きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

天の宝

2008年08月27日 | 羊の群れ
 お金も所有物も、すべては神様からの預かり物。この世を去る時には、どんなに大切にしている「モノ」も、苦労して築き上げた「富」も持っていくことができません。では、何のために所有物を得るのでしょうか。自分が楽しむため?周囲に見せるため?御言葉は、「天に宝を積みなさい。」と語ります。そのことを考える時、所有物そのものではなく、所有物に対する意識が人生を彩るなのだ、とあらためて知らされます。

 「お金に対する態度が、人生に対する態度に強く影響する。」と礼拝で受けた言葉から、アプリケーションを行ないました。月曜日のカウンセリングクラスで、「思考が人生を作る。」という箴言の言葉も聞きましたが、朝起きて一番に考えることが、今現在、私たちの人生を作るメインのもの、と言えるかもしれません。それは今日の仕事内容や収益のことでしょうか。家族や友達と過ごす時間でしょうか。それとも、神様のことでしょうか。

 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」 (マタイ6:24)

 「思考が人生を作る」、それは「選択が人生を作る」とも言えるでしょう。選ぶのは、私たち自身です。神様は私たちの自由意志を尊重されます。私たちが人生を通して仕えるべきが、富(マモン)という名の、最終的には滅んでいく無機物なのか、天国で待っていて、新しい命をくださる神様なのか、そのどちらかしかないことを御言葉は教えてくれるのです。

死後の世界

2008年08月19日 | 羊の群れ
 今週のGNS礼拝は「二つの人生」と題した「死後の世界」について。かなり深いメッセージでしたので、御声部屋で復習、確認してみることにしました。

 巷にはいろいろな類の本が出ていますが、実際「死後の世界」を知っている人はいません。「死を知らないこと」が、人間が死を恐れる第一の理由と伺いました。聖書では、「死後の世界」が明確に記されています。私たちが持つべき確かな生死観は、聖書から得られるのです。そして、聖書を読む私たちキリスト者が抱いている希望は、キリスト・イエスによる永遠の命であり、ヨハネ3:16の御言葉にあるように、「一人として滅びることなく永遠の命を得る」ことが、アダムとイブが神様に背いて以来、死が人類を支配するのとご覧になり続ける神様の強い願いです。

 メンバの一人から探し物に費やす時間について伺いました。平均して、人は一日に25分を物を探すことに使っているそうです。一年にすると150時間になります。見つけてもまた失くすかもしれない「モノ」を探すために150時間も時間を費やす一方で、決して失くさず、人生に不可欠な「真理」を探す時間をどれだけ取っているでしょうか。この世での人生は、「死後の世界」という本番前のリハーサルです、と語られました。どんなことでも大切な本番に際し、リハーサルに臨むために練習を欠かしません。今、世界中が熱中している北京オリンピックの選手と同じように。選手の誰一人、ぶっつけ本番で出場している人はいません。その時、もう一つの礼拝メッセージテーマの「神の作品として生きる」ことが、日々生活する上でどれだけ「本番」である「死後の世界」に影響するか痛感しました。

 探し物と言えば、ルカ福音書15章の3つの喩え話を思い出します。そこからは神様がいつも私たちを探していてくださることを知ります。あなたが今いる場所は正しい場所か、本来いるべき場所はわたしの許ではないのかと。「あなたはどこにいるのか」、と罪を犯して隠れたアダムを探して下さったように、今尚私たちに呼びかけてくださっています。いただいた人生をかけて、この呼びかけに応える時、悔いのない「本番」を迎えることができるはずです。

神を求めよ、そして生きよ。(アモス5:4)

8月19日の聞き屋予告

2008年08月17日 | 羊の群れ
『御声を聞く部屋』は、毎週火曜日、夕方5時半からサウスベイにて行っています。

今週のGNS礼拝メッセージは、「死」について。人が死を恐れる理由は、「死の正体を知らないから」と言えるかもしれません。では、クリスチャンは?クリスチャンとなる=新しい命をいただく、この意味を心のより深い部分で知ることができれば、と思います。知りたい人、わかりたい人、大歓迎です。ぜひ一度、お立ち寄りください。(場所と連絡先は、メインページ→スケジュールでチェック!)お待ちしています。






