようとする私に、「よくやったね。」という祝福をくださるのです。アブラハムがカナンという見たこともない、神様の約束された土地へ向かって旅立ったように、今いる場所や状況から神様の言葉に向かって踏み出すこと。それこそが祝福の基なのです。
神がわたしたちを憐れみ、祝福し 御顔の輝きを わたしたちに向けてくださいますように
あなたの道をこの地が知り 御救いをすべての民が知るために。
神よ、すべての民が あなたに感謝をささげますように。
すべての民が、こぞって あなたに感謝をささげますように。
諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように
あなたがすべての民を公平に裁き この地において諸国の民を導かれることを。
神よ、すべての民が あなたに感謝をささげますように。
すべての民が、こぞって あなたに感謝をささげますように。
大地は作物を実らせました。
神、わたしたちの神が わたしたちを祝福してくださいますように。
神がわたしたちを祝福してくださいますように。
地の果てに至るまで すべてのものが神を畏れ敬いますように。 (詩篇67)
日曜礼拝でこんなことを言われ、ふと「神様は私をもっともっと祝福したいんだ。」という思いを心の内にいただきました。聖書に出てくるアブラハムは、生まれ育った土地を離れることで祝福をいただき、すでに年老いているけれど子供が欲しいという不可能に思える願いを叶える神様に信頼することで祝福をいただき、せっかく授かった子供を神様に献げることも神様の思いに添うことと確信することで祝福をいただきました。
そう聞きながら、親が子を見る視線を感じたのです。親未経験者が言うのも憚られますが、親はいつでも子供をほめたいのでしょう。でも、ただ「○○ちゃん、すごいわぁ~~!」と言っていても、子供的にはほめられた意識は希薄です。それよりも、どんなことでも、何かにチャレンジをし、その精一杯の結果に対して「よくやったね。」という一言は、生涯忘れることのできないほめ言葉になります。
神様もそれと同じだ、と思いました。神様は私をもっともっとほめたい、祝福したい、と思うが故、いくつかの課題を与えてくださいます。それを力を尽くして従おう、守ろう、乗り越えようとする私に、「よくやったね。」という祝福をくださるのです。アブラハムがカナンという見たこともない、神様の約束された土地へ向かって旅立ったように、今いる場所や状況から神様の言葉に向かって踏み出すこと。それこそが祝福の基なのです。
神がわたしたちを憐れみ、祝福し 御顔の輝きを わたしたちに向けてくださいますように
あなたの道をこの地が知り 御救いをすべての民が知るために。
神よ、すべての民が あなたに感謝をささげますように。
すべての民が、こぞって あなたに感謝をささげますように。
諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように
あなたがすべての民を公平に裁き この地において諸国の民を導かれることを。
神よ、すべての民が あなたに感謝をささげますように。
すべての民が、こぞって あなたに感謝をささげますように。
大地は作物を実らせました。
神、わたしたちの神が わたしたちを祝福してくださいますように。
神がわたしたちを祝福してくださいますように。
地の果てに至るまで すべてのものが神を畏れ敬いますように。 (詩篇67)
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