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祝福を選ぶこと

2008年08月12日 | 羊の群れ
 今週はいつものカフェに集い、それぞれの礼拝メッセージを分かち合い、気になった点、わからないところを取り上げました。GNS礼拝の「ヤロブアムの道」では、救いを妨げるものとして5つの点を語られました。「世界観」、「生活習慣」、「罪」、そして「傷」。これらが私たちの内にある限り、そこに居座り続け、そこから私たちを唆し、それらを増長させようとする悪魔のRight to Stay(居住権)になってしまうということ。

 更に、霊の世界には中道(グレイゾーン)はなく、「祝福」か「災い」か、そのどちらかの選択しかないということを採り上げました。分かち合いの内に課題がありました。例えば、遅刻を繰り返してしまうのは、「怠惰」な罪ゆえの災いなのか? それとも「自力」から解放されるための「御声」なのか? という質問。いくつかの証しがされましたが、残念ながらはっきりした答えは得られなかったと思います。一方、もう一つの礼拝メッセージ中には、「反応ではなく対応を」 と語られました。これもまだ魂で消化中のため、今の段階では、明確な違いを文字にし難いのですが、一つの喩え話を聞きました。

 英国のある晩餐会でのこと。食卓に置かれた見事な銀細工の胡椒入れに心奪われ、出来心でポケットに入れてしまったチャーチル首相の側近がいました。セキュリティが近づき、事態を悟ったチャーチルは、ポケットを見せるように迫られる側近の前に出て、「どうやら私たちは見つかったらしいよ。」と言いながら、自分のポケットから銀の塩入れを取り出した、というお話。

 不名誉に対して叱責や切捨てなどの「反応」ではなく、悔いる心へ進ませるよう「対応」した、というのがその違いだそうです。その時、課題について思うことは、遅刻が災いか御声かを考えるよりも、すべきことを改めていく時、その答えを得られるのではないか、それが「対応」ではないか、ということです。救いを妨げるものの内、世界観はBeingの部分で、生活習慣はDoingです、と伺いました。BeingなしにDoingはなく、逆もまた然りです。「愛」は行動なしにはあり得ません。

行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。(ヤコブ2:17)

 キリスト者であっても、完全ではありません。救われた後でも罪を犯し、悪習に引きずられてしまうことがあります。しかし、その罪や悪習に気付き、確かに悔い改めることができれば、それは祝福の道へと変えられるのです。神様は身を持ち崩した放蕩息子(娘)であっても、決死の思いで戻ってきて赦しを乞う時、走りよって来て抱き寄せて下さる方なのですから。

御声部屋で、そんな神様の愛の大きさ、深さ、広さ、長さ、偉大さに触れてもらえれば、と思います。来週の火曜日はサウスベイへお越しください! 
〔写真は銀細工のカエル。(胡椒入れじゃありません)〕



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いきなりフィールドトリップ in SBC

2008年08月05日 | 羊のお出かけ
いつものカフェで予告通り「対神対人関係」について分かち合うつもりでしたが、御声部屋メンバの一人がその日にパフォーマンスをすると連絡があり、急遽場所を移動して、ダンス鑑賞しながらのSBCとなりました。いきなり、初のフィールドトリップ!さてパフォーマンスを見ながら、分かち合う予定の「対神対人関係」の4ポイントを思い起こしました。

私(あなた)の価値を認める神様がいらっしゃる。
一人一人、神様がていねいに創りあげられた最高傑作だということ。

神様の愛は無条件で、何かをしなければ得られないものではない。
各自の能力、個性、魂はギフトであり、使うことが大切であること。

それぞれに歩むべき道があり、私(あなた)だけにできる方法で進む。
いただいたギフトが、人生を作り上げる素材であること。

人生が私(あなた)に期待することがある。
自分が楽しいでなく、人を喜ばせようとする思いが感動を生むこと。

 御言葉は、頭に閉まっておくものではありません。いつものスタバで、今回のダンス会場で、どこであれ人との関係を通して心に届けさせ、それを生活にアプライすることで、神様との関係を強めていくものです。そして、真理を基とする人生が築かれるはずです。何気ない会話の内に、他愛ない時間の中に、御声を聞き、神様の思いを確かにわかることができるよう、御声部屋一同で祈っています。

実に神の国はあなたがたの間にあるのだ。(ルカ17:21)

〔※写真撮影禁止だったため、イメージ画像です